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1998年 PC CPU
1998年くらいのPCはCPUが本当に低性能だったそうですが、それでPCでインターネット等はサクサクにできたわけありませんよね?
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今と比べれば性能はかなり低いですが当時としてはごく普通の性能です。 当時は光やADSLといった高速な通信は無かったので今のような大量のデータだと 表示に何分もかかることになりとても実用的ではないので回線速度に合わせた容量の内容になります。 オマケにしユーチューブや動画の配信も3Dオンラインゲームもまだ無い時代です。 ちなみに、日本でインターネットが本格的に開始される以前からPCはありその10年前(1988年)のPCのCPUと比べれば1998年のPCのCPUは格段に性能が向上しています。 この質問と同じ意味のことを20年後に質問があり、2018年のCPUはとても遅かった、よくこんなのでネットとかゲームとかできたのが不思議だ! という質問をあなたが見た場合、本当に不思議だ?なぜインターネットやゲームが出来ていたのだろう?とは思わないでしょう。
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- DEN1010
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Windows 3.1 だったし、サイトも軽かったから今の重たいサイトよりも、サクサクでした。EXCELもちゃんと使えていましたよ。 Pentium PROが出て、事務所に転がっていた頃だったかな。 ちなみに、職場は、ノートパソコンの修理会社でした。 コーヒーをキーボードにこぼして修理依頼が、月に10件程だったのを思い出します。
- 2012tth
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今だと考えられない事だが…作業窓の裏でインターネットを 立ち上げして、ポーズをキープするソフトウェア (アプリ) が 定番ソフトに有りそれを使用していた。 インターネットアイコンをクリックして起動するのに時間を 有していた時期が過去に有った。
- 121CCagent
- ベストアンサー率52% (15538/29858)
>割とつかえたのですね OSやソフトもその頃のPCのスペックに釣り合った程度のものだったので動作自体は快適でしたよ。今のSSD搭載のPCに比べれれば動作は緩慢に感じるかも知れませんが。 >瞬時にページが表示されないことが多かったですか 軽いページと言うかテキスト主体のページなら問題ないですが画像を多用したページだと時間が掛かった記憶はあります。まぁ20年も前の話なので記憶が曖昧ですが。
- i-q
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そうですね、遅かったですよ。 ただ、google検索が出るまでは、、検索自体に時間がかかりました(*_*) 例えば検索ワード入力しても、すぐには検索結果自体が出なかったので、 混み合う平日夜などは30秒くらい待って再読込したりしました。 また、サイトを開いたら、今のYahoo!のトップページみたいに沢山画像があるサイトだと半ギレしました・・・ (googleのシンプルさと早さには感動しました) 大体1つの調べ物に対して20分は掛かけていたと記憶してます。。 なので検索ワードは事前によく考え熟考した上で、検索作業に取り掛かりました。 それでも全く知らない事柄について検索する時は、1、2時間くらい掛けてたと思います(*´ω`*) (ゲームしながらとか、何かをやりながら検索してました) あと、 PCも今と比較して低解像度640×480とかでも使えましたし、800×600あたりが普通で16ビットカラー標準でフルカラー(24ビット)のゲームなどは静止画でも動作がもっさりしてました。。 (なので2Dが今と遜色ないという回答には??です) あと、ビデオカード変えるたびに劇的な変化を体感できました。。 (ゲームに限らず全体の動作が変わりました)
- SPROCKETER
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1998年頃と言えば、DOS/Vパソコンが普及を始めた時期で、CPUはPetium90~133Mhzぐらいでしたし、パソコン性能は256色パレットカラーから、フルカラーまで対応。解像度は640×480画素から1024×768画素ぐらいの性能でした。 当時のゲームで遊んでみればわかりますが、決して低性能ではありません。3Dゲームは遅かったですが、2Dゲームは今と変わらないぐらいの速さで動いていました。なぜ、今のCPUの数十分の1の性能しか無かったPentium90MHzで、そんなに処理能力が大きなゲームが動いたのかと言えば、パソコンのハードに原因があります。 DOS/VパソコンはVRAMを物理ウインドウと論理ウインドウに分けて定義出来て、ハードスクロールが使える為に、2Dゲームの画面スクロールが高速化出来るのです。これを使って、様々な2Dゲームが動いていました。画面もカラーパレットを使って変色出来るので、フェードイン、フェードアウトも高速に出来ました。要するに、ファミコンの機能を大幅に拡張したような性能を持っていたので、処理が遅くは無かったのです。 今のパソコンは同じ処理をソフトでおこなっているので、CPU性能が高くなければなりませんが、当時はハードでおこなっていたわけです。 もっとも、インターネットは確かに遅かったですね。1画面表示するのに1~2分かかっていたように思います。電話回線の伝送速度が低速だったので、画像転送に時間がかかっていたわけで、パソコンの処理能力が原因ではありません。パソコンの画面はJPG画像を一瞬で表示出来るぐらいの速度でしたし、小さな動画再生も可能でした。 どのくらいの性能かと言えば、PCM音源が9音源再生出来るぐらいの性能で、CD再生が可能でした。ゲームはPS2の2Dゲームぐらいの解像度の映像が再現出来る程度の性能でしたね。3Dゲーム性能が弱かっただけで、それ以外は今とあまり変わらないゲームが動いていました。
- notnot
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OS(Windows)が今と比べものにならないくらい軽かったので、CPU性能のために、インターネットブラウズが遅かったと言うことは無いです。 Windows95機でメモリが32MBとか64MBとか。企業用のWindows2000でも128MBとか192MBとか。今の100分の1くらいのメモリでサクサク動いてました。それくらいOSが軽かったのです。
お礼
OSが軽いとCPUがそんな感じでもインターネットが遅かったということはないのですね
- parts
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Q/それでPCでインターネット等はサクサクにできたわけありませんよね? A/まず、まだその当時はISP(インターネットサービスプロバイダー)の接続料金が50時間接続で5000円(1時間500円ということ)ぐらいだったはずです。確か99年~2000年になって3000円150時間になり、その後同じ値段(3000円)で無制限プランが登場しました。今は、スマホのISP料金でも300円+消費税で無制限、メールアドレス付きですけど。 また、大半の人はPC-VAN(BIGLOBEの前身)や、NIFTY-Serve(現在の@nifty)などのパソコン通信を使いBBSやチャットを使う人が多かった時代です。 通信速度は、ダイヤルアップ収容局が28.8Kbps~33.6Kbpsだったため、今のLTE通信で速度制限が掛かる時より、1/4.5ほど遅い環境で、PPP接続であるため、電話回線と共有していました。即ち通信を行うと電話が話し中になる訳です。 だから、やってはいけないこととして、 同じ記事を重複投稿すること。(これをやるとリロードに時間が掛かり、通信時間単価が増えます。後から総スカンを食らいます。) 容量の多い情報の掲載。(これをやると表示が遅いためアクセスを断念する人が増加します。) 等がありました。 ちなみに、常時接続環境が日本全国一律ではじめて投入されたのは、2000年のフレッツISDN(INS64ベース)からです。その後、ADSL/VDSL(1.5Mbps→12Mbps→50Mbps/2001年~2002年以降)とFTTH/VDSL(100Mbps/2003年~2005年頃)が普及するようになりました。 その前にも、CATVなどはやっていましたけど、エリア限定がありました。また、CSアンテナによる衛星通信サービスを使ったMegaWaveというのも2000年にサービスを終了しましたけど、全国でサービスを行っていました。ただし、これはダウンロードのみ1Mbpsでアップロードはダイヤルアップ等の通常回線(PPP)を使っていました。 尚、当時のパソコンメモリーは16MB~32MBのSDRAM(PC-66/100)やEDO DRAMが一般的で搭載できる最大容量は32MB~128MBでした。 HDDはGMRヘッド搭載製品が本格的に普及しはじめた頃で、6GB~8.4GBが普及期にあり、20GB~30GBが高価格の時代でした。 CPUはPentium II(With MMX)が最盛期の頃で、Deschutesコアが普及し始めていました。今のソケット型ではなくBSBが使えるSlot1でした。 まあ、その中で自作フリーク(マニア/夢中の人ということ)の人やオーバークロッカーに人気だったのが、MendocinoコアのCeleron 300A(300MHz)を1.5倍以上(最大2倍~2.5倍の強者もいた)で動かすというのが流行りました。お安いプロセッサでロースピードキャッシュではなく、フルスピードオンダイの二次キャッシュを搭載していました。クロックアップするとPentium IIを大きく上回るベンチマーク結果を出す強者もいました。また、当時のCeleronやPentiumはSMPロックがありませんでしたので、2プロセッサ構成に出来る非公式の安価なマザーボードなどもありました。 尚、この頃のプロセッサでは、まだ、DVD(720×480ドット)をコマ落ちなく再生する能力がありませんでした。MPEG2デコーダーを搭載するか、ATI RageのようなiDCTやMCを搭載したビデオチップが必要でした。 また、当時はまだ3D技術も未成熟でしたから……何せPlaystation 2も出ていませんし、Direct 3DとDirect DrawもHardware T&L(固定陰影処理)をサポートしていませんでしたから。最初の固定3DシェーディングがPCのハイエンドで始まるのは99年以降です。 ノートパソコンの大半はDSTN-LCD(DSTN液晶)またはSTN-LCD(STN液晶)で横とか上とかから見ると、黒く見える透過性の悪い液晶でした。 デスクトップPCは、殆どがCRT(ブラウン管)モニターでした。ちなみに、LCD本格的にデスクトップパソコンのラインナップに乗り始め使われはじめるのは、1999年以降でした。 以上のような時代です。まあ、PCにとっては将来が明るい時代で、毎年性能も各種容量も倍どころか3倍4倍のペースで伸びていた時代です。しかも、CPUに限らず全てのパーツが進化していました。もちろん、ソフトウェアも今年最新のハードで来年最新のソフトがさくさく動かないこともザラにありました。それぐらいの時代なので、インターネットがどうだったかは分かるでしょう。
- okvaio
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ネット環境とPCとで、どちらが先に進化したのか分かりませんが、 PCが一般に普及したのはWindows95の登場以降で、ワープロから 買い換えたと記憶しています。 この頃は、まだ、文書の作成だけに利用していました。 PCは、1998年にiMacが発売されたことでも購入者が増えました。 同じような時期にネット環境も進化し、FAXに変わる電子メールの 利用手段として、インターネットを使うようになりました。 初めは、ISDN(64Kbps)→ADSL(12Mbps)→光(100Mbps以上) で、光は更に速いギガ単位まで進化していますね。 因みに、ADSLでは、基地局(各地の電話局)から遠いと遅く、 容量の低い動画でも、止まったりしていましたね。 今の光は、高画質でもまったく問題ありませんが、今のネット利用 の範囲(動画)では、ギガまでは必要ないと思っています。
お礼
ADSLだとそんな感じでしたか それはきついですね
- seble
- ベストアンサー率27% (4041/14683)
98年というのは微妙な時期で、インターネットも始まってはいましたが、普及はまだまだ、パソコン通信がまだ結構多かった時期です。 回線にしてもアナログモデムによる56Kbps、24kがやっと56まで上がったというレベルで、今の基準からはお話にならないぐらいの低速です。しかも、深夜のテレホーダイを除けば全て従量制、プロバイダのアクセスポイントまでの電話代、ほとんどは市内ですから3分10円とか5分10円とかと、プロバイダの通信料金、1分10~30円がかかりました。昼間の接続は非常にカネが掛かるので、接続タイマーソフトを入れ、2分30秒(電話掛けてもネットに入れるまで何十秒かかかる)ぐらいの単位で切断するようにするとか、涙ぐましい、w 努力をしてました。 ISDNは2本束ねて128k出ましたが、それは電話代が2倍になる事を意味し、また、プロバイダの128k接続も別料金で高くなっていました。 今もそうですが、PCの性能より回線速度がずっと遅いので、ネットに関しては性能がどうこう言われる事はまず無かったと思います。 そう言う点では、2001年に低額のADSLを始めた孫氏の業績は偉大です。そこだけですが、w
お礼
そうでしたか
- 121CCagent
- ベストアンサー率52% (15538/29858)
今と異なり動画などはほぼ無く基本は静止画と言うか普通の画像でしかも今と比べるとファイルのサイズも小さく全体的に軽かったですね。 ですので割と使えました。今のように瞬時にページは表示されない事が多かったですね。1998年くらいならISDNが割と普及し始めたのでISDNを使っていればアナログモデムのダイアルアップよりは速度は出てました。
お礼
割とつかえたのですね 瞬時にページが表示されないことが多かったですか
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お礼
回線速度に合わせた容量でしたか 他の回答を見ても結構サクサク使えたそうですね