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帰巣本能について考える
- 故郷と帰巣本能について考えると、人間の心に深く響く言葉です。
- 故郷は一つであり、帰巣本能は人間が持つ本能の一つであると言えます。
- 環境の変化や生活のシャッフルによっても故郷の思いは変わらず、尊さを感じるものです。
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おはようございます。 私も全く同じで、父方も母方も東京都下出身でお盆や年末年始に旅行らしい里帰りをしたことがありません。 新幹線や飛行機に乗って婆ちゃんのところへ毎年行っていた友人が羨ましくて仕方なかったです。 自分の故郷と言えるものも、関東を転々としていましたから「どこ?」って聞かれると返答に困るのです。 私が5歳になる前の間だけでも、福生・豊島区・中野区と移り住んでおり、今までにした引っ越しは20回近くに及んでいます。 公団がなかなか当たらなかったため、より父の会社に近い物件を求めてだったり、私が長じてからは結婚・出産・果ては離婚とで家族の増減、年老いた親との同居、ローンの破綻・・・。 そんなわけで帰巣本能が働きませんで、故郷・地元と呼べる土地のある人が羨ましいです。 ジプシー(ロマ)、遊牧民などと同じ流浪の民です。 これからも引っ越しはするんじゃないかなと思います。
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- ユリア(@yuria2014)
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こんにちは。 祖父の家は本家なので、私も出かける故郷は有りませんが、祖父には大事にしてもらってます。 昔は交通の便も悪く、盆暮れには親戚が大勢来て泊まったそうですが、今は高速や新幹線も有るから、みんな日帰りでつまらないものだと言います。 お正月でしたらお餅やおせちや冬野菜、お盆ですと炭酸饅頭やうどんに夏野菜をたっぷり持たせます。 妹だけは、外国人のお友達まで連れてバイトに良く来るので、祖父は歓待するし、私も血の繋がる妹ですから、少し甘かったようです。 私を姉と慕ってるスタッフは機嫌が悪くなり困ったもので、副長までいい気なもんだと言うのには参りました。 それで、バイトに来るなら、皆先輩何だからと言い含めて、私自身も気をつけるようにしました。 祖父と再会する前に、自分のルーツを探して父の家に行きましたが、置き手紙に返事が有りませんでした。奥さんが握りつぶしたのか分かりませんが、遠くの親より近くの他人と思って生きてきた私には、大した問題では有りませんでした。 以前、古民家のお話をしましたが、お風呂においでとまで言って頂けると、疎遠な親戚より親しい他人ですが、有る意味故郷のようです。 知らず知らずのうちに本能的に、おじちゃん達に懐かしさを求めていたのかも知れません。 お婆ちゃんの米寿のお祝いには仕出しをご注文頂き、お婆ちゃんも立派になったと自分の孫のように喜んで下さいました。大喜びした鯛の塩釜焼きを、その後毎年届けてます。 うちのスタッフも将来結婚とか、ここを離れる時が来るかも知れません。 その時はここが彼女達の故郷になります。 人は次に会う時まで最後に会った時の顔を覚えてると言いますから、精一杯の笑顔で送り出さないといけませんね。
お礼
yuria さん、こんばんは。 >昔は交通の便も悪く、盆暮れには親戚が大勢来て泊まったそうですが、今は高速や新幹線も有るから、みんな日帰りでつまらないものだと言います。 お正月でしたらお餅やおせちや冬野菜、お盆ですと炭酸饅頭やうどんに夏野菜をたっぷり持たせます。 俗に 温故知新 と言いますね、昔ながらの何かに、ビジネスのヒントがいっぱい詰まっているケースは少なくない、是非参考になさって下さい。 >それで、バイトに来るなら、皆先輩何だからと言い含めて、私自身も気をつけるようにしました。 或る種の ジェラシー かも知れませんが、身内により厳しく・・というのは正解なんだろうと思うのです、黙っていても親子は親子だし 姉妹は姉妹、 諸将の射幸心を政権の求心力とした豊臣秀吉 も、異父弟の 秀長 には怖い兄でした。 >以前、古民家のお話をしましたが、お風呂においでとまで言って頂けると、疎遠な親戚より親しい他人ですが、有る意味故郷のようです。 >知らず知らずのうちに本能的に、おじちゃん達に懐かしさを求めていたのかも知れません。 或る種の垣根を設けず、年輩の方々と自然に付き合って行けるというのは、誇って良い能力なのだろうと思います。 >うちのスタッフも将来結婚とか、ここを離れる時が来るかも知れません。 >その時はここが彼女達の故郷になります。 >人は次に会う時まで最後に会った時の顔を覚えてると言いますから、精一杯の笑顔で送り出さないといけませんね。 私は経験がありませんから分からないのですが、指導する厳しさと仲間としての温かさ その兼ね合い・・、きっと大変なんだろうと思います、でも遣り甲斐はあるはず。 それと 自分や身内以外の人生を背負う経験はそうはないでしょう、且つ 決して損得で言う訳じゃありませんが、情けは人の為ならず・・巡り巡ってどこでどう世話になるか分からない、先に行って 暖簾分けみたいな形になったら 素敵ですよね。 回答ありがとうございました。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
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イソケンさんおはようございます。 引っ越しを繰り返していても生まれた土地から20kmと離れた事がないので、イソケンさんと同じく帰る故郷というのはありませんね。車で3分の実家は毎週行ってますし。 ただ、時間軸に置き換えると望郷の念というのがあります。というのは、生まれ育った土地ってのが当時とまったく様変わりしており、毎日30分かけて歩いた通学路は一片も残っておりません。ザリガニを捕った用水路もドドメを採って食べた桑畑も。すべてが区画整理されて住宅地や商業地となり、あの用水路や橋がどこにあったのかも今となってはさっぱりわかりません。 活気があった中心街もシャッター街となり夜の街になってしまいました。映画館や通ったプラモデル屋ももうありません。どこの町でも同じでしょうけれど。 自分たちが育った町の昔の話を同級生としては、タイムトラベルしているこの頃です笑
お礼
mikasa さん、こんばんは。 >ただ、時間軸に置き換えると望郷の念というのがあります。というのは、生まれ育った土地ってのが当時とまったく様変わりしており、毎日30分かけて歩いた通学路は一片も残っておりません。ザリガニを捕った用水路もドドメを採って食べた桑畑も。すべてが区画整理されて住宅地や商業地となり、あの用水路や橋がどこにあったのかも今となってはさっぱりわかりません。 別に都会っ子ぶる訳じゃありませんが、桑の実 の形状を知らない自分に今初めて気付きました、知ってる桑は 地図上のあの形だけ、第一 山なんかどこにもなかったし・・。 自然環境という意味で、私が生まれて育ったところは ( ・・という歌が昔ありましたが ) 、とっても貧しい地域だったというのを、改めて認識しました。 >活気があった中心街もシャッター街となり夜の街になってしまいました。映画館や通ったプラモデル屋ももうありません。どこの町でも同じでしょうけれど。 いや 飲み屋すらどんどん無くなっています、平成に入ってからこっち、日本人・・特に男性の金の使い方が変わって来たのでしょうね、馬鹿な 無駄遣いをする人が少なくなった。 水商売なんて典型的な 隙間産業 ですから、最も影響を受ける分野でしょう、つい先日も 長い付き合いの フィリピンパブ の ママ が廃業しました、女の子使って赤字だらけじゃ 馬鹿らしくてやってらんないと・・。 >自分たちが育った町の昔の話を同級生としては、タイムトラベルしているこの頃です笑 50年前に戻って、駄菓子屋の因業ババアに会ってみたいですね。 回答ありがとうございました。
- staratras
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「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という室生犀星の詩を知ったのは、まだ生まれ故郷の九州に住んでいたころでした。 大学進学のため上京して以来、帰省以外で故郷に帰ることはありませんでした。帰省や同窓会への出席などで故郷に帰ると、旧友との再会など懐かしい体験はできるのですが、町そのものは変貌が激しく、「遠きにありて思ふもの」という気持ちがしました。回答者が暮らした昭和30年代から40年代の「ふるさと」は記憶の中にしかないのです。 それでも今では親も住んではおらず、親戚も代替わりした故郷の町を歩き、昔と変わらない数少ない風景に遭遇すると、一瞬だけ十代のころに戻れたような気持ちがするから不思議です。 花いばら 故郷の路に 似たる哉 (蕪村)
お礼
staratras さん、こんばんは。 >「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という室生犀星の詩を知ったのは、まだ生まれ故郷の九州に住んでいたころでした。 私自身 文学というものと縁が無ない人生を送って来ましたから、 犀星 で知ってる詩は 御指摘のそれ一つです。 ただ 故郷に対して屈折した何かを抱いた彼の心情は何となく理解出来る、あとは 多くを語る必要はないでしょう、staratras さんが御承知の通りですから。 >大学進学のため上京して以来、帰省以外で故郷に帰ることはありませんでした。帰省や同窓会への出席などで故郷に帰ると、旧友との再会など懐かしい体験はできるのですが、町そのものは変貌が激しく、「遠きにありて思ふもの」という気持ちがしました。回答者が暮らした昭和30年代から40年代の「ふるさと」は記憶の中にしかないのです。 大学の クオリティ もそうでしょうし 場所もそうだと思う、殆ど 必然性を持たない 大学進学 というただそれだけの事が、 一人の人間の一生を大きく左右してしまう・・、中々どうして 面白いものです。 ところで 経済発展というものは、どうしてもハード面の大きな変化を伴います、高度経済成長の真っ只中であった 昭和30年代 ~ 40年代 となれば 尚の事そうでしょう。 私自身 昭和30年代の生まれですが、我が地元も 殆ど昔の痕跡を留めていません、ただまあ 50年以上の長きに渡り定点観測を続けていますから、ちょっとずつ変わって行くさまはずっと見て来た、依って 浦島太郎 になる事はありませんが。 >花いばら 故郷の路に 似たる哉 (蕪村) 愁ひつつ 岡にのぼれば 花いばら ( 同 ) 回答ありがとうございました。
- eroero4649
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帰巣本能でいつも思うことは、人間べろんべろんになってもどういうわけかきちんと自宅には帰宅するんですよね。 時々、べろんべろんになってゾンビみたいな歩き方になっているお爺ちゃんを見かけることがありますが、あんな状態でも家にはきちんとたどり着くんですよね。あれって脳のどこの部分が正常に動いているのだろうと不思議でなりません。
お礼
eroero さん、こんばんは。 >帰巣本能でいつも思うことは、人間べろんべろんになってもどういうわけかきちんと自宅には帰宅するんですよね。 先のお礼でも触れましたが、不思議なんですよねぇ、私だって何度もあります、どうやって辿り着いたか記憶が全くないにも関わらず、ちゃんと家で寝てた事が・・、でも今はもう無理かなぁ。 回答ありがとうございました。
- 5mm2
- ベストアンサー率9% (329/3308)
こんにちは。 お盆と言ったら、旧盆に決まってます。 東京に転勤した時に、盆踊りが7月に有ってビックリしました。 「故郷が有るのは羨ましい」と言うのは、都会人の自慢話に聞こえますね。 特にisoken さんが言うと、いつも羨ましいと思ってる者にとっては、尚更です(笑)。 でも、よく考えると、故郷は良いものですね。 もうすぐ、そのお盆ですが、今年も大分の実家には帰省しません。 祖父母と両親が亡くなって、もう5年。 弟が後を継いだ実家には、帰省し泊まるのも気を使います。 僕にとって故郷は、三つあるようです。 生まれ育った、親兄弟がいた故郷。 社会に出て、新しい友達や恋人、家族のできた第二、第三の土地。 そして、この世にいない祖父や両親のいる雲の上。 帰りたい故郷があり、そこに待つ人がいて、帰ることができるということは、本当に幸せですね。 帰巣本能があれば、帰る場所を守るのも本能かも知れませんね。 今同居してる娘たちが、マンションを出て自立したいと言います。 もういい年ですから、それもいいだろうと思いますが、部屋はそのままにしておいてと言います。 「何時まで甘えてる」と言いたいですが、結婚までそう長くはないと思うし、彼女らにとってはここが故郷ですから、もう少し甘やかそうと思います。
お礼
5mm2 さん、こんばんは。 >「故郷が有るのは羨ましい」と言うのは、都会人の自慢話に聞こえますね。 >特にisoken さんが言うと、いつも羨ましいと思ってる者にとっては、尚更です(笑)。 分かりましたか ? 実は自慢したんです、・・な 訳ないじゃないですか、子供の頃は やっぱり田舎がある子が羨ましいものですよ。 >でも、よく考えると、故郷は良いものですね。 >もうすぐ、そのお盆ですが、今年も大分の実家には帰省しません。 >祖父母と両親が亡くなって、もう5年。 >弟が後を継いだ実家には、帰省し泊まるのも気を使います。 結局 兄弟って そういうものかも知れませんね、私にも妹が一人いますが、今はもう旦那が全てって感じで、私の事なんかちっとも構ってくれません。 ただ 「 お兄ちゃん ! 」 って呼ばれるのは いまだに嬉しいんです、子供もおりませんしね、兄貴の私が見ても ルックスは異常に若い、それはいいが まったく 家事をしてるんだかいないんだか、 飾り羽子板 みたいな爪をしてましてね。 >僕にとって故郷は、三つあるようです。 >生まれ育った、親兄弟がいた故郷。 >社会に出て、新しい友達や恋人、家族のできた第二、第三の土地。 >そして、この世にいない祖父や両親のいる雲の上。 まだ両親が健在ですから、3つ目は正直 イメージ出来ないのですが、所縁のある場所が幾つかあるというのは悪くないでしょう。 >「何時まで甘えてる」と言いたいですが、結婚までそう長くはないと思うし、彼女らにとってはここが故郷ですから、もう少し甘やかそうと思います。 夫婦は別れりゃ所詮 他人ですが、親子は永遠に親子ですから、一生 甘えさせてあげればいいじゃないですか、私にはとっても羨ましいのです。 回答ありがとうございました。
- kamejrou
- ベストアンサー率17% (191/1107)
こんにちはisoken さん 今日から高校野球、私の暑い夏が始まる❗ 故郷? その前に面白い話しをしましょうか? この前七月の末でしたが土曜、日曜と「盆踊り大会」の予定でして 私も一応執行役員でして余程暇人と思われているらしいのですが 家内にあなたも少し社会の為になることをしたがいいとか言われて 盆踊りの役員になることが社会の為になるのか? そうは思いながら、まあいいか❗暇だしと思って この自治会長と言う人が盆踊り命の人でしてね 一年中盆踊りのことを考えている 背中には盆踊りの入れ墨があるらしい?私も見た訳ではありませんが まあそれはいいのですが 土曜日の朝からしとしとと小雨が降り始めましてね 私に電話がくる❗ 「○○さん大丈夫でしょうか?晴れてくれますかねえ?」 俺は天気予報士ではないと心の中で思いながら 私も如才ないほうですから 「大丈夫でしょう❗晴れますよ❗」 適当なことを言ってましたらザンザ降りの大雨になりまして 三善英史の「🎵雨に濡れながら~」の盆踊りも乙であろうに?アハハハ さて故郷ですが 亡国のユダヤ?これはモーゼの話しからになるのでしょうし 仰るようにまことにややこしい話しになるでしょうし こう言った話しが好きな人は映画の「十戒」でも観れば良い 故郷は一つ 仰るとおりでしょうねえ生を受けた場所ですし この前生まれ故郷を訪れまして何もかもが懐かしいのです ただそこは私が生まれた場所でしかない 生前に母が言った言葉に 「あんたとお父さんと暮らしているこの場所が私の故郷だ」 母はどんな意味で言ったのでしょうねえ❓
お礼
kamejrou さん、こんばんは。 お礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >今日から高校野球、私の暑い夏が始まる❗ 各局でちらほらと、過去の高校野球関連の特番をやってますね、私にはその方が面白いのです。 その中でもやはり 作新学院 の 江川卓 は別格で、真に怪物と呼ぶに相応しいのは彼だけでした、高校時代の 江川 に手も無く捻られ、且つ その20数年後 松坂大輔 を擁して全国制覇を成し遂げた、 横浜高校 の 渡辺元監督 が言っておられますね、 松坂 辺りとはモノが違ったと・・。 >この自治会長と言う人が盆踊り命の人でしてね >一年中盆踊りのことを考えている 「 悪魔のキューピー 」 大西政寛 が、後に 隻腕の親分 と呼ばれる 小原馨 の片腕を切り落としたのが、確か 阿賀 の盆踊りではなかったでしょうか。 『 仁義なき戦い 』 では 梅宮辰夫 が、そして 『 最後の博徒 』 では 江夏豊 が演じたのは御承知の通り、もうあんな映画は観られないのでしょうね、残念ですが。 さて 私も子供の頃は盆踊りが大好きで、母の実家の方まで旅を掛け 荒らしに行ってました、言うなれば 矢嶋長次 みたいなものです。 今調べたら、 矢嶋 さんはまだ生きておられるんですね、あれは何年前だったでしょう、個人的にいつもチェックしている アサヒ芸能 のインタビューに答えておられましたが・・、ただ やくざというのは現役を引退した時点で死んだと同じ、再び脚光を浴びる事はほぼありませんから。 >生前に母が言った言葉に >「あんたとお父さんと暮らしているこの場所が私の故郷だ」 >母はどんな意味で言ったのでしょうねえ❓ 深い言葉です、理解するには 私程度ではまだ人生修行が足りないでしょうが、所帯を持つとはそういう事かも知れませんね、亭主そして子供と 新たな何かを築いた場所とでも言うのか。 回答ありがとうございました。
- double_triode
- ベストアンサー率26% (520/1997)
ご返事ありがとうございます。 >ルーツの判断材料として 姓を根拠とするのはどうなんでしょう。 ぼかして書いたので,説明不足だったようですね。日本人の姓として山陰地方におおく分布するので,少なくとも室町時代ころから山陰に住んでいる一族らしいということです。山陰地方には地理的に渡来人がおおかったことも推定されています。 日本で室町時代よりも前まで遡れる家系は,ごく一部をのぞいてありません。ご先祖のなんのともったいぶっても,ヒトの歴史のうちごく最近いがいは霞の中なのですね。私がいま生存してることも,100年経てばだれも知らなくなる。遺灰は捨てるように遺言していますから,なおさら。
お礼
double_triode さん、こんばんは。 わざわざの御説明、痛み入ります。 ただ 出来れば、もっと近い過去を対象にして頂きたかったというのが、率直なところですが・・。 2度も回答を頂き、ありがとうございました。
- sqqrcxvx
- ベストアンサー率9% (84/911)
isokenさんこんにちは。 いやまぁとにかく暑いですね、いつまで続くんでしょうか。 >以上 漠然としたお題で申し訳ありませんが、 故郷 ・ 帰巣本能 その他に関して、思うところをお聞かせ下さい ひとくちに言って遠州灘を望む地で生まれず~っとこれまでここに住んでいます。もっとも転勤であちこち廻りましたが。 大学入試でもし第1希望に受かっていれば人生また変ったものになった筈ですが。青雲の志を抱きつまりはKさんとおなじ所へ進めばまさに「人生劇場」の世界だったのですが、それも適わず。 所用で東京へ行き一番感ずるのは風のある・ないです。生粋の江戸っ子であられるisokenさんにはご理解頂けない。 江戸も昔は海風をまじかに感じる街だったのでしょう。しかし埋め立てに次ぐ埋め立てで海が遠のいてしまった。これが横浜ですと山下公園の近くなどは当たり前に海風を感じますが。 遠州灘もっと言えば太平洋からの南風を受けて生きて来ましたので、大都会の風が動かないように感じて息苦しい。しかし熱海まで下ると急に風・海風を感じほっとします。熱海の人間じゃないのですが例えばの話です。熱海は海岸線まで山並みが迫り急にそれが海に落ちる様な地形ですから、海風と山風が交差し一種オゾンを作り出します。 東京・品川あるいは横浜の人波をくぐり抜け、夜遅く自分の住む町へ降り立つと、何と人がほとんど歩いてないじゃないか!その落差、田舎ですねぇ。いえね歩いてるんですけれど、つい先ほどまでが雑踏過ぎたせいですか。 故郷とは全く違うのですが、駐在員として過ごしたマニラは忘れられない街です。真夏でも今年の日本ほどには暑くない(笑)当時はジプニーが全盛でしたが今がどうなっているのかな。タクシーにはメーターが付いておらず、いい加減でしたが今メーターは付いたのかな、料金を巡って口論となった事もありました。 男女共に街をゆっくり歩きますね、熱帯仕様といいますか。当時は電力事情も悪く、例えばモールのエスカレーターに乗っている時に突然停電、真っ暗、でも誰も驚かない。エスカレーターが階段に変わっただけだよみたいな顔ですたすた歩いていました。上下水道の技術も低く、有名デパートのトイレからし尿が床に漏れ出す。でも皆平然と歩いている。アキノ・ジュニアの頃からでしょうか、国家が上向きに変わって来たのは。 美人は多いですね。スペインの血が混じっている子はきれいだとか言いますが、そんなことは関係ありません。総じて美人の比率は高いと思います。 一時帰休で乗ったフィリピン航空の日本人CAとケンカした事もありました。あのタカピーめ、と思いましたが。今思い返してみると機内に日本人としては一人乗務で何かとストレスフルだったのでしょう。まぁそう思っておきましょう。 今現在のことは知りませんが、当時日本へ行く女性は中流階級に生まれた人たちで、決して下層ではありません。渡航するにもお金が掛かります。 仕事上で知り合った男性の妹(歯科医)が日本へ行きホステスになると聞きシュンとした気持ちになったのを憶えています。 バンクーバーで駐在員生活を送った人が老後をその街で過ごすとか、シアトル・ポートランドまた然り、とか聞きますが。マニラに戻ろうとは思いません。 >2000年の時空を超えて、幾十万を超える 亡国の ユダヤ人 ( 厳密な意味での ユダヤ人論 に関しては、話がややこしくなる為触れません・・悪しからず ) が目指した、さして豊饒とも思えない遥か パレスチナ の大地・・、 「栄光への脱出」を思い出しますねぇ。 エヴァ・マリー・セイントが魅力的でした。元祖クールビューティと申しましょうか。グラマラスな人が多いハリウッドで異色でした。今も80歳代でご健在ですが。ブランドの「波止場」で注目され、そしてこの作品。好きな女優でした。 ではこの辺で
お礼
sq さん、こんばんは。 お礼が遅くなるうちに、こちらは 暑いから涼しいになっちゃいまして、挙句の果てには台風だとか、 遠州灘 方面は如何でしょうか? >大学入試でもし第1希望に受かっていれば人生また変ったものになった筈ですが。青雲の志を抱きつまりはKさんとおなじ所へ進めばまさに「人生劇場」の世界だったのですが、それも適わず。 時世時節 は変わっても、 「 人生劇場 」 はいいんですよねぇ、あの良さが分からなきゃ日本の男じゃないでしょう、若いとか歳喰ってるとかは関係なく。 尚 勝手に キャスティング しますとね、 sq さんには是非 青成瓢吉 をおやり頂きたい、だって 都の西北 だろうが何だろうが 私の中の Kさんは 、 瓢吉青年 というよりむしろ 吉良常 ですから、私ですか ? 私は色男なんで 飛車角 で御願いします・・違うか。 まあ冗談はともかく、 長い人生 入試の一つや二つどうって事ないでしょう、それよりも 失恋の痛手の方がよほど深刻でした、私の場合。 >江戸も昔は海風をまじかに感じる街だったのでしょう。しかし埋め立てに次ぐ埋め立てで海が遠のいてしまった。これが横浜ですと山下公園の近くなどは当たり前に海風を感じますが。 太田道灌 が築いた小城跡を、江戸に入府した 家康 が大改修した当時は、今の 日比谷 辺りまで海岸線だったと言いますね、 日本橋 も新橋 も江戸湾に面していたとは驚きなのですが。 >故郷とは全く違うのですが、駐在員として過ごしたマニラは忘れられない街です。 sq さんの赴任先はやはり マニラ でしたか、私も随分行ってませんから当節の事情はよく分からないのですが、一昔前に マニラ市長の MR リム が、 デル・ピラール から ゴーゴーバー を一掃したとかいう噂はききました、今はどうなんでしょう。 それはそれとして 23 ~ 4 歳の時、 『 海燕ジョーの奇跡 』 という映画を観ましたが、劇中 謎のヤクザ 原田芳雄 がこう言い放つ、「 フィリピン を舐めちゃあかんよ 」 ・・と、私もそう思うのです。 日本の飲み屋で フィリピーナ に嵌り、物価の安い フィリピン ならばと酒池肉林の甘い夢を抱き、日本で働いて貯めた小金を懐に、マニラ に渡った連中は殆ど喰われている、舐めたしっぺ返しを喰らうんですね。 欧米は無理でも東南アジアだったら何とかなるという、甘い考えの人間は結局どこに行っても駄目、よく御存知でしょうが、東南アジアで最も気を付けなくっちゃならないのは食い詰めた日本人、 リサール 公園 辺りは パスポート まで売り飛ばした日本人ホームレスが珍しくなかったとか言いますし・・。 >アキノ・ジュニアの頃からでしょうか、国家が上向きに変わって来たのは。 仰る通りで、 アキノ・ジュニア の登場以降、経済成長率は 7% 前後で堅調に推移し、且つ一人当たりの GDP は 3000ドル を越えはしましたが、結局あの国は数字だけなんですね、一般庶民への還流が全く為されていない。 そもそも 英語を話す良質な労働力と そこそこ成熟した民主主義、 個人的に フィリピン は ASEAN 諸国中最大の ポテンシャル を持つと 勝手に思っているのです、・・にも関わらず 一向に上向かない経済、 タイ ・ マレーシア は曲がりなりにも テイクオフ し中進国入りしたというのにです。 生の フィリピン に触れて来られた sq さんを前に、私も知ったか振りをし難いのですが・・ここは敢えて、あの国の殆ど全ての 宿痾 は例の財閥にあると言って良いんじゃないでしょうか、 「 貧富の差 」 という使い古された表現とは 収奪のレベルが違います、この フィリピン だけは別格でしょう。 言葉を変えると、 フィリピン 経済の殆ど全ては、財閥の ハウスルール で動いていると言っても過言じゃない、例えば 規制緩和 などは議論もされない、この国の異常なまでの参入障壁の高さ・・、何故なら 外資が参入して価格競争が起こると、財閥の利益に反するから。 常に サプライ・サイド が優先し、貧困に喘ぐ末端消費者は一顧だにされない この フィリピン がやらねばならない事はただ一つです、それは財閥の解体、つまり アキノ・ジュニア のような財閥の利益代表者じゃ何も出来ない、如何に彼個人が クリーン であったとしてもです。 長くなりついでにもう一つ、マニラ と聞いて思い出すのは、 三井物産 マニラ支店長 誘拐事件・・、 センセーショナル でしたねぇ。 私も シンガポール で 前任者から聞いたのですが、 あの事件が起きて早々、「 社用車に依る通勤ルートはマメに変えるべし ・ 現地雇いの運転手に 行き先は 当日指示せよ」なんていう訓令が来たようです、そりゃ 身代金を何億円も要求されては、企業としても堪りませんものねぇ。 回答ありがとうございました。
- osarunokagoya2
- ベストアンサー率20% (89/442)
墓参りというのは、自分のルーツをたどる麗しい習慣だと思います。 故郷は、人口9万人の平凡な地方都市だったはずが、いつのまにか 人気女優やスポーツ選手を輩出する「お洒落な田舎」に変わっています。 地場産業の栄枯盛衰がそのまま街の変化に現れている。そんなどこにでも ある風景。 祖母の家も区画整理で、100年を超える屋敷は曳家移転で残ったものの 風情のあった庭も蔵もなくなり、あとを継いだ叔母夫婦も世を去り従弟が 急死して以来、つきあいは途絶えています。夭折した弟と父母の眠る墓だけが こんもりとした樹木に囲まれた禅寺の一角にあり、これが唯一「故郷の実体」 です。20年ほど前に建て替えた生家はニートの弟が相続したものの、 当人は不摂生のあげく脳卒中で倒れ精神疾患で入院中です。 盆の帰省はしないで年末の父の命日に母と弟とあわせて墓参りをするのが 毎年の習慣になっています。 妻の実家ももはや空き家になり、丘の上の日の当たる墓地が もう一つの故郷になっています。 「ここは、私の生まれたところに似ているの。歩いて港の埠頭にいけるし 船も見えるわ。」 妻がそんなことをつぶやくのもお盆の季節だからかもしれません。 妻の実家の買い手がつかないので、ここを貸して引っ越そうかというと 泣いて反対します。18歳で故郷を離れて以来、友人も皆東京。それは私も 同様なのです。記念日に美味いものが食えるレストランも、好きな酒が変える店も 心を開いて酒をくみかわせる旧友も、知的な刺激をくれる講演会も、 困ったときに助けてくれる医者も弁護士も宝探しのできるフリマも 故郷にはありません。大抵みんなそうなんだろうと思っています。 海外にいくと無性に日本が恋しくなります。美味いメシは東京にあり。 羽田からはじめて海外に出て帰り着く時間の短さに感激しました。 我が家が一番ここちよい場所。なんて保守的なジジイになってしまったことか(笑)。
お礼
ex さん、こんばんは。 >墓参りというのは、自分のルーツをたどる麗しい習慣だと思います。 仰る意味と似ておりますが、私にとってお墓参りとは、 厳かな年中行事であると共に、新たな発見の場でもあります。 ・・というのも、5人の伯父が南方にその命を散らした、父方の事情はよく存じておりましたが、母方の方は皆目知りませんでした。 ところが 先年、 2人の伯母と母そして父を連れて、母方の一族が眠るお寺に参った際、先の大戦で戦死した母の兄の墓石に、 朝鮮通信航空隊 所属 と刻まれてあったのを見つけたのです、それが何を指すのかは分かりませんが、恐らく とうに他界した母方の祖父母が、倅の死を悼み 頼んで刻ませたのでしょう、親の愛は海よりも深いものですね。 >祖母の家も区画整理で、100年を超える屋敷は曳家移転で残ったものの 風情のあった庭も蔵もなくなり、あとを継いだ叔母夫婦も世を去り従弟が 急死して以来、つきあいは途絶えています。 遠くの親戚よりも近くの他人 とはよく言ったものですが、いとこ まで行っちゃうと、私の場合は殆ど赤の他人、顔を合わせるのは結婚式や葬式だけですが、見事にロクなのがいないのです。 さる従弟は、ブサイクな嫁さんの尻に敷かれて、母親 ( 私の伯母 ) を蔑ろにするし、また 或る者は その娘を私のコネで 某大企業に無理矢理捻じ込んでやったりもしたのですが、通り一遍のお礼だけ・・、呆れ果てて 最近は話もしません。 もっともうちは、爺さんの遺産相続で揉めに揉めて、父の兄妹とはほぼ絶縁関係にあったという事情もあるにはあるのですが。 >18歳で故郷を離れて以来、友人も皆東京。それは私も同様なのです。記念日に美味いものが食えるレストランも、好きな酒が変える店も心を開いて酒をくみかわせる旧友も、知的な刺激をくれる講演会も、 困ったときに助けてくれる医者も弁護士も宝探しのできるフリマも 故郷にはありません。大抵みんなそうなんだろうと思っています。 生活基盤以外にも、故郷に Uターン 出来ない事情を皆様お持ちなのでしょう、大切な物の優先順位は人それぞれですし・・。 >海外にいくと無性に日本が恋しくなります。美味いメシは東京にあり。 >羽田からはじめて海外に出て帰り着く時間の短さに感激しました。 >我が家が一番ここちよい場所。なんて保守的なジジイになってしまったことか(笑)。 国際便が成田に全面移転して以降も、日中国交正常化の合意を引き継いだ国策に依り、台湾のフラッグキャリア 中華民航 は、当時 免税店すらろくになかった環境下の、閑散とした羽田国際線ターミナルに取り残される事となりました。 依って 1980 ~ 90年 代に於ける羽田発の国際便は、中華民航 が就航していた 台北 と グアム だけという惨状、 そんなさ中 度重なる吸収合併に依り焼け太りした客先を含む、我ら有志一同は一路 台北へと旅立った・・、あれは何年前の事だったでしょうか ( 全て記憶で書いている為、間違いがあれば御免なさいという他ないのですが ) 。 当時 台北随一の 北京ダック を喰わせると有名だったレストランがある、 シェラトンホテル にて旅装を解いた我ら一行は、世界のベスト50に選出された 淡水ゴルフ場 でのプレーを翌日に控え、ストイックに各部屋へと散って行きましたが、品行方正だったのもそこまで・・。 散々なスコアーのゴルフを終えた当晩、繁華街 林森北路 に足を踏み入れて飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ、挙句の果てに 哀れ 海千山千のポン引きの餌食となり、 高級娼婦 を宛がわれたのが 羽田国際線ターミナル 最後の思い出です、最近は成田専門でありまして。 しょ~もない事を書いて、申し訳ありません。 回答ありがとうございました。
- longrailjpn2018
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やはり東京は、飯は非常に不味くて水は悪く、人はとても冷たく殺伐として地方出身者には馴染めないとの事。 NHKの半分、青いが地元に近く懐かしくて観ている事。
お礼
longrailjpn さん、こんばんは。 >やはり東京は、飯は非常に不味くて水は悪く、人はとても冷たく殺伐として地方出身者には馴染めないとの事。 いや 御指摘の通りだと思いますよ、ただまあ それが尺度になっちゃうと、何の違和感を感じないのもまた確かなのですが・・。 回答ありがとうございました。
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お礼
fs64vvz さん、こんばんは。 >新幹線や飛行機に乗って婆ちゃんのところへ毎年行っていた友人が羨ましくて仕方なかったです。 お気持ち よく分かります、子供ってのは目先の変化が欲しいもの・・、ところがうちときたら 父方の爺さん婆さんは同じ町内、母も都内 から嫁いできましたから、その実家は 電車でも車でもいいとこ 20 ~ 30分の距離、正月もお盆も大した環境の変化を味わえず、面白くも何ともありませんでした。 >私が5歳になる前の間だけでも、福生・豊島区・中野区と移り住んでおり、今までにした引っ越しは20回近くに及んでいます。 福生 ですか・・私にとっては 「 スローなブギにしてくれ 」、一時 片岡義男 に嵌りましてね、 南義孝 の同名の歌も好きだった、ただ 東京に於けるイメージし難い街の一つなのかも知れません。 ところで 我が家もですね、70年ほど前、都心にあった家を借金のカタに取られて今の場所に流れて来たんです、そして何とか定着し 私で3代目になる、どの御家庭にも事情はあるんでしょうよ。 その頃は もう笑っちゃうほど金が無くて、家財道具の売り食いで凌いでいたと、他界した祖母が話しておりました、人間 良い時ばかりじゃないんですねぇ。 >ジプシー(ロマ)、遊牧民などと同じ流浪の民です。 >これからも引っ越しはするんじゃないかなと思います。 こうあるべきなどという、杓子定規な何かがある訳じゃなし、 流浪の民 もありじゃないですか、全ては本人次第。 ただ 過ぎ去った諸々を、笑いに転化する人生を送る事が出来れば、幸せかも知れませんね。 回答ありがとうございました。