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随分、変わった故郷

私の家は、代々、東京の下町に住んでおりました。 しかし、小学生くらいまでは住んでいた周りの人々も少しずつ離れていくようになりました。そういう我が家も私が大学へ進級(附属のため)する時に目黒へ引っ越しました。それから、しばらくは、ちょくちょく行く機会がありましたが、ここ何年間かは行くこともありませんでした。 先日、久しぶりに訪れてみると随分、変わっていて懐かしむことも出来ず残念でした。 そこで、皆さんに伺いたいのですが、下町(私の住んでいた所は、人形町です。) は、変わったと思いますか? 質問というより、いろんな意見が聞きたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#21649
noname#21649
回答No.2

下町は変わりました。 まず母校が廃校になりました。 町名が変わりました。昔すんでいたところは駅名しか残っていません。 都電もなくなりました。 風呂屋もなくなりました。昔は友達とそろって風呂屋に泳ぎに出かけたものです。 商店を続けていた家は結構ビルの一角で営業を続けていますが.多くの友達はいなくなりました。今連絡がつく同級生は1名しかいません。

roadness
質問者

お礼

はじめまして。ありがとうございます。 生まれた町がドンドン変わっていくのって寂しいですよね。 何時までも残っているはずはないことはわかっていますが、なんだか、本来の風情が少なくなっていく事に寂しさを感じます。人形通りにあった店もTVで取り上げられている所以外は、ほとんどなくなっています。 でも、たまに家族で凱旋すると(大袈裟ですが)今も祭りなどで頑張っている人たちが温かく迎えてくれる事は、うれしい事です。 そういえば、最近、昔ながらの銭湯って見かけなくなりましたね。 千住あたりは、まだ、結構あると聞きましたが。

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noname#21649
noname#21649
回答No.4

>神輿をかつぐにしても人がいないといった そうですね。疲れて歩くのがやっと.到底「タテ」や「モメ」をするたけの力は残っていない.と若い人がいっていました。 御輿は.神殿の一部であり.神が町を出歩くという意味合いがありました。私の若い頃.地域で御輿の巨大さを競っていて.巨大すぎて担げない御輿を奉納した地区がありました。神社の御輿として.見るだけであり.担ぐとときには担ぐ御輿がありました。私は当時子供だったので.子供御輿しか担いでいません。

roadness
質問者

お礼

またまた、ありがとうございます。 edogawaranpoさんは、随分、祭りの事や昔ながらの風習などご存知ですね。 いろんな事を教えていて、本当に勉強になります。 家の父や生前の祖父も言っていましたが、『どれだけ、ビルや街が発展して下町が変わろうとも、江戸っ子気質は失われない』ってほんとですね。 edogawaranpoさんをはじめ、まだまだ、下町や昔ながらの風情を愛する人が大勢いると思うとうれしいです。

noname#21649
noname#21649
回答No.3

>今も祭りなどで頑張っている人たちが 祭りといえば.前日私と同年代の人と会って話を聞いたら. 今の祭りは行事になってしまって.昔乍らの祭りをした気分になれない と.話が出ました。年1回の行事として.同じようなことを続けていくことしかできないようです。うちでは.たずねてきた子供たちには必ず菓子を配っていました。(祭りの菓子を作るためだけに.農村に土地を買い.小作料として菓子の材料を送らせました)。うちは小さい所ですから.ほとんど子供たちは来なかったです。 そう言えば「ヤキトリ」もなくなりました。昔のヤキトリは.近所(とはいっても若干離れていますけど)の肉屋でブタを仕入れたときに.使用人がブタの内臓を買いに出かけます。ブタの腸をきれいに洗って(腸の中身をきれいに捨てて).串にさして焼くのが.昔のヤキトリです。今のヤキトリは鶏肉を使っています。 これは祭りのときだけの料理です。 ドブロクも作る人がいなくなりました。昔は免許があって.祭りのために免許を買い.祭りにあわせてドブロクを作って.祭りのときに配ったのですが.今はなくなりました。 みんなきれいになってしまいました。

roadness
質問者

お礼

はじめまして、こんにちは。 私も祭りに関しては、いろいろと聞きました。神輿をかつぐにしても人がいないといった現状だそうです。だから、『祭りのときだけでも、親父さんと一緒に参加してよ!』と言われています。また、うちの方でも、edogawaranpoさんと若干違うやり方ですが、お菓子をもらっていたような記憶があります。 やきとりやドブロクのお話は、なるほど!と思いました。 未来も大切ですが、過去も大事にしていきたいですね。

roadness
質問者

補足

申し訳ございません。 勘違いしておりました。edogawaranpoは、2度目のご回答でしたね。 失礼致しました。

  • nobitaro
  • ベストアンサー率33% (5/15)
回答No.1

roadnessさん。はじめまして。 私も生まれは神奈川県川崎市で現在地方に暮らしています。 年に1度程度故郷川崎に行くのですが、高層ビルが建っていたり、住んでいる人達の顔ぶれが変わっていたりし、がっかりします。 でも、町も生きていますし、活動する人々の顔ぶれが変わったりすれば仕方ないのかなあと思います。町並は変わってもそこで得た思い出や出会った人々はいつまでも心の宝として生き続ける。そう確信しています。我々故郷を巣立った者も他人の故郷の中で今を生き、変化させている事も事実です。変化してしまい寂しいですが、心の中の故郷を大切にしていきましょう。

roadness
質問者

お礼

nobitaroさん。こちらこそ、はじめまして。 nobitaroさんの言われる「心の中の故郷を大切にする」事は、本当に大事な事ですね。自分の故郷は、基本的に一つですからその故郷がどんなに変わろうとも、自分の知っている故郷を大事にしておけばいいのかなと思いました。 我々とは、逆の立場の人からしたら、故郷が全然変わっていないとかという不満もあるでしょうし、生まれ故郷が存在している事を喜ばなくてはいけないかもしれませんね。合併とかで、生まれた町の名前が変わった人もいるでしょうし。

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