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サラリーマンでありながら僧侶でもある男性
- サラリーマンでありながら僧侶でもある男性との関係を続けるか迷っています。
- 彼が出家しようと決断した本当のきっかけや精神的な強さ、甘えの程度が気になります。
- 結婚を考える上で、彼の自立心や覚悟、甘えの傾向を見極める必要があります。
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再々度となりますが・・・ 共依存という言葉をご存知だと思いますが、彼氏が弱い部分があることを不安に思われているようですが、その弱い部分であなた方は共鳴して関係を保っているのではないでしょうか。考えてみてください。しっかりしていてグイグイ引っ張っていってくれるような男性が、あなた様のような女性を好きになると思いますか?逆にあなた様はそういう男性を好きになれますか?気後れしてしまうのではないでしょうか。 彼氏は弱い部分があって、弱い人の気持ちも理解できる。だからあなた様のことも嫌がらずに関係を持ってくれているように見えます。一方あなた様が彼氏に抱く不安は、同族嫌悪以外の何物でもない。自分が弱いから、同じように弱い人が許せない。あなたくらいはしっかりしてもらわなくちゃ困る・・というのが本音ではないですか。 そして共依存の関係での結婚は、必ず破綻します。それは現時点でも想像できますよね。何も起きていなくてもあなた様はこれだけ不安になっている。結婚して何か起きたら、もう石橋を叩き壊すなんてものではないでしょう。「今のままのあなた様では」、絶対に乗り越えることはできないと思いますよ。 だから今、その強迫行動を止めるべきなんです。簡単には止められませんよ。でも自分を客観視できれば、改善はできます。だから自分に問題があることを、きちんと認識すべきなのです。 ご家族の問題で苦労されたのですね。それはどんなにお辛い経験だったかとお察ししますが、けれど家族のせいにして自分を美化していても解決しません。今の自分を変えられるのは自分しかいないのですから。あなた様が病的であると、失礼ながらはっきりと申し上げたのは、改善にはこの道しかないと思うからです。 そして共依存といっても、彼氏はおおらかな部分もあり、あなた様が新しい世界を切り開くのにはうってつけの人材ではないかと思います。この関係を、共依存のままで破綻させるか、共依存を突破してお互いに成長できる関係にするかは、あなた様にかかっています。あなた様は「相手のあることだから」と相手に責任をふっているようですが、それは「逃げ」ですよ。自分はやるべきことはすべてやった。これ以上はできることはない、と思っているかもしれませんが、まったくあなた様が自分を変える努力をしていないのです。自分が異常だと認識していないのですから。 あなた様の不安や細かすぎるこだわりを彼氏は無意識に感じ取って、どう動いたらよいかわからない。のらりくらりとしているのではないでしょうか。 臆病とか心配性とかいって物事を見極めようとしているのは、単なる逃げで、相手のマイナス因子を一生懸命探しているだけなのです。結婚を決める時にそれをやってしまってはダメです。結婚という大きな問題だからこそ慎重になるという理屈を言いたいかもしれませんが、逆なのです。結婚は大事なことだからこそ、逃げという動機から判断すべきではありません。それを回避するには、自分が「逃げている」ことを認識するしかありません。 そもそも先にも書きましたが、あなた様は橋を渡る気がない。橋を渡れば確実に不幸になるシナリオがあるから。けれど渡らずにそこにとどまるのは、もっと不幸なことではないですか。(現状の)この人生を続けていきたいですか? 橋を渡る勇気を持って、彼氏のおおらかさや楽観性に触れてみてはいかがですか。 結婚相手を見極めるのは、暴力団関係者ではないとかすごい借金持ちでないことくらいを確認すれば十分と思います。(そこさえクリアすれば、結婚はした後でも離婚するという選択肢もあるのです) あなた様のような不安神経症的な女性を相手にしてくれる男性はそれだけでも希少価値です。旦那がしっかりしてないなんて大した問題ではありません。 これだけのことを言っても、あなた様が変わるとはまったく思えませんが、誰かが言わないと、解決の糸口もないと思いましたので。以上です。
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no.6です。お礼ありがとうございます。 ここで誰かが背中を押しても、ご自身が「気づかされました」と言っても、何もあなた様は変わりはしないと思います。心配性・臆病者とご自身で書いておられますが、そんなレベルではないでしょう。文章からは病的な強迫のレベルと推察します。 もっと根本的なところから見直すべきではないでしょうか。根本というのは、相手の人間性とか結婚に対する心構えなどではなく、あなた様ご自身の、ご自分の性質に対する認識です。 結婚は女性の方が苦労するとか、相手がしっかりしてくれないと共倒れになるとか、いろいろ考えているのかもしれませんが、あなた様はどんな人と結婚しようと確実に苦労します。それはあなた様が女性だからでも、相手がしっかりしてないからでもありません。その性質では、誰ともうまくやっていくことはできないと思います。 心配性なのでも臆病なのでもありません。前に進むことから逃げたいから、なんとかマイナス因子を見つけて、不安になりたがっている。そして一番困るのは、そのことをあなた様ご自身が認識していないことです。石橋を叩いても渡らないとか、叩き壊すとかそういうレベルじゃありません。最初から渡るつもりがないのです。なぜなら渡った先に必ず苦労するという確信があるからです。 あなた様は、成功体験とか、他人に愛された経験が、極端に少ないのではないでしょうか? 男性以外の人間関係もうまくいかないのではないでしょうか? それはあなた様のせいではないと思います。不幸にしてそういう育ち方をしてしまったのではないでしょうか。 心配性とか臆病とか、相手がしっかりしていないとか、あくまでもご自分が異常であることを認めない気持ちがかろうじてご自分を支えているのかもしれません。あなた様が相手を「見極める」といいますが、見極める方の感覚がまともでないなら、その判断はまったく意味がありません。 彼氏は、あなた様よりは社会性もありまともな感覚をお持ちなのでは?と推察します。 自分に被害妄想や強迫がある場合、自分ばっかり思慮深く、相手はなんて無神経で何も考えていない、という風に見えるのです。あなた様には、世の中がまったく無神経に動いているような景色に見えるのではないでしょうか? けれど人間はそんなに単純な生き物ではありません。あなた様が他人の気持ちを想像できないだけで、みんないろいろ考えている。ちゃんと気を使って生きている。あなた様は自分が配慮していることを彼氏はわかってくれてないと思うかもしれませんが、逆に彼氏もいろいろ配慮していることを、あなた様がわかってくれないと思っていることでしょう。だってあなた様は彼氏が自由気ままに生きているようにしか見えていないのですから。 強くなってドンと構えるとか、そんな問題じゃないと思います。 厳しい言い方になってごめんなさい。でもご自分の感覚がまともだと思っている限り、あなた様は生きている間にこの問題を解決できないでしょう。 そもそも価値観が歪んでる人が強くなってドンと構えてもダメですよ。 まずは今回のご質問である、相手がしっかりしてるかどうか?という「自分の都合のための」見極めをしようとするのを、諦めるべきです。 見極めるべきはそこではないです。 人は皆、価値観も感性も何もかも違います。自分が生きずらいと感じるならば、それは自分の価値観に問題があるのですから、自分と違う価値観を受け入れることが自分を生きやすい世界に導いてくれる最高のパスポートとなります。 あなた様が到底受け入れられない感覚を彼氏がお持ちならば、そんな彼氏と関わることで、あなた様は自分の知らなかった新しい景色を見ることができます。 それが夫婦になる醍醐味というか、人と関わる一番のメリットではないでしょうか。 すべてが自分の価値観で許せる範囲の旦那さんなんていません。世の中のどの夫婦も、一緒に暮らすことで自分にないものを相手から与えられて成長しているのですから。 (ちなみに私は男の子の母親になったことで、本当に男性のずぼらさを思い知って、自分自身もかなりおおらかになれましたよ)
お礼
ありがとうございます。 >あなた様は、成功体験とか、他人に愛された経験が、極端に少ないのではないでしょうか? 自己診断では、きょうだいには恵まれなかったと思っています。 幼いころから最も気を使っていた相手は姉です。 最近になって、親戚が遠慮なく私に姉の異常な性格を説明してくれます。 (姉の)親戚であり、(私の)実の姉の事をオブラートに包むことなく遠慮なしに話してくれます。 姉は既婚、私は独身なので、親戚は私の将来を案じ、姉とのかかわり方として心配して本音を言ってくれています。 家族やきょうだいと思ったらだめ、自分(私)を守ることを考えないとダメ、との趣旨で話してくれます。 私もあることをきっかけに、家族だから等と疑いもなく無条件に尊敬し信じてきた姉に対する見方が完全に切り替わりました。 大切な人間関係を壊されかねません。(仏と言われるほどの父も怒りや悲しみを通り越して”姉の事は諦めた”と言っています) 一言でいえば、とってもとってもキツイ性格です。 そして、度を越したわがままで、自分の我を通すため、自分の要求を通すため、自分の正当性を主張するためなら、屁理屈にもならない無理な理屈を並べ立てて無理にでも自分を正当化します。相手を言いくるめます。 平気でうそもつきます。平気で約束も破ります。 私と父にとっての究極は(私が現に住まわせてもらっている)実家の鍵を盗んで留守中に家に入ろうとしたことです。 何故、父や私に正面からいうことなく、カギを盗んで留守中を狙って入ろうとしたのか。(翌日、鍵がなくなっている事に偶然にも気付きカギを変えたので事なきを得ましたが) 相手がどんな立場の人、どんな関係の人であっても同じです。 客観的に見ると、周囲は「この人はどう対応しても無理だから、こちらが疲れるだけだから、下手したら悪者になるだけだから」等々とのスタンスで付き合っているのではと感じます。私も姉が『裸の王様』のように見えます。 まるで安倍首相をはじめとする一部の政治家や官僚達のようです。 >男性以外の人間関係もうまくいかないのではないでしょうか? この姉の影響からかはわかりませんが、元々の性格だからかはわかりませんが、確かに、人付き合いは得意な方ではありません。 身体の特徴(アトピー)で幼稚園・小学生の頃に軽いいじめに似たことももれなく受けました。 根底に、「どうせ」という気持ちがどこかにあって無意識にブレーキを踏んで人と付き合ったり生きてきたかもしれません。 ただ、受け入れてくれると思える人、実際そういう人だとわかった時は、 普通に人並みには仲良く過ごせてきたと思っています。 拒否されること等が怖いのだと思います。 >それはあなた様のせいではないと思います。不幸にしてそういう育ち方をしてしまったのではないでしょうか。 親と軽く言い合いになったこともありますが、「もともと持って生まれた性格もあるし」と言われました。確かにそうとも思います。 なので、高校を過ぎたあたりからは自分でも自分なりに社交性になったり普通に人と関わっていけるように、背伸びしない程度に積極的になろうと努力もしてきたつもりです。 >心配性とか臆病とか、相手がしっかりしていないとか、あくまでもご自分が異常であることを認めない気持ちがかろうじてご自分を支えているのかもしれません。 やはり私の人や周囲、社会に対する見方が偏っているのですかね。 ただ、私は”そこまで??”と思う位、人に対して優しい気持ちを持っていると思っています。 >相手がしっかりしてるかどうか?という「自分の都合のための」見極めをしようとするのを、諦めるべきです。見極めるべきはそこではないです。 どこかわがままで、やっぱり”甘え”があるんでしょうかね。 もう少し、許す範囲、受け入れる範囲の基準を緩めるべきですね。 もっとおおらかな気持ち、懐をおおらかに、ということでしょうかね。 >世の中のどの夫婦も、一緒に暮らすことで自分にないものを相手から与えられて成長しているのですから。 この考え方は持って男性とお付き合いしてきたつもりでしたが、まだ足りないみたいです。 彼はおおらかっぽい印象はあります。なので、言ってしまえば私達は真逆の 性格かもしれません。 でも、お互いが今まで持ち合わせていなかった価値観を理解し受け入れる事で、お互いがいい方向へ関係を築けて成長できたらいいなと思います。 >(ちなみに私は男の子の母親になったことで、本当に男性のずぼらさを思い知って、自分自身もかなりおおらかになれましたよ) 家族で男性と言えば父親だけだったので、たぶん普通以上に男性に対する免疫というか、男性という人間をわかっていないのが原因の1つとも思えます。 色々とありがとうございました。 ひとりはさみしいし、自分をもっと広げて、人を受け入れていけたらと思います。
>弱い誰かの悩みを聞くことで弱い自分が強く思えたり、そんな自分を何とか普通に保っていた部分があったのかな、結局、弱い誰かにもたれて偽の強い自分を作っていたのかな こういう境地に気づかれたのって、すごいことですよね。私もそう思います。そしてはっきり言ってしまうと、こういうサイトでこういう質問に答える人も自分の弱さのはけ口としている部分はあると思います。 それは置いといて、あなた様のご質問は、わかりにくいというより、それは質問ではない。というのが、究極、一番妥当な回答になるような気がします。 宗教についてどの程度はまっているかは確かに気になることですし、結婚してからそのことが大きな問題となるかもしれません。ただ、現時点で話合いなどの努力をしたうえで、それでも疑問が残るならば、それはそれで仕方ないことです。どんなことも完璧に知ることはできないのです。結婚してから問題が起こったらその時に対処するしかない。 それと同じで、彼が自立した人間なのか、強いのか弱いのか、甘える人なのかどうか、それを今、見極められないのなら、それも仕方のないことです。ていうか、それを見極めたいあなた様の方に問題があるのではないでしょうか? 彼が弱くて、女性に甘えてくる人だと困るのは、あなた様なのでは?しっかりしてほしい、私に甘えないで欲しいと言ってるように見えますし、その裏では「甘えたいのはこっちだ」「私は女性だから守って欲しい」というようなニュアンスを感じますが、違うでしょうか? 一人暮らしをしたことがない男性が、家庭生活において家族に依存心があり、生活が自分中心であったりするのは珍しいことではなく、普通のことです。でもそういう男性がみな、頼りないとか、いざという時に自己中心になるわけではありません。いざという時はそれこそ「その時」になってみないと、人間の本性はわかりません。 あなた様はどういう「その時」を想定しているのかわかりませんが、今の時点で見極めることが不可能なことを見極めたいというのは、「自分に被害が及ばないように」「自分が損をしないように」という打算のように読めてしまうのですが。 何か、あなた様のご質問を読んでいると、マイナスからの視点というか、まず自分が被害者にならないように、ひいては「自分は被害者となる人間だ」という前提からの質問のように思えます。 そして「自分はこう考えるのに」「自分はこうしているのに」とご自分の価値基準を相手に要求し過ぎてはいませんか。 でも実際はどうでしょう?あなた様は絶対自分は自立してると言い切れますか?結婚したら絶対相手に甘えたりしないと言い切れますか?相手がものすごく困った状況になったとき、絶対に逃げないで相手を支えると言い切れますか? 物事は本当に起きてみないと、わからないのです。あなた様のこのご質問のようなことは、世のほとんどの男性はこういうものですし、実際に何かが起きたときに「夫にもっとしっかりしてほしい」とか「夫は意外と頼りになる」とか思いながら、世の中の夫婦はそうやって成長していくものだと思います。 あなた様のようなそんな小さな相手への不満を「はっきりさせてからでなくては」結婚できないというなら、あなた様、本当に良縁には恵まれませんよ・・・・。 それとこれは老婆心ながら、私の勝手な考えでもありますが、男性の女性に対する一番の誠意は、「最後まで見捨てないこと」だと思います。いざという時に頼りなくて逃げ腰で、真面目に向き合ってくれないとしても、とにかく見捨てないで関係を断たないでいてくれるのが、男性が女性を「守る」ということだと思うのですけどね。
お礼
>どんなことも完璧に知ることはできないのです。結婚してから問題が起こったらその時に対処するしかない。 そうですよね。私の欠点として、石橋を叩いて叩いて壊したり渡らなかったり、先の事が最大限わからないと前へ進めない、決断できないというところがあります。 そもそも相手のあることはなおの事、先の事なんてわかりようがないのに、 わかったところでその通りになるとも限らないのに「出たとこ勝負」「なるようにしかならない」という風に、ドンと構えられない心配性・臆病者です。 その点、彼は見方によっては逆で「何とかなるだろう」といい意味で深く考えない部分はもしかしたらあるかもしれません。 >それと同じで、彼が自立した人間なのか、・・・それを見極めたいあなた様の方に問題があるのではないでしょうか? 言われてみれば、確かに…私の方が弱くて甘えててわがままだから、 彼にはそんな自分を受け入れて、それだけでなく守ってと、 10代や20代の恋愛の様な、男女差別しているかのような、 「男としてしっかりして」と求めてしまっているのかもしれません。 >マイナスからの視点というか、まず自分が被害者にならないように、ひいては「自分は被害者となる人間だ」という前提からの質問のように思えます。 40代過ぎて50代も近くになっての結婚となると、お互いが性格はもちろん自分の生活や諸々が決まってしまっていて、その上、夫婦二人だけの結婚生活になる可能性の方が高いし、女性側の負担の方が大きくなってしまうのかな、と考えてしまっているかもしれません。 若い時に結婚しても、子どもがいようがいまいが、女性が我慢する場面は多いとは思うのですが、人生も折り返しを過ぎてからのそれとではやっぱり少し違うのかなと…男性も我慢する場面はあるとは思うのですが…上手く言えないんですが、なんとなくのイメージではありますが。 こういう思考も私のマイナス思考、悲観的発想が強すぎるかもしれませんが。 >世の中の夫婦はそうやって成長していくものだと思います。 あなた様のようなそんな小さな相手への不満を「はっきりさせてからでなくては」結婚できないというなら、 私の方が彼よりも格段に、甘えがあり自立心がまだまだお子ちゃまな気がしてきました。 当たって砕けろ的な、その時はその時、ともっとドンと構えてられるような強さが足りないのだと思います。 最後の、男性の女性に対する誠意・女性を守ることについての考え方は、 なるほどと思いました。私が考える「守る」という意味が浅いというか、上辺というか、真の優しさ・誠意・守るというのはこういうことかもしれない、深いと気づかされました。 当然の如く、自分もできた人間ではなく完ぺきではないと謙虚な姿勢でいるつもりでしたが、 無意識にしろなんにせよ、もしかして本当に、彼より私の方が不安要素を感じさせる、実際に弱い人間で、彼はそこまで見抜いているのかもしれない、とさえ思えてきました。 いろいろとありがとうございました。
- inuusagi_8
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あなたが自分でその依存を断ち切る力さえあれば、そこまで悩む必要もないのではないかなと思います。 >彼がどの程度自立した気持ちや考え方を持っているのか未だにわかりかねている部分があります。 色々な理由を付けて問題点を複雑にしていますが、結局はこれですよね。 彼に突っ込んで話も聞けていない、聞いてもあなたには話してくれない、 だから想像するとか、誰かに判断してもらうかしかなくて、ネガティブな方にどんどん不安が増しているのだろうと思います。 質問者様自身も彼同様にわからないことに対してかなり不安を感じやすい女性に見受けられますし、 結婚に対してしっかりしなくてはという義務感も強く持っていらっしゃるため、 余計に彼に対する猜疑心が増しているのではないでしょうか。 ですが、結婚前にいくら大丈夫と石橋を叩いても駄目なことはあります。 彼があなたに嫌われるのを恐れるあまりに素の自分が出さずに隠しているとなると、 これは簡単には見抜くことは難しく、何年もかかるかもしれません。 現時点ですでに甘えの兆候を感じているのならば、何もしなければもっと出てくるだろうと思います。 大事なのは「これまでの彼」ではなく、 あなたが関わることでどう変わるかを見極めることではないですか。 甘さを感じたなら、その際に自立したあなたの考え方を彼に示し、 彼がそれをどのように受け止めるかを見てあげれば良いのでは。 新しい価値観を素直に受け入れる素養があるならば、 あなたが一緒にいることで自立した生き方が自然と定着するかもしれません。 反発したり無視したりする場合はあまり希望は持てないでしょうが。 相手の考え方を知ることも確かに大切ではありますが、考え方や価値観は属する集団が変わることにより変化することもあるので、 今この瞬間にも変化を促すことができる人がいれば、数ヶ月先、数年先には全く別の人になるかもしれないのです。 二人が一緒にいる時に、彼もあなたにも前向きな良い変化を感じられることが多いなら、 その良い効果は連鎖的に広く影響していくのではないかと思います。 話し合いも噛み合わず、気持ちもなかなか動かないとなれば無理に相手を知ろうとはしても一方通行のままかもしれませんね。 思い込みと遠慮が二人を阻んでいるうちは、 なかなか難しいものです。
お礼
>あなたが自分でその依存を断ち切る力さえあれば、そこまで悩む必要もないのではないかなと思います。 確かにそうですよね。 ただ、私も相当悲観的というか、不安ばかりが頭をよぎるのですが、 (私の欠点かもしれません) 依存を断ち切っても、断ち切られて対処できる能力(?)を備えていなければ、更に2人にとって致命的にもなり得るかという懸念もあります。 「できるけれど」甘えて依存しているならまだいいかもしれません。 「できないから」となれば…2人で共に生きていくには少し不安です。 そこまで私もしっかりしていないし、完ぺきな人間ではないし、 それこそ共倒れしてしまいそうです。 >大事なのは「これまでの彼」ではなく、 あなたが関わることでどう変わるかを見極めることではないですか。 こういう発想はできていませんでした。 人の「過去」より「これから」どう変わるか、が大切ですよね。 そういえば出会った当初は、「私が彼を変えてみせる。変える」と思っていました。 >思い込みと遠慮が二人を阻んでいるうちは、 なかなか難しいものです。 まさに今はこの状態かもしれません。 ある意味、似た者同士なのかはわかりませんが、相手にもう一歩踏み込む勇気がなかったり、気遣いによる遠慮があったり、だからこそ、自分だけで色々考えて、徐々に悲観的な思考になって・・・という感じかもしれません。 私はかなり踏み込んで色々言っているかもしれませんが、 その割に、彼の意志がどこにあるのか、私たちの関係をどうとらえているのか(少なくとも婚活イベントで知り合っているので)、自由なのか大きく構えているのか、まだまだ判断できない部分が多いです。 もう少し根気よくお付き合いし見極めて、お別れするにしても後悔ないようにできたらと思います。 でも、やっぱりこのまま別れるのは寂しい気持ちがあるのも事実なんですけれど、こればっかりは相手のあることなので、自分が納得できるようにしていけたらと思います。 ありがとうございました。
- douzoyorosikune
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既婚女性です。 不安は、目に見えないものに対して抱きますよね。 相手が誰であろうと、結婚してうまくいくかどうかなんて誰にもわかりません。 この人と一緒だったら乗り越えていけると感じられるかどうかは、本人たちにしかわかりません。 >それが自己が精神的に自立した上での甘えと、そうでない甘えは、どちらか片方への「依存」になってしまう気がして、それなら片方が極端に負担になる結婚生活、最悪は共倒れになってしまう心配があります。 これは、親子・兄弟関係の相性と、夫婦の相性にもよると思います。元々甘えがちだった人が結婚してからしっかりしてくることもありますし、その逆もあります。 やさしさと弱さは表裏一体、そういった彼の特性を長所として受け入れられるかどうか、ひとつの相性の判断の目安になるのではないでしょうか。 彼のやさしさがどうも弱く感じてしまうのか、彼の弱さがやさしさとなって弱い人を救う長所と感じられるかどうか。 前者だと結婚後不満をずっと抱きかねませんが、後者だとそんな彼を支えていこうと心から思えるだろうからです。 >その辺を見極めるには、彼とどうお付き合いし、どういう視点で判断していけばいいでしょうか。 お相手が彼限定というわけではありませんが、どの方とお付き合いしても話し合いは重要です。 (1)問題が起きてもふたりでしっかり話し合って解決できるか。 (2)喧嘩をしても、しこりを残さずに仲良くいられるかどうか。 私は婚活を経て主人と出会い結婚に至りましたが、主人に「不安が消えないと結婚できない」と説明した上で自分の不安が消えるまで何度も話し合い、時に喧嘩もしながらぶつかってぶつかって、解決していきました。 主人も人間ですから怒ることもありましたが、喧嘩の後は全くしこりは残りませんでした。 質問者様はご自身の不安をきっちり把握しておられるので、不安から目をそむけることなくお相手と向き合っていけると思います。 (3)そして最終的に質問者様が抱いている宗教への不安を克服し、今後質問者様の親族に彼の宗教について説明しなければならないような場面に遭遇した時、質問者様は周囲を説得できますか? 特に日本人は「宗教」と聞くと敬遠しがちな民族です。 いかに相手と向き合えるかが夫婦のきずなの強さに関わるので、(1)と(2)ができるのであれば、(3)も大丈夫なのではないでしょうか。 少しでもご参考になれば幸いです。頑張ってくださいね!
お礼
>親子・兄弟関係の相性と、夫婦の相性にもよると思います。元々甘えがちだった人が結婚してからしっかりしてくることもありますし、その逆もあります。 結婚してからも人は確かにいい方向へも悪い方向へも変わりますよね。 お互いがいい方向へと変わっていける関係になれたら理想的です。 人は常に変わるのが人間ですし、まして、他人同士が結婚しての共同生活となると、尚更だと想像します。 >彼のやさしさがどうも弱く感じてしまうのか、彼の弱さがやさしさとなって弱い人を救う長所と感じられるかどうか。 >前者だと結婚後不満をずっと抱きかねませんが、後者だとそんな彼を支えていこうと心から思えるだろうからです。 彼に限らず、人の特徴を否定的(短所)に見るか、肯定的(長所)として見るか、 私自身の人間性も問われている気がします。 優しさと弱さは表裏一体ですが、また、長所と短所も表裏一体ですよね。 今は「弱いのかな、否、優しいからかな」と日々彼に対しての見方も揺れ動いているというのが正直なところですが、 長所という見方からスタートして、(たとえ弱さの方が強かったとしても) 真の優しさに変わっていけるよう、彼をいい方向へ変えられるよう、 自分ももっとしっかりして強く支えていける自信をつけなければならない、 そういう揺るぎない考え方を持てるよう自分も変われたら、 彼も自覚して当事者意識をもっていい方向へ変わっていき、 お互い高め合えて、幸せになれるかもしれませんね。 >主人に「不安が消えないと結婚できない」と説明した上で自分の不安が消えるまで何度も話し合い、時に喧嘩もしながらぶつかってぶつかって、解決していきました。 今の私達の関係もどちらかというと、私の方が、何かと(嬉しい事も言いますが)不安や不満を彼に言ってばかりかもしれません。 不満を言う時は必ず一方的に言わないようにはしています。 彼を全否定はせず、彼の言動も認め、彼に逃げ場も作りつつという感じです。 ただ、感情の垂れ流しになってしまうかもと前置きをしつつ、言ってしまう事もあるのは事実ではあるのですが… こんなある意味お子ちゃまな部分を彼は一応「大丈夫」「話しよう」とは言ってくれます。 ただ、お互いが好ましくないと思いつつもなかなか会えないので (遠距離でもないのになかなか会えないというのも問題だと思っています)、 メールで話してしまう事があり、「大丈夫。話しよう」というのもメールでのやり取りとなってしまっています。 現段階で、会ってじっくり話すという事は実現できていません。 この辺もとても気になるところです。 こういう事からも私がマイナスな事も何でも率直に話している割には、 彼はまだ飾っているのか、率直に話してくれていないように感じていて、 彼に対する不安にもつながっているようにも思います。 一度会った時「怒ることある?」と聞いたことがあったのですが 「修行のこと思ったら…」みたいなことを言っていたので、良く見せようとか、逆に正面から私の不満や不安を聞かず聞き流しているのではなく、 彼の優しさは本物で、穏やかな性格ではあるのかもしれません。 まだ判断しかねる部分が多いです。 (1)が特に私も懸念するところです。 いざという時逃げ腰になる人なのか、 (自分は何もせず)周囲が何とかしてくれるのを単に待つだけの人なのか、 キチンと当事者意識をもって問題に向き合ってくれる人なのか。 彼の優しさが本物ならば、弱さからの優しさではなく、しっかりと人並み程度にはしっかりと精神的にも強く、結果、問題から逃げることなく向き合ってくれるはずだと思います。 もちろん、私自身ももっと強くならないといけないとも思っています。 ありがとうございました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
タイの少年洞窟遭難事件は、ご存知ですよね。 タイは仏教国であり、一生のうち一度は出家するのが習慣となっている国でもあります。少年たちを引き連れていたコーチは親のいない環境に育ち、そのため子供の頃から10年ほど出家されていた経験をもっています。 今回の遭難では、そのコーチが修行僧時代に培った瞑想を子供たちと共に行っていたことが判明しました。実際に禅宗などで洞窟のような人と離れたところに籠って修行することがありますね。 これによって子供たちは精神の平静を保つことができ、また無駄に動いたり騒いだこともなかったので閉ざされた環境で致命的な酸素不足になることもなく、またカロリーの消費を抑えて体力の消耗も防ぐことができました。子供たちは実際は5日が過ぎていたのに3日だと思っていたというのもその効果でしょう。 タイでは仏教の教えに基づいて子供は宝物だと考えています。そしてお坊さんも尊敬の対象とされています。子供たちがコーチの教えに従ったのもコーチがお坊さんだったからというのもあるでしょう。 また人々は「困ったときはお互いさま」の精神で惜しむことなく協力しました。現場ではボランティアやダイバーのために食事を用意するテントが現れましたが、そこで働いている人たちももちろんボランティアなら、用意された食料も寄付されたものだったそうです。 全国のお寺では彼らが助かるように祈る人々が集まり、洞窟内に溜まった水を外に放出したために田んぼが水没することとなりましたが、その田んぼを持つ農家の人は「彼らが助かるためなら、喜んで犠牲を払う」といいました。そして少年らやコーチが批判されることはほとんどありませんでした。自己責任論が一番出ていたのはどうやら日本だったようです。日本で同じことが起きていたらどれだけ少年たちやコーチがバッシングされたのかと思うとゾッとします。「救援にかかった費用を全額彼らに払わさせろ」となったでしょうね。 さて、これについてどう思いますか。仏教なる怪しげなものに洗脳された憐れな人たちと思うでしょうか。それともまた別の感想をお持ちですか。
お礼
出家して修行しても、途中でついていけなくなったりして修行の途中で帰ってしまう人が多いとも聞きます。 芸能人でも出家した人もいますが(思いつくところでは保坂尚希氏や市川海老蔵氏)。 リタイア者が出るような厳しい修行を終えた、というだけでも確かに彼の事を尊敬すべきで、ひとくくりに(彼の言葉を借りれば)宗教にはまったからというだけで、悪い見方をするのは間違っているかもしれませんね。 ありがとうございました。
- doraneko66
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そもそもやめておいた方が無難です。 焦らず素早く判断して、次の人へ次の人へと 行動していくべきでしょう。 神様が全てな人は、他人への敬意がありません。 居もしないものをたてに言いたい放題です。 解釈も人それぞれ様々でしかなく 戦争は終わりません。
お礼
>神様が全てな人は、他人への敬意がありません。 そうなんですかね。 今の彼は…敬意がないのか、気づかないのか、自分が中心なのか、まだまだ見極められていません。ただ、優しい人間ではあると思うのですが… ありがとうございました。
なにか、無用の勘ぐりばかりされているように見えます。 宗教に入っている人は、ある程度その宗教に関してしっかりした考え方があります。 そのしっかりした考えがある人に、その考えを聞いて失礼ということはありません。 聞かないで勝手に疑心を持たれている方がよほど失礼に思いますよ。 僧侶であれば、入門したときに名前をもらいますが、あなたの周りでも、亡くなられた方がいて、その方が仏教なら皆持っている、戒名です。 戒名とは、その宗派に属する(亡くなった後でもおなじ)ための名前であり、キリスト教なら、クリスチャンネームです。 クリスチャンネームを持っているキリスト教を信仰している人は普通なんですけどね。 仏教の場合、亡くなってから戒名をつけますが、それはそのときにその宗派に入るという仕方なくつけられるものであって、本来は生きている時からつけるべきものなんですよ。 なので、僧侶であれば、僧侶として入門した時から多くの人が亡くなったときにつけられる戒名がつけられ、その宗派の中では、その戒名がその宗派での名前となります。 なので、僧侶になってそこでの名前を持っているというのは、当たり前の話であって、なにも不思議な話でもないんです。 基本的に宗教というのは、人間の考え方の学問ですから、そういう考え方から好きになる人というのも結構いると思いますよ。 まぁ、一部のカルト教団と呼ばれるのはありますが、昔から続いているものは、それなりの考え方のあるものですからね。 ただ、住職でないわけですから、それを専業とすることもできないという話はあるでしょう。 跡継ぎがいないなどの寺が出たときには入れる可能性はありますが、あまり多くはありませんので。
お礼
もう一つ名前を持っていること、戒名のこと、 もっともっと彼本人に聞くべきなのに、その前に、自分で勝手な想像(それも悪い方へ)をしていた部分が多くあることがわかりました。 性格的に石橋を叩きすぎて渡らなかったり、石橋を壊してしまうほど、 心配性で、悲観的な思考が強い方なので、意識して気を付けるようにしないと、生きていけない気がしました。 ありがとうございました。
お礼
すみません。自動で締め切りになってしまいました。 >その弱い部分であなた方は共鳴して関係を保っているのではないでしょうか。 たぶんそうです。 一方で、 >しっかりしていてグイグイ引っ張っていってくれるような男性が、あなた様のような女性を好きになると思いますか? 確かに、こうも思います。 だからこそ、今の彼とキッパリ別れきれないのだと思います。 頭では結婚しない人生も十分に視野に入っていて、覚悟を決め始めているとはいえ、まだ甘い夢を見ている自分も確かに存在しています。 >そして共依存の関係での結婚は、必ず破綻します。 弱い部分で共鳴し合っている、正に共依存となんとなくわかっているからこそ、こういう不安が湧き出ています。 離婚という破綻もありますが、逆にそうではなく、仰る通り、不幸になるシナリオ_私が苦労をするか、彼に呆れられながらも離婚する勇気も出ない逃げ出せない状態(心理的も)になるのでないかという_があります。 ここまで読ませて頂いて、やはり私達は結婚までは至らないか、と感じました。 ですが、読み進めると、自分次第だという指摘につながっていて、 彼との将来は自分がカギを握っていると自覚し、改善する行動をとるべきだとのことで、希望が持てます。 >そして共依存といっても、彼氏はおおらかな部分もあり、あなた様が新しい世界を切り開くのにはうってつけの人材ではないかと思います。 彼の良い部分に目を向けると、こういう思いは本当にあります。 閉じこもって、安全な道しか歩んでこなかった自分を変えてくれる、 自分自身が自然と変えようと思えるのではないか、 全く違った、それも楽しい人生を教えてくれるのではないかと。 こういう見方もできるからこそ、やはり、キッパリと別れきれないのだとも思います。 >けれど渡らずにそこにとどまるのは、もっと不幸なことではないですか。(現状の)この人生を続けていきたいですか? >橋を渡る勇気を持って、彼氏のおおらかさや楽観性に触れてみてはいかがですか。 彼の言動やメールでのやり取り等々、自分の取り方がおかしいのかと色々な捉え方を考えてみました。 もっともっと思う以上に、寛容な受け止め方をしてみました。 不安や疑問に思っていた彼の言動に少し変化を感じました。 私の不安等を感じ取ってくれているのかと実感できる部分があったことはうれしいです。やはり自分の取り方がゆがんでいたのかと実感しました。 総じて彼は確かに弱い部分はあるかもしれません。でも、同じく弱い部分を持っている私と違う点は、楽観的・おおらか・前へ進んでみようとする姿勢があるということです。 それを感じたのが仕事面なので、やっぱり私なんかよりずっとずっとしっかりした大人なのかなとも思えます。 完ぺきな人間はいないし、確かに、冒頭で指摘いただいたように 彼と逆のタイプのしっかりして弱い部分がなくてリードしてくれて…という男性は、私のような女性には寄ってこないだろうし、 私も自分がダメ人間だなどと常に緊張を強いられてしまう気もします。 踏み込んだ指摘を本音(?)でしていただいて、疑うことのなかった自分の悪い部分を自分の事として向き合うきっかけにもなりました。 ありがとうございました。