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障害者や妊娠中の女などの弱者は特別な存在だと思う?
- 障害者や妊娠中の女などの弱者は特別な存在だと思うのか?その理由や周囲の人々の対応について考えてみましょう。
- 障害者や妊娠中の女性は、一人の人間であり特別な存在ではないという考え方もある。彼らの責任と周囲の配慮の問題は別である。
- 一部の人々は自分が特別だと思っており、周囲に特別扱いを求めるが、それは金銭的な報酬なしに特別扱いを受けることはできないという常識的な考え方である。また、妊娠中の女性に席を譲ることは義務ではなく、個々の判断となる。
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質問者が選んだベストアンサー
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1 弱者は周りから無条件で特別扱いしてもらえる存在だと思いますか? はい。 生まれつきの身体障害者って自己責任に思えませんから。 妊婦も老人も辛い人はできる限り助けたい。 2 自分が電車に乗ってたら、障害者や妊婦には必ず席を譲りますか? 譲らないこともありました。 自身が具合が悪ければできないが多くは譲っています。 kororadoさんとこの妊婦さん似てますよね。 譲らない正義と譲られる正義を主張されることがです。
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- washi-washi
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>1 障害者や妊娠中の女、あるいはジジイやババアなどのいわゆる弱者は周りから無条件で特別扱いしてもらえる存在だと思いますか? なら、あなたも質問に挙げてる様な状態になってみてはどうですか? 何なら、片足でも失ってみてください。そうすれば、バカげた質問だと判りますよ。 要は、あなたには「相手の立場にたって考える・人を想う能力に欠けている」と言う事です。 >2 自分が電車に乗ってたら、障害者や妊婦には必ず席を譲りますか? これはアンケートですから、アンケートカテゴリでやってください。
- seto2004
- ベストアンサー率23% (160/691)
日本人と中・韓国の方との違いは 相手の事を思いやる心があるか無いかの違いです。 欧米人は本来は自分本位、われが先ですが、熟成した民主国家の歴史の中で 次第に障碍者とか恵まれない人に心を注ぎ寄付行為はすごいですね。 日本はまだ寄付行為は低調ですが思いやりの心は世界一です。 でも五体不満足を書いた乙武洋匡氏がレストランに訪問した時 店員が迎えに来ないという事で大騒ぎされたという出来事や スーパーのエレベーターで妊婦が先に乗れなかったことに腹を立ててトラブルになった事など 最近は悲しい事件がありますが ご不自由な方は謙虚に。正常な方は思いやる心を表に出して 生活したいものです。
お礼
はい
確かに、「障害者だろうが妊娠中の女だろうがただの1人の人間です」には間違いないです。 ですが、その人間に対して憂慮するという考えを否定する事は出来ません。 何故なら、貴方も言っているように「弱者」だから。
お礼
はい
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
- ベストアンサー率13% (1225/8755)
障害者 妊婦 ジジイ、ババア なった人でなければ判りません ですから優先席があるのです。 マタニティマ-クは初期のうちは見かけは普通の人に見えるので 付けなければ判りません。 心臓マ-クも見かけでは判りませんので 付けているのです。 其の他見たところは普通でも障害者の人はいるのです。 席を譲れと言っているのではないと思います。 でも優先席では譲るのが普通ではないでしょうか 優先席で10代20代と思しき健康な人が 座っているのはどうかと思います。 普通席に座れば譲らなくてもご本人の自由です。 障害者も妊婦も ジジイババアも 乗りたくて混んだ電車に乗っているのではないのです。 病院の時間帯やいろいろな事情によって 仕方なく乗っているのです。 席の前に立っていれば座らせろと言っているように見える ではどこに立てばよいのでしょうか 席のない所に立っていれば空いた席に座れません 席は譲らなくても自由ですが マタニティマ-クを見せびらかして座らせろと 言っているように見えると言うのは ちょっと考えすぎですね。 口に出して言っているのではなく 只立っているだけなのですよね。 質問様は気の優しい人なのですね。 ですから妊婦に立たれると困ってしまって悩み そんな事を言っているのでしょう 若くても疲れることはありますから 普通席では自由でよいのでは無いでしょうか
お礼
はい
- Milkystrawberry
- ベストアンサー率28% (64/224)
辛そうに見えたなら、譲ります。 つまりジジババ妊婦関係なく、体調不良や怪我してるならってこと。 いつもその電車で当然のように怪我してるのでとのたまう人などはちょっと……ですけど。 ずいぶん前、私、突然電車で立ってたら具合が悪くなってしまったことがあります。 だんだん朦朧としてきて、目の前がテレビのすな嵐のような視覚異常が起こり……立てなくなって座り込み、とりあえず水を飲もうと足元にある落としてしまったはずの鞄を漁ろうとしたのですがよく見えなくて触れることもできず。 これは尋常じゃない!とたぶん若いお兄さん?が席に座りなよと手を引いてくれました。 座った私の膝に見失ってた鞄をあげてもくれました。 未開封の水を持ってたようで、目の前であけて差し出してもくれたようです。 周りの方々も脂汗をかいてる!真っ青だ!と気がついたらしく、私の周りをひろく開けてくれた。 私一人で席だけで3人分近くと、正面も開いてた気がする。 意地でも立つつもりだったけど、立てなくなって情けなかったけど、とても周りの優しさが嬉しかった。 あの時のことは一生忘れません。 体調不良だからとマトモにお礼どころか喋れないまま、次の駅で若いお兄さんは降りてしまい、その次の駅で私も降りました。 (幸いその駅で待ち合わせしてたので、友達が私を看てくれました) 正直後悔しています。 なので、体調悪いときに気遣ってもらうというのは、私からするととても感謝すべきこと認識しています。 体調悪くはないけど私は○○だから、譲られるべきだ!という考えはあまりに厚かましく思います。 ホントにされるべき人は主張しなくても、してくれるものなのではないでしょうか?
お礼
はい
お礼
はい