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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:贅沢なわがまま)

退屈な毎日に飽きた女性が楽しめる一人遊びとは?

このQ&Aのポイント
  • 退屈な毎日に飽きた女性が楽しめる一人遊びを探している。仕事で満足感を得るものの、飽きが生じた。何か新しい刺激を求めているが、体力と気力がなくなってきた。女性なのでおしゃべりは疲れる。一人で楽しめる遊びを教えてほしい。
  • 女性が飽きない一人遊びを探している。仕事では満足感を得るものの、新しい刺激が欲しいと感じている。体力と気力がなくなってきており、おしゃべりは疲れる。一人で楽しめる遊びを教えてほしい。
  • 女性が楽しめる一人遊びを探している。飽きた毎日から抜け出し、新しい刺激を求めているが、体力と気力が欠けている。おしゃべりに疲れることも多い。一人で楽しめる遊びを教えてほしい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • agehage
  • ベストアンサー率22% (2753/12076)
回答No.4

飽きない趣味を探すという暇つぶし 人はいつか飽きるもの こんな言葉も好きになって貰えば飽きる事にも飽きなくなるような

mon205
質問者

お礼

なるほど・・・面白い! 飽きる事に飽きなくなる。 けど、それって、もう「活きている」感も無いような。。。 誰かと比べたことはありませんが、本当に豊かな人生でした。 もしかしたら、もう生きることに飽きている?のかも知れませんね(笑) ありがとうございました

その他の回答 (7)

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.8

いろいろな考え方がありますが、私の言う頭は心そのものです。慾も意欲と考えれば頭と心が同じものであることが納得できないでしょうか。頭が先に滅びるのじゃないかと心配するのは頭です。体には慾はありませんから心配しないのです。

mon205
質問者

お礼

ああ、欲→意欲ね。。。 私は「心」最優先で生きてきたけれど・・・ ようやく「頭」が「心」を制御できるようになったんだな(笑) 「幸せすぎて退屈」と言ったけど 「退屈だから幸せなんだ」と、今「頭」が「心」に言い聞かせている途中なんだな^^ ありがとうございました。

mon205
質問者

補足

kaitara1さん、おかえり^^ では、これにて、こちらの質問を締め切らせて頂きます。 何度もお付き合いいただいたのに、ベストアンサーでは無くてスミマセン。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.7

慾あっての私というのは頭あっての私ということで、これが生きがいといわれるものです。一方体あっての私というのは居甲斐に相当します。よほどぼけなければ、頭の論理と体の論理は最後まで共存します。

mon205
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうです「欲」ですね。 しかし、自分は「欲」は心のつもりでいたのですが・・・ 頭・体・心。 このバランスの問題です。 頭よりもココロ最優先で生きてきました。 色々と便利な世の中になって「頭」をフル回転する事も少なくなってきました。調べもの等、頑張る過程が楽しかったのに、なんでも簡単に教えてくれる。 「ああ~ますますアホになって行く~」と思いながら便利なモノに頼ってしまいます(汗) 体もそうですね。 そんな頭と体の衰えをココロが支え、引っ張って行ってくれるのだと。 恐らく、自分は、体よりも頭の方が先に滅びてしまう気がして危機を感じているのかも知れません。 案外、ココロも衰えて行っているのか? 「欲」や「拘り」が、今まで「楽しさ」を見つけてくれていたのかな? そんな風に思いました。 勉強になりました。ありがとうございました。

mon205
質問者

補足

kaitara1さん、黄色くなるけどクリックできますよ? スマホから? 私はパソコンからですが

  • SAKUiro
  • ベストアンサー率16% (65/397)
回答No.6

脳が全てではありません。脳を含めた身体が全てなのです。別物ではないのですが。

mon205
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 なんか、不思議な人だなあ~と思って、過去の回答を拝見させて頂きました。 頭の悪い表現で申し訳ないのですが、アナタに大変興味を持ちました^^ 今しばらく、ココでの楽しみを見つけた気分です♪ ありがとうございます^^

mon205
質問者

補足

ん?

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.5

おすすめいただいても大したことは考えておりません。若い時は欲あっての私というのが年をとると体あっての私になってくるかなと思います。つまり頭から体に主人公が変わってくる。実は体は死ぬことを恐れていません。死を怖がるのは頭です。心臓移植を受けた患者さんの体は、移植された心臓を拒絶反応で排除すれば自分は確実に死ぬにもかかわらず拒絶してしまいます。頭(医学)は拒絶させないためにいろいろなことをやります。頭が、体は愚かと思うのは頭の論理があるからです。体の論理では他人の心臓は病原体と同じなのです。心にも同じようなことがありそうですね。年をとると頑固になる半面、寛容にもなってくるのも面白いことだと思います。

mon205
質問者

お礼

ここへ、補足と同時にお礼を書いたつもりでいましたが・・スミマセン。 次の回答を頂いたので、そちらにて。

mon205
質問者

補足

>実は体は死ぬことを恐れていません。死を怖がるのは頭です ?そうでしょうか? 実際危機迫ると本能がどうするかは未知数ですが、なんとなく「死を恐れてはいません」と言える自分が居ます。 頭が怖がる? 故にボケたり忘れっぽくなって行くのでしょう? 自覚有ります。子供の時から忘れっぽい人間でした。 関係あるかわかりませんが、誰も気づかない些細な事に気づく勘は鋭かったようです。 けれど、それは「組織」や「群れ」では無駄なモノと、研磨されてしまいました。 頭が恐れるのは、若い時の鮮明な記憶のせいなのでは?と思うのですが、如何でしょう?

  • SAKUiro
  • ベストアンサー率16% (65/397)
回答No.3

興味のある分野とかも、なくなってしまいました?量子力学とか、古代仏教とか。

mon205
質問者

お礼

残念ながら、量子力学とか古代仏教、全然興味わきません。 そうそう、一時期、写経に凝っていましたが、、、 結局「坊主も人間」みたいな(笑)

mon205
質問者

補足

ん?

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.2

子供のころにおもしろかったことは今でも面白いのでは。また年をとってくると生き甲斐より居甲斐、つまり生きていることが生きていることの目的になってくるらしいです。また逆説で死が近くなると死ぬ気がしなくなるということもあるようです。要するに生きていることと死ぬことの違いがはっきりしなくなるからでしょう。

mon205
質問者

お礼

ありがとうございます。 >子供のころにおもしろかったことは今でも面白いのでは。 ああ、なるほど・・・ 子供の頃・・・ゆっくり思い出してみます。 >年をとってくると生き甲斐より居甲斐、つまり生きていることが生きていることの目的になってくるらしいです。 深いですねぇ。。。 とても面白いヒントを頂いた気がします。 「居甲斐」 確かに、今の相方が優しすぎて 「まるでペットみたいだなぁ」と思う事が(笑) >死が近くなると死ぬ気がしなくなるということもあるようです。要するに生きていることと死ぬことの違いがはっきりしなくなるからでしょう。 きっと、この辺りなのかも知れません。 もういつ迎えが来ても怖くない。。。って思いつつ、 そう簡単には死ねないのだろうな・・・まだまだ先は長い・・・なにしよう?って。。。 ありがとうございます^^

mon205
質問者

補足

お暇な時で結構です。 >生きていることと死ぬことの違いがはっきりしなくなるからでしょう。 この辺り、もう少しkaitara1さんの見解を聞かせて頂けますか?

  • SAKUiro
  • ベストアンサー率16% (65/397)
回答No.1

興味があるかはわかりませんが、着物とかどうですか?外商さんを呼んで、生地から小物から選ぶんです。そして出来上がったら、着付けとヘアアレンジの人を呼んで、あれこれお召し替え。ちゃちゃっとやってくれますよ。私なら、楽しそうだなーとおもうんですが。ちょっとお出かけしようかな?って気にもなるかもしれないし。

mon205
質問者

お礼

ありがとうございます。 技術が衰えて行かないように、練習と虫干しも兼ねて、もう少し着物たちと触れ合う回数を増やしてみますね^^ 出かける当てがなくても、暇つぶしにはなりますもんね。

mon205
質問者

補足

ああ「贅沢」に反応されたのですね。 ありがとうございます。 お陰様で、贅沢三昧させてもらえました。 全て自分で出来てしまうので、人様にして頂くのは楽しくないのですよ。