• 締切済み

解離性(?)の精神症状に詳しい方、ご意見ください。

昨年度、ASD(自閉症スぺクトラム障害)の診断を受けた者です。 最近気づいた長年の解離性(?)精神障害とその症状についてお伺いします。 長々と書き連ねていますが、どうかお付き合いいただけますと幸いです。 ASDの診断が確定して以降は、障害の度合いがそれなりに重度であるという前提により、現在も専門医師のもとで継続的な診察を受けています。 ですがその過程の折、最近になってどうしても気になることができました。 それは自分の主観というか“人格”が、限定的に分離されているかもしれないということです。 (※自分でも理解が追いついておらずそもそも知識も乏しいので、説明が分かり難かったら申し訳ございません。) 例えば先日、診察の過程で「生きていてくれてよかった」という言葉を第三者から言われた機会がありました。 ですがそれを聞いた時、その言葉が「自分に対して言われた言葉」だという意識が自分の中にはほとんど生まれず、嬉しいとか哀しいとかどうでもいいとか、そういった類の感情もいまいち感じることができませんでした。 むしろ「何言っての?こんなヤツに生きてる価値なんかないでしょう!(笑)」…といった風に、まるで他人を嘲るようなニュアンスの言葉をそのまま返してしまいそうになった自分自身を自覚しました。 もちろん、それはさすがに場違いだろうという経験則に基づいてどうにか誤魔化しましたが、紛れもなくその言葉を言われたはずの「自分」が当事者としてどう受け取ったのか、そしてそれにどう返すのが適切だったのかは未だに分からずじまいです。 こういった様々な感覚のズレは、今もかなりの頻度で起こります。 診察の過程で過去のエピソードを話す際、あくまで自分の体験や感情の起伏について話しているはずなのに「こう思っていたのではと思います」や「こうだったんじゃないでしょうか?」といった説明口調を多用し、まるで物語の登場人物の心情を述べているかのような内容でしか、「自分」は「自分のこと」を話せません。 日常生活を過ごすうえでもそれは顕著で、酷い時は食事や睡眠をとるだけでも「お前みたいなのが普通の人みたく食って寝る生活をするなんて、いいご身分だよなぁ?」…といったように、明らかに私の意識とは違う言葉によって罵倒されることが度々ありました。 ただでさえ、少しでも周囲に対して不満めいた感情を抱けば「お前ごときが他人様に意見する気か?何様なんだお前」と詰られ、逆に周囲から好意的・肯定的な言葉をかけてもらうと「調子に乗るなよ?周りの人間は優しいから、お前に気を遣ってやってるんだ。本心じゃないんだからな?」と必ず釘を刺してくるその声に、自分の方の意識はいつだって呆気なく塗りつぶされます。 他にも「お前は異常だ」「なんでまだ生きてるわけ?」「さっさと死ねよ、邪魔なんだよ」といった言葉を自分の中で浴びせられることももはや日常茶飯事で、けれど少し前までは、これらは俗にいう「自虐」の一種であり、“本心では思っていない否定的な言葉を自発的に考えているだけ”なのではないか?とも思っていました。 ですが、冷静になって考えると、どうやらそれとも少し違うようなのです。 未だに正体が不明瞭なこの声は、「自分」に対して、まるで赤の他人に対するかのようなニュアンスで「死ねばいい」と言ってきます。 「死んでしまいたい」という自己否定から自発的にそう思っている…というよりかは、自分じゃない誰かが自分を見て「死んでしまえ!」と思っているかのような……端的にいうと「自分を他人として認識をし、貶めることでストレスを発散している人格がいる」というのが、現時点では感覚的に一番近いような気がしています。 今でこそ、この意識の分離(?)は自身にとって「当然」のことであり、その声と言葉を聞き入れることによってどこかでバランスをとっているのではないかとさえ個人的には推察します。 ですがこうして専門の医師からの診察を受けるようになり、少しずつですが自分の“自意識”というものと向き合えるようになってくると、この異様さへの理解が追いつかず、だんだん困惑を覚えるようになってきてしまいました。 こうした一連の症状は、一般的に起こりうるものなのでしょうか? それとも、解離やその他の精神疾患が考えられるほど逸脱しているものなのでしょうか? 現時点ではASDとしての診断しか受けてはおりませんが、そもそもASDの特性にこういった類の症状は記載されておらず、そのせいでいまいち自分の中で納得ができていない為、乱雑な文章となってしまい申し訳ございません。 次回の診察で担当医師に出来る限り相談をしてみようとは思いますが、一度気付いてしまうとどうにも気になって仕方がないので、“この一連の症状に関するご意見や障害に関する考察”を、可能性の範囲で構いませんので参考までにご教授頂けたらと思います。 ご回答、どうぞよろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6877/20339)
回答No.2

解離性人格障害・・・・多重人格のことでしょうか。 子供の頃虐待されていた人によく発症すると言われています。 自分を守る 自己防衛本能のなせる技として別人格を作るのだろうということです。 それぞれはまったく独立していて 一つの人格が表れているとき 他の人格の記憶などはないそうです。 物語の中では カウンセラーが 出現しているAという人格に向かって Bを呼び出して と言う場面などがありますが それはフィクションの中だけ。 頭の中で聞こえる言葉 それが幻聴だとしたら 統合失調症のほうかなとも感じられますが その内容が自分を律する方向からの発言のようでもあり いわゆる幻聴とも違って見えます。 フロイドの言うところの超自我的なもの。 表層心理と深層心理がありますが 自分で意識している範囲が 表層心理。 意識できない 心の底に潜むものが深層心理。 その内実は良心のようなもの。子供は親の背中を見て育つともいわれますが 小さい頃から 親から受ける躾 親の行動 発言 そういったものが深層に貯まり形作られていくもの それが自身の行動原理となり それに逆らう行動をしようとするとブレーキがかかる。といったものが深層心理。 そういう意識できないはずのものが 浮き上がってきているという感じがします。それがそういう言葉になって聞こえてくる。 まあこれも素人の感想ですから 深く受け止めなくてもいいことです。

koedamin
質問者

お礼

自分の場合、人格の持つ記憶が分断されたり幻聴が聞こえたり…といった類の解離症状とは少し異なっているので当事者としてもなかなか判別が難しいところですが、“親の躾や発言などを基盤とした深層心理”という分析はとても参考になりました。 貴重なご意見、どうもありがとうございました。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.1

一般的では、ないでしょうな。 日々、ライフログに記述するようにして、 それを主治医に提示するようにすれば、 診察の参考になるでしょう。 喜ばしいこと、怡しいこと、 明るいことに関わる「声」は、 ないのでしょうか。 何故、責めたり、名誉棄損になるような 声が多いのか、その辺のことを 鋭く深く知ってみれば、 あることに気づけるかも しれませんよ。 「一個の人間にとってもっとも恐ろしいのは、 気がつかないということです。 (郭沫若)」 ふろく: 「人づき合いが上手いというのは、 人を許せるということだ。  (Robert Lee Frost)」 「世の中、長所で嫌われる人もいれば、     短所で好かれる人もいる。  『天声人語』 2011.9.3」 ということで、機会が有れば、インナーの声と 折り合いを付けてみませんか。 Good Luck! Ciao.

koedamin
質問者

お礼

一般的ではないとのご指摘を受け、なおかつ「喜ばしいことや怡しいこと、明るいことに関わる声がない」という事実は盲点でした。 恐らく気が付かないところで破綻した部分が多い自分には他人を許すなどの善良さはなかなかに難しいものがありますが、それを踏まえて様々な感情や自身の内側と向き合っていけるよう、今後の時間を活用出来たらなと思います。 貴重なご意見、どうもありがとうございました。

関連するQ&A