Jリーグ発足当時の日本はワールドカップに出場することそのものが最大の目標でした。今はアジア諸国には勝って当たり前くらいにはなりましたからね。
「ドーハの悲劇」のときに日本代表を率いたオフト監督が掲げたのが「スモールフィールド」「トライアングル」「アイコンタクト」でした。「選手同士、アイコンタクトでお互いの意思を確認しろ」とか「選手同士で三角形を作るようなポジショニングをしろ」というのは今では高校サッカーでやっているようなレベルです。それが当時は代表レベルが目指すものだったのです。
ちなみにオフト監督はポジションの役割をきちんと決めるという、今だったら当たり前以前のことを決めたのですが、それに一番反発をしたのが当時不動のエースだったラモス瑠偉さんでした。当時のラモスさんはFWと攻撃的MFを兼任するようなポジションで、要するに自分がやりたいように自由に振舞っていたのです。彼が自由に振舞ってしまうことで穴ができてしまうことには彼は無頓着でした。ラモスさんは日本ではそのようなプレーをしても無双できるほどの絶対的な存在でしたが、母国ブラジルではプロ選手にもなれなかったレベルでした。
今だったらさすがにその程度のブラジル人がJリーグに呼ばれるということはないと思います。
蛇足:
私は当時ブームに乗ってサッカーを見始めたばかりでしたが、テレビ中継を見ながら「なんだ、この北澤ってやつは真ん中あたりを走り回るばかりで、ちっとも点を取らないじゃないか。使えないくせにチャラチャラしやがって」と思っていました。見る側のレベルもそんなもんだったんですよね。
お礼
ありがとうございます ブラジルはつよいなー、と感心しましたねえ 今はドイツですけど