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JRの電化の歴史についてです

ウィキペディアの情報、越後線の電化完成の時期が間違っているのですが… 私自身、電車の車両(165系)で直江津から新潟へ行き、そこから在来線の「トキ」で東京へ向かいました しかしウィキペディアでは時期的に上越新幹線開業後に越後線の電化完了になっております 正しい時系列がお分かりの方、いらっしゃいますか?

みんなの回答

noname#252929
noname#252929
回答No.2

wikiは、誰かが責任を持って監修しているものではありません。 なので、間違えている記事が沢山あるんです。 私のことも書かれている所が有るのですが、間違えて居ます。 でも、めんどくさいので、修正依頼は出しませんからね。 結構間違いは多いですので、それを前提で使われることをお勧めします。

  • gsmy5
  • ベストアンサー率58% (1452/2496)
回答No.1

まずはウィキペディアを確認しました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E7%B7%9A かつては非電化のローカル路線だったが、新潟大学が新潟市西部の五十嵐地区への移転を開始し始めた1970年代以降、沿線が宅地化し始めると次第に通勤・通学路線へと変貌し、1984年4月には弥彦線(弥彦 - 東三条間)と共に全線電化を果たした。 他のネット上の個人的にアップされているものを見ても1984年となっているし、以下のヤフオク出品の越後線・弥彦線電化記念入場券もS59.4.8発行です。そもそも私の記憶でもその頃でした。 https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h202438092 質問者様自身が勘違いしていませんか? 越後線というのは柏崎から寺泊などを通って新潟に向かう路線です。 気動車の時代は知りませんが、電化直後は113系電車が中心で、直江津乗り入れなどなく、柏崎-新潟で運転していた(もちろん今と同様区間運転も多数あり)記憶があります。 ですので、「電車の車両(165系)で直江津から新潟へ行き」というのは「越後線」の電車ではなく、普通に信越線の電車に乗ったのだと思います。 信越線の電化時期までは調べていませんが上越新幹線開通時点のはるか昔に電化されているのは確かですし、165系(あるいはそれに酷似した車両)も使われていたはずです。 ウイキに間違いはつきものですが、少なくとも質問の電化時期に限れば間違いではないということになります。

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