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模倣と盗みについて調べています
- 絵を描いている学生が模倣と盗みの違いについて調べています。ピカソの名言から、盗みが偉大だと知りましたが、自分は中途半端な盗みや継ぎはぎを繰り返しているような気がします。
- 盗んだものを変えて独特な雰囲気にすることが大切だと感じました。ただし、完全なオリジナルは存在しないので、自分の個性や好きな要素を加えることが重要です。
- 質問者は自身の考え方を正していただきたいと思っており、他にも疑問があるため、追加で質問するかもしれません。
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質問者が選んだベストアンサー
>世の中完全なオリジナルはないんですよね? 広~い意味ではそうかもしれません。 画材で考えると、顔料絵具は数万年の昔から使われてきました。 その中で表現方法の創始者というのはいろいろ挙げられると思います。 先史時代でもある地域や時代から忽然と新しい表現が現れたりしています。 また作品を見たら誰のものかわかる作家も多いですが、 それらのすべての作品が、はじめからそういうものであったわけではないと思います。もしかしたらそういう作家がいたかもしれませんが。 先人の創作技術や意義をなぞる意味で模写・模倣で勉強することも大事でしょう。習作ならどんどんやって構わないと思います。 そこから何らかのオリジナルを導き出す、いわゆる「換骨奪胎」させるという意味では「盗みが偉大」だと言えるでしょう。 イケナイのは盗んだものをそのまま自作のものとして発表することじゃないでしょうか。 それが良いことか悪いことか、それは自身の胸の内にもありますし また観賞する側でも判断できることです。 わかりにくい回答でごめんなさい。 でも創作にかかわっていると質問者さんのように疑問を抱くことは 珍しくないですし、それについて真面目に考えること自体とても大事なことではないかと思います。どうぞ画業に励んでください。応援しています。
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- nagata2017
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誰でも 練習は模倣からスタートします。 先生の作品を見て 技法などを真似します。 昔の有名な画家の作品も 弟子がかなり参加して書いた作品が その有名画家の作品として残っています。 弟子の作品も 本人と見分けがつかないというものもたくさんあります。 それは現代でも同じで コンクールに出品されているようなものは先生のひきで出品される という形が多いのですが そういう作品は 先生の作品にそっくりです。 東郷青児とその娘さんというとても分かりやすい例もありますね。 そこから自分らしさを加えていって 自分の作品と呼べるようなものを作っていく人もいます。 自分らしさとはなにか それのひとつには テーマ があります。 描きたいもの 表現したいものをみつけることです。 私の中高の美術の先生は テーマは 年輪。 切り倒された巨木の年輪ばかり描いていました。 上に出てきた 東郷青児氏のテーマは 美女でしょうか。 ちょっと質問の趣旨とはちがうことを書いてしまいました。 質問は盗むということ。 職人の世界でも良く使われる言葉ですが 「教えてもらう」の対義語のようなイメージでしょうか。 教えてもらう というのは受動的立場 盗む というのは自分から動く 能動的行為。 先達の仕事の中から どれを取り上げるか ということに 取捨選択の範囲を自分で決めるというところ それが盗むという行為を指しているのでしょう。
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2484/6033)
先ほどのものです 補足ありがとうございました。 絵の場合手法をまねるのに問題があるとは思いません。ただ,何かの締め切りが近くアイディアもないのに書かないといけないからといって,マイナーな個展から盗んだような構図で描けば,当然自分の描きたい表現はできないのではないですか?構図をまねれば当然すべてそちらに寄せないと完成度はあがらないのでは?と思います。そのため自分の本来の思っているのではなく,盗んだ作品に寄せていくでしょ? あなたが言う,この手法で描きたいと思っても,その手法でその部分を描いたために作品のなかで浮いてしまうのであれば意味の無いことですよね?でもその手法が素晴らしいと評価されるために加えたのであれば,それもある意味盗作に近いと思います。模倣をしながら自分の作品を作ることは,言葉を紡いで行くのと同じで問題無いと言いたいだけでした。ひょうげんが拙く申し訳ございません。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1159/9192)
自分というものがどういうものか、から考えてみてはどうでしょうか。ご両親から作られた、しかしそれぞれの親もまた代々の先祖から作られた。つまり自分というのは模倣の塊です。しかもどこかで人以外のあらゆる生物の模倣の産物です。自分自身が模倣のかたまりなのだから自分がやっていることはすでに何をやろうと模倣でしかない。
お礼
回答ありがとうございます。 確かにその通りですね。楽になりました ということは某サイトにあった「自分にしかないオリジナルな要素を加える」は矛盾しているか、別の意味だったのかもしれないですね。 ありがとうございました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11204/34805)
>でも世の中完全なオリジナルはないんですよね? アウトサイダーアートと呼ばれる、障害を持つ人たちによる芸術作品は彼らが一般的な人々のように体系づけられて学習していったわけではないので、ある意味完全オリジナルであるといえましょう。 私は、澤田真一さんが好きですね。 http://japan.digitaldj-network.com/articles/18762.html 澤田さんは自閉症で知的障害もあるとのことで、外部とのコミュニケーションをとることが非常に困難です。だから彼の作品が何の影響によるものか、彼自身の口から語られることは永遠にありません。あまりに前衛的すぎるので、我々はもうなんというか、畏怖するしかないですね。 草間彌生さんもそっち系統だと思います。あの水玉への異常な執着はね。でも下品にはならず、これはやはりアートだとうなるしかありません。 しかしこういう超絶オリジナルは源流をたどることができないので、次の世代にその技法や表現方法が受け継がれることがありません。文字通りの空前絶後ですよね。草間さんの作風も、澤田さんの作風も誰かに引き継がれることもないですし、その技法が確立することもないでしょう。 学問だって芸術だって、引き継がれてきた叡智の積み重ねですよ。誰かがかけ算、割り算を発見して次の世代に引き継いだから、もっと高度な数学が発見できるわけじゃないですか。全く誰にも算数を教わらないで、ゼロから自分で考えていったら一代ではとてもフェルマーの最終定理にはたどり着けないです。 芸術も同じです。どんな天才数学者も最初は小学校で算数を習うように、天才芸術家も過去の画家の技法を学ぶことから始まります。ピカソだっていきなりキュビズムにいったわけじゃありません。10代の頃は普通の絵を描いていました。ただ、天才過ぎて中学生くらいでプロ画家なみの技術を持っていて、もう技術を極めちゃったから10代のうちに「なんか青にこだわってみました」となって、それにも飽きてあーもー新しいことねーかなーからキュビズムの誕生につながったわけですからね。 早世が惜しまれる十八世中村勘三郎が生前に口癖のようによくいっていたこんな言葉があるので紹介します。 「俺ね、若い頃に色々新しいことをやろうとしたんだ。そしたらね、親父(十七世勘三郎)にいわれたんだよ。『お前ね、型があっての型破りだ。型がないやつは、形無しっていうだ』ってね」 茶道でも「まず型から入り、型を破れ」なんていわれますね。
お礼
回答ありがとうございます。 私はそっち系統ではないのですがとても参考になりました。 「まず型から入り、型を破れ」の言葉を忘れないようにします。 ちゃんと原則を理解してから、そこから原則を壊していきたいと思います。ありがとうございました。
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2484/6033)
模倣についてはオリジナリティの問題で難しい点は沢山あると思います。 あなたの言いたいことはよくわかるのですが,分野は違いますが指導する立場でよく例にだすのが言語です。 例えば,今あなたのかかれた質問文,厳密に言えば模倣品ですよね? まねごとの寄せ集めで,オリジナルな言葉など書いてないでしょ? と言われればどうでしょうか。 それこそ一文目の「絵を描いている学生です。」この文面にオリジナルな単語は見つかりません。 でもあなたの質問文を,これは模倣した文面だとは言わない。 そして誰もがオリジナルだと述べるはずです。 そもそも言語はあなたの親からパパママと言いながら覚えたはずで,その時に自分は空っぽだなんて考えなかったのではないですか? 創作する。生み出すなんて考えればすごく大変ですしオリジナリティとか言われると苦しい思いをしますが,あなたが全ての方法を使って自分の表現したいことを自分の思うとおりに表現しようと思えば,必ずそこはオリジナルな物になるはずです。文面でも,絵でも,科学論文でも,まったく同じ事を述べたり,表現したりすることはまずあり得ないですから。 模倣や盗作の場合,必ず自分が自分の表現を犠牲にしてもとの作品に自分を寄せていく瞬間があるはずです。その寄せる作業をしないことが一番大事。 自分の表現をする為にいろいろ使うのは,難しい判断のところはあると思いますが基本的にはトータルとしてみればオリジナルの範囲だと思います。 もちろん全てのケースに上記が当てはまるかどうかはその時に個々に判断しないと行けない事もありますが,基本的な考え方は,自分の思いを自分の方法で表現すること。それは自分の気持ちに嘘をつかないことでもありますね。
補足
回答ありがとうございます。 すみません、的外れなことを言ってしまうかもしれません。 私の好きなことや、絵に入れたいコンセプトとかを大事にすればオリジナルの範囲になるということであってますか。 たぶん自分が鈍感すぎるのか、「自分の表現を犠牲にしてもとの作品に自分を寄せていく瞬間」というのがよくわかりません。 例えば私が盗みたいと思うのは、大体自分の絵の理想から来るのですが、 この人の塗り方好きだなあこの塗のこういうところをできるようになりたい!とかこういう雰囲気の絵はかっこいいなこういう雰囲気の絵が描きたいななどと思う瞬間がそれでしょうか...理解力なくて申し訳ないです。私はまだ自分の方法を完璧には確立できていません。なので思い(理想?)はあるけど自分の方法は不安定、みたいな感じです。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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トレースやそのまんまの模写(自分で撮った写真以外)はアウトだと思います。 ファンアート(二次創作)は許可貰っているなら・・・大体は権利者に目をつぶって頂いていますので、愛を叫ぶ代わりに二次創作をさせてもらっているという感覚です。 (このサイトでの二次創作はアウトかと・・・) 影響を受けた創作は仕方がないでしょう。 「様式」というものがありますし。 影響を受けたにしたってただ1人の作家・画家だけではないでしょう? 複数人いますよね? また、絵画作品だけではなく、風景・景色、季節、気温、感情、音楽、言葉・・・など色んなものの影響を受けているはずです。 今まで影響を受けてきたもののどれをどれだけどのように表現するかは個人によります。 その配合の仕方がオリジナルだと思います。 私はリアルっぽく描くこともコミック系に描くこともファンシーぽく描くこともできますが、デフォルメのクセがやはりいろんな人の影響を受けているな・・・と。 で、仲良くなり始めた人に私の絵を見てもらうと、全く影響を受けたつもりのない絵師の名前を告げられてビックリしました。。。
補足
回答ありがとうございます。 はい、複数の画家やゲームとか音楽とか色んなものに影響を受けています。無意識に他のものにも影響を受けていると信じたいです。 その配合の仕方でも悩んでいて、すごく難しいなあと思っています。 個人によりますよね...だとしたら配合のうまい下手で絵の魅力決まってしまうんですね 仕事の場合、ネタ元(他者)の視点、思想、背景、目的、経験などを読み取り、それを自分の環境や視点、思想、背景、目的、経験を加える 音楽の場合、既存の作品を違う文脈に置いたり、リミックス(複数の既存曲を編集して新たな楽曲を生み出す手法) したり、置き換えたり、マッシュアップ(音楽で、二つ以上の曲を合成して一つの曲にする技法)することで、新しいものを創造します。 とそれぞれ別のサイトに書いてありましたが絵でいうとどうしたらいいのか全然わかりません。そして、本質を見抜くにはそれ相応の知識と思考、分析がなければできないと書いてあり、ますますわからなくなりました。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
全く他の人の作品の影響を受けていないという絵は存在しないと思いますよ。それをどう呼ぶかは影響を受けた人それぞれでしょう。贋作でなければどれも許されることなのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 よかったです、日ごろから理想のものはたくさん模写など練習をしています。(もちろん表には出していません) 換骨奪胎という四字熟語を初めて聞いて調べましたがこれが上手くできればすごくいいですね。 なんとなくやり方が見えてきたような気がします 盗んだものをそのまま発表はもう盗作なので問題外だなと思います。 自分の場合、何かに影響受けてから自分で昇華させるまでのやり方が正しくないのではと思い、 すごく不安になってこのことを考え始めました。回答ありがとうございました。