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善良な人は敬遠する!トランプ大統領の発言に衝撃
- トランプ大統領がホワイトハウスに抗議に来た高校生や銃の犠牲になった人達に「教師が銃を持てば良い」と発言しました。
- 善良な人は武器使用を敬遠し、その発言は衝撃的。
- スタンガンの使用も逆効果になるケースがあり、善良な人からの支持は得られません。
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質問者が選んだベストアンサー
>武器使用は善良な人は敬遠します。金を貰ったってしませんよ。 >どう思いますか。 銃社会の話をするといつも思い出すのが「西部劇」です。 町の「保安官」は正義のために戦います。 そこに出てくる「牧師さん」は銃を持っていません。 言葉で問いますが、結局殺されてしまいます。 保安官は、悪人を捕まえて牢屋に入れます。 また、「騎兵隊」は、「インデアン」と戦います。 原住民のインデアンは銃を持っていません。 騎兵隊は、インデアンを銃で制圧し領土を拡大します。 アメリカ人は、日本人が時代劇に感動するように感動します。 これは未だに続いています。 つまり、銃をもって物事を制します。 また、勝利(一番になること)こそがアメリカ魂です。 根底にある気質は、ここにあると思います。 ですから、銃は捨てないと思います。 すべてではありませんが・・・
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- eroero4649
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そもそもアメリカ合衆国という国は、銃でネイティブアメリカン(昔の言葉でいうインディアン)の住みかを奪い、イギリスを民兵の銃で追い払って作った国です。「銃で作られた国」なんですよ。独立戦争のときも、武器は政府が用意したものじゃなくて、みんながそれぞれ持ち寄ってきた「マイ銃」で戦ったのです。 建国の象徴ですから、それを排除するのはなかなか難しいでしょうね。それに人の国のことって、誰でもなかなか理解するのは難しいですよ。アメリカ人だって日本人に対して「なんでサービス残業なんかするんだ。それになぜ上司がまだ残っているからって付き合って残業するんだ。いいたいことがあるんだったら、上司にちゃんといえばいいじゃないか。理解できない」って思っていますからね。
- nijjin
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アメリカは銃社会です。 何事にも銃です!! 子供でもライフルが撃てるところがあるぐらいで 日常において銃は当たり前にあるモノです。 そしてとても安い!! 日本の家庭に包丁があるのと同じぐらいの感覚で銃があります。 そんな国で日本人の銃に対する感覚を言ったところで「コイツは何に言ってんだ!」としか思われません。
- nekosuke16
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全くもって、その通りですよ。 ただ、世界の武器使用、戦争に対する考え方の方向性は、かの大戦以降も一貫して核抑止力に向いている。 此方が無防備ならば、相手も武器の所持の必要がない。 しかし、此方が銃を懐に忍ばせれば、相手も銃を持つ必要が生じる。 さらに、銃のある懐に手を伸ばせば、同様に相手も身構える。 そして、発砲は交戦へと繋がる。 一連の流れは、銃を持つ瞬間から始まる。 逆に、無防備の状態からは、人命に関わる如何なる交戦にも向かわない。 アメリカの銃規制の問題や、北朝鮮を巡る核抑止の問題の原点は、全てここに集約できるいたって簡単な子供でも理解できる構造でしかない。 しかし、現実には、こんな簡単なことすら理解できずに、アメリカやロシア(旧ソ連)が核開発に凌ぎを削り、現在の核抑止力という妄想を現実のものとして世界を震撼させている。 特に北朝鮮やロシア、中国などの人命を軽んずる向きのある指導者を持つ国々にとっては、殺人に対する抵抗感は著しく欠如している傾向からも、殺人兵器に対しても違和感を持ち得ない。 アメリカの銃の問題の背景にあるのは、多民族国家、特に白人対黒人、マイノリティといった対立構造が生んだ格差や差別が社会を分断した歴史が絡んでおり、本質的には自由を標榜する国家体質を思う時、北朝鮮やロシア、中国とは相容れない思想はある。 ただ、かつての東西冷戦時代を経て、世界の警察を自認し君臨してきた経緯からは、やはり、核開発に手を染めざるを得なかった。 銃にしても核兵器にしても、無ければ殺人も大量殺戮も起きようがない。 それにも関わらず、事態は一向に改善しないのは、銃や兵器が殺人に特化した武器であるという事実を容認しているから。 つまりは、世界が殺人を容認しているということですね。 そして今、敗戦の誓いを忘れ、日本もその立場に立とうとしている。
- maiko0333
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それは、アメリカ人の基本的な考え方と日本人の基本的な考え方の違いです。 ていうか、 日本だって江戸時代までは刀を差して持ち歩いていたんですよ。 辻斬りで殺人しても「斬り捨て御免」で済んでいた時代があったのです。 一般市民だって戦になれば駆り出されましたから武器は持っていたのです。 アメリカでは州が軍隊を持っています。州兵というらしいですが。 日本とは常識が違うということを肝に銘じなければなりません。
お礼
回答ありがとうございます。 なんか、つまびらかに説明しないと納得されないかもと思ってしまい ますが。 武士が刀を差して町民に威厳を見せるなどは、あってないことだと 思った方が良いです。 特に、長屋に住んでる浪人は身分は武士だが、扱いは町奉行所で 斬り捨てごめんなどは許されてはいませんでした。 中山安兵衛(堀部安兵衛)は高田馬場の決闘の後、町奉行所の取り調べ を受けていますし、吉良邸討ち入りの後も泉岳寺にいち早く来た のは町奉行所の役人でした。 また、辻斬りはご法度で、やむを得ない場合に斬った場合は目付に 知らせて文書で理を提出しなければ切腹させられます。 斬り捨てごめんを許されていたのは、火付け盗賊改め方や関東取締り 出役などの大目付の役目を負った武士だけです。 アメリカの州兵というのは、南北戦争からの伝統を受け継いだ南部 の州で未だに続いている慣習です。
お礼
回答ありがとうございます。 昔の西部劇では正義の味方のガンマンがいて、保安官が補佐して 悪党のメキシカンやインディアン、白人の強盗団をやっつける。 という勧善懲悪ものが圧倒的に多かったですね。 「OK牧場の決闘」や「真昼の決闘」などは正義の味方が勝つ場面 ではスタンディングオーベイションが映画館で起こったと言われて います。 しかし、今ではそれがウソだと分かり切っているので、そんな 能天気な人はいなくなりました。 西部劇が息を吹き返したのはイタリア製西部劇のいわゆるマカロニ ウエスタンです。 ウソ臭い男の生き方を取っ払って、憾み辛みを意趣返しする人間 臭いドラマ性が受けた。と言われています。 やはり、アメリカの西部開拓時代や南北戦争時代からの必要悪 からの脱却も迫られている。と思われてなりませんね。