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戦国時代の兵士の食事??

たぶん良くてお米と、味噌ぐらいだと思います。 現代人がこんな食事で、何日生きていけるでしょうか。 無駄な栄養摂りすぎてるのは、事実だと思いす。 反論お待ちしています。

みんなの回答

回答No.3

>たぶん良くてお米と、味噌ぐらいだと思います。 米も白米ではなく玄米でした。 何万石などといわれる石高も玄米で計量された石高です。 江戸の市中には舂米屋という生業がありました。 武士は玄米で支給された禄をこの舂米屋で白米にして食べていました。 結果としてかっけの罹病者が多く江戸煩いと呼ばれていました。 江戸を一歩離れると玄米が主体でしたのでケロリとなおりました。 >現代人がこんな食事で、何日生きていけるでしょうか。 世界中にバジタリアンと呼ばれ人がいるように何日でも生きて行けます。 永平寺など規律のやかましいお寺では現在でも魚肉や獣肉などを使わない精進料理で過ごしています。 タンパク源としては大豆が主役です。 和食は豆腐をはじめ味噌、醤油、ゆばなど大豆の加工食品が多いのが特徴で獣肉や乳製品が主体の諸外国からヘルシーな食事とされています。 >無駄な栄養摂りすぎてるのは、事実だと思いす。反論お待ちしています。 反論というほどのものではありませんが、日本が世界有数の長寿国になったのは栄養が豊富な食事が普及した結果です。 現在でも栄養不良で亡くなっている人達が世界中にいます。 世界中では約8億5千万人(9人に一人)が餓死していると言われています。 現在日本で問題になっているのは栄養過多ではなく加工済み食品の廃棄です。 輸入されている食料用の穀物類と同じ重量の食品が廃棄されていると言われています。 蛇足 名古屋の八丁味噌は家康軍の兵糧でした。 帯に塗り込んでいました。 とは言え、いかに戦国時代といえども兵士が携帯する兵糧に頼って戦をしていた訳ではありません。 大量に食料を運ぶ荷駄隊が常に追従していました。 むしろ兵糧攻めで荷駄があてにならない籠城側が降伏していました。 秀吉はこの兵糧攻めを最も得意としていました。

ncb54998
質問者

補足

いくら美味しくなったとは言え、玄米はやはり不味いです。栄養たっぷりは、事実ですね。 でも、やはり耐えられません。なので止めました。納豆ご飯とかたまごかけごはん。牛丼 かつ丼 うな重 まったく美味しくありません。ぬかはやはり、ぬか漬けです。 過去の大戦では、大豆を煮るだけで食べるのが歩兵アメリカ兵の主食です。あと獣とか焼いて食べてたみたいです。テレビドラマ・コンバット見るとよくわかりますよ。なので日本兵の玄米のおにぎりの力もまんざらじゃなかったんでしょうが。あと、沢庵。でも、やはりタンパク質不足の敗戦でしょうか。大豆は畑の牛肉ですから。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.2

戦後までの日本人は、極論米と味噌と野菜くらいしか口にしませんでした。この食事の欠点はカルシウムとタンパク質が十分にとれないことで、なので日本人の身長はほんの100年くらい前までは150センチそこそこだったのです。 特にカルシウムとタンパク質の不足は結構深刻で、日本人は平安時代より江戸時代のほうが平均身長は低かったのです。これは遺骨などを調べて分かったことです。 それでも江戸時代まではどうにかこうにか問題なくやってこれたのは、#1さんも指摘するように玄米中心の雑穀米だったからです。これが明治維新になって精米技術が全国に広がって問題は一気に噴出します。江戸時代には都会でしか見られなかった脚気が国民病として一気に全国に広まったのです。脚気はビタミンBが不足してなる病気ですが、それが分かったのは確か大正時代くらいになってからで、それ以前は日本人だけに多く見られたので風土病だと思われていたのです。江戸時代には脚気は江戸でよく見られたので「江戸煩い」と呼ばれていました。江戸では白米が普及していましたからね。 江戸時代には「脚気には、蕎麦が効く」っていわれていたのです。結果的にこれは正解だったのですが、明治時代には迷信だとされていました。 「脚気の原因は、栄養なのか細菌なのか」は明治時代の医療最大の論争となっていて、栄養説をとったのが海軍、細菌説をとったのが陸軍でした。海軍は欧米では脚気はほとんどみられないことから「パンを食べれば脚気にならない」と判断して、最初は水兵にパンを食べさせようとしましたが水兵たちの反発は並大抵ではなく、「パンを食うくらいなら死んでやる」までも猛反発されて、それで試行錯誤の末にたどり着いたのがカレーライスでした。カレーライスを食べれば脚気は防げると判断したのです。 それに対して「カレーライスで脚気予防wwwwwテラワロスwwwwww」と言い出したのが#1さんも指摘する森鴎外大先生でした。鴎外先生は陸軍軍医総監というお立場でらっしゃったので、その影響力は絶大。鴎外先生はお亡くなりになるまで脚気の原因は細菌説を信じてらしたそうです。 確かに現代日本人は痛風や糖尿病の蔓延など無駄に栄養が偏っているのは事実ではありますが、戦後(第二次大戦後)に国民特に子供の身長と運動能力&知能が飛躍的に伸びているのは間違いない事実です。特に身長の伸びは「数百年後の人類学者が何も知らずに日本人の骨を見たら、このときに何が起きたのか学会で大論争になるだろう」といわれるほどのものです。 昨今、日本人スポーツ選手が世界とも体格の上で以前ほどの遜色がなくなりつつあるのは戦後の栄養事情の改善と食の欧米化が大きく影響しているのは間違いないところです。 なお、21世紀に入り先進国では「所得の低い人ほど肥満率が高くなる」という人類史上考えられなかった状態に突入しつつあります。

ncb54998
質問者

補足

食の欧米化^^^大賛成派のご意見ですね。 日本食は、健康にいい***でも^^^ カルシウム不足になる。とよく専門がいいます。 好い加減ですよね、じゃ、どうすればいいの。 後の解説が、いつもありません。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.1

米は白米ではなく、玄米のような状態であり、何種類もの別の穀物を混ぜました。 現在五穀米とか十穀米というようにして食べるあれに似ています。 これは栄養的にきわめてよろしいのは、必須のミネラルやカルシウムが含まれますのである程度バランスが取れています。 明治時代の兵隊がよくなかったのは、兵隊を集めるために「腹いっぱい白米が食える」と釣ったことにあります。 うまいかもしれないけど、ビタミンB1などが欠損していますから、病気になって倒れるのです。 栄養バランスということを失念して日本精神などと言った結果です。 白米のごはんに沢庵なんていう飯であれば、たんぱく質が不足で、しかもミネラル不足です。 これを問題視して指摘した人はいますけど、偉い軍医さんにそれを理解できないのがいて阻止した。 森林太郎といい、またの名を森鴎外です。結局この人も長生きしなかった。 戦国時代に戻りますが、そういう雑穀みたいなものを炊いて握り飯を作り兵糧にしたわけです。 または、飯を干してぺらぺらにして干し飯と言って持ち歩きました。干し飯はそのままぱりぱり食べてもいいし、お湯をかけたらまたごはんに戻ります。 生き物を殺してはいけないなんていう仏教的戒律は坊さんならともかく兵士には通用しません。 森でウサギや鹿をたおしてその肉を焼いて食べました。ここでたんぱく質も脂質もとることができます。 また、川にいけば魚がとれますし、ドジョウやシジミをすくって鍋で煮ればこれも栄養源として優れています。 栄養的には、一般人に比べ充実していたはずです。 とはいえ、味が単調なのと、熱い寒いがありますから、兵士は香辛料を好んだ。 おそらくポルトガルあたりから渡ってきた、唐辛子を珍重した。 これを食べると、寒い冬場でもパワーが保てるし、暑いときは汗がどっと出て蒸発することで涼しさが得られます。 しかも、種を持っていけば戦場でも育てられ、切らさないことが可能です。 加藤清正はこの唐辛子を珍重し、秀吉命令の大陸との戦争にも持っていきました。 そのとき戦ったのが現在の韓国朝鮮のあたりですけど、この辺は冬場はマイナス10度ぐらいになります。 唐辛子が兵士を救い、清正は春をまって侵略地の畑に唐辛子を植えて育てたんです。 朝鮮人はそのときまでそんな香辛料は知らなった。日本人がえらく大事に栽培して食べているからちょっと盗んで食べてみたらものすごくおいしかった。 で、自分らもその種をすこし盗み育て、ただ食べるんじゃなく何かにしたらいいんじゃないかと考えた。 漬物にいれたらよくないか、というのが発明です。 で、白菜の漬物に調合するやりかたを考え、もみこむとか魚や貝の味をつけることを工夫して、はじめて「キムチ」というものが出現したのです。 つまり、キムチは加藤清正の置き土産みたいなものです。 そういう意味で、戦国時代の侍たちは食文化を拡大し、充実させるのに努力したのです。

ncb54998
質問者

補足

今、なぜか雑穀米お弁当ばやりですね。 私はやはり、白米です。 納豆 たまごかけ ご飯が美味しくありません。 糠は、やはりぬかみそです。 きゅうりのぬかずけ、たまりません。

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