連合赤軍とオウムについて
連合赤軍について教えて下さい。
質問が4つあります。
1、昭和47年1月3日、森恒夫は中央委員を設置しています。
後年、坂口弘は総括による責任の分散を図ったと推測しています。(事実、この時点で3名が死亡し、遠山美枝子も総括の対象とされています)
森は中央委員の設置の目的を、
(1) スターリン主義的官僚主義と経験主義に対して不断に戦う能力を持った中央委員を設置し、具体的な党建設の開始として組織化させる。
(2) その為にスターリン主義の発生、中国におけるプロレタリア大革命の教訓から「上からの党建設」の中心問題は、革命戦士の共産主義化を獲得すること
…としています。
この「上からの党建設」の「上」とはいったい何を指すのでしょうか?
私は、より高い見地から見た時、党を建設するためには党員の共産主義化を徹底しなければならない…と解釈したのですが…
2、佐々淳行氏は著書『連合赤軍「あさま山荘」事件』のあとがきで、
‐自ら自由を捨ててセクトに属し、リーダーに絶対服従する道を選び、平和に飽きて戦争ごっこを始め(中略)いま平成の世に麻原彰晃に盲従するオウム真理教殺人集団を目の当たりにして感じたことは「自由と平和と豊さ」に恵まれすぎて人道にもとった連合赤軍の再来ということだ‐
核心をつく絶妙な表現だと思います。
確かに非人道的で国民の敵という点において両者は共通すると思います。
唯、私は両者には何か本質的に違うものを感じるのです。
時代背景が違うのもあるとは思います。
でもそれだけでしょうか?
方法、手段、指導者や理念が根本的に間違っていたとは思いますが、最初の目的(動機)が個人の救済か社会の救済かというのもあるかもしれません。
私には他にもあるとは思いますが、言葉に出てきません。
他に何か違いを見いだせる方、教えて下さい。
3、連合赤軍などの当時、武装闘争を展開していた新左翼の過激派達は、オウムによる一連の事件をどのように捉えているのでしょうか?
それに関する何か書籍をご存知の方、教えて下さい。
4、60年代70年代の左翼運動が活発だった時代、おそらく新聞、テレビ、ラジオといったメディアは連日報道していたと思います。
当時を体験している方で、当時の報道とオウム事件の時の報道の違い等があれば教えて下さい。