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認知症になると人格は変わる?
- 認知症になると人格は変わるのか?これについて調査しました。
- 認知症によって引き戸が開かない問題があり、大工に相談したがうまく解決できず、その後態度が変わった事例がありました。
- 認知症が進行すると仕事の質や態度にも影響が出ることがあります。法的な証拠能力については限定的であるため注意が必要です。
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質問者が選んだベストアンサー
それなりに変わると思います。 記憶力が低下し今言った事をすぐ忘れてしまう事が偶に起こると、 「言った」「言ってない」で衝突し会話がストレス化する事があります。 今まで自然に出来ていた当たり前の作業手順や動作が 一生懸命思い出さないと間違ったり解らなくなってしまい始めると、 少し焦ったり慌てたりいつもと違う事が起こっただけで 尚更に当たり前の作業手順や動作が出来なくなり、 周囲の人に呆れられたり失望される不安や恐怖から 取り繕ったり周囲の人にきつい態度で当たったりする事があります。 社会や人や家族に必要とされる人間になろうと向上心が強かった人ほど、 培った技術技能が揺らぐと自尊心や家庭内での立場が揺らぎ、 精神的に不安定になり人格が攻撃的/幼稚になる危険があります。 社交性が極めて高い人は脳が老化萎縮しても認知機能の低下が少なく、 社交性が低い人ほど発症も進行も早くなる様ですので 職人的な人であれば尚更の事なのかもしれません。 職人的な人ほど家事等他全てを家族に丸投げし非協力な事も多く、 仕事を引退すると非協力なだけのお荷物的扱いを受け始め、 居心地が悪く無理に仕事をして自尊心を保とうと試みる事もあります。 仕事の継続は認知機能の低下を遅らせると推奨されていますが、 症状の進行と共に看過できない被害が発生し 泣き寝入りを浴びる人や組織がどうにも多い様子です。 人格面は周囲がありのままを寛容に受け入れる事で 普通の人以上に温厚に優しくなる場合もありますので 周囲の理解と接し方次第で雲泥の差が出ると思われます。 私に言えるのは以上です。
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- tzd78886
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認知症と言っても症状は人それぞれですし、全てを忘れてしまうわけでもありません。新しいことを忘れてしまうタイプでは、長年やってきた仕事はできることも多いでしょう。自分が子供の頃や若いころに習得したことは案外覚えているものです。
お礼
御回答をありがとうございます。 そうなんですね。 いや、それならいいのです。 正直憤慨しておりますが、しかし、こちらまで感情的になって憎むよりも、 状況を分析し理解することが重要であると、 ユダヤ人精神科医が言っておりましたので。 認知症の疑いがあると。 もし本当に認知症なら仕方が無い。 だって病気の症状なのですから。 高齢で、脳の働きに偏りができていたと。 そのうえ部屋のポスターを見て、彼自身の思想の偏りのためにイライラしてしまっていたと。 あの年代が育った時代を考えれば、分からなくもない。それで意志力が消耗状態に合った。 そんなときに私に要求をされ、「指図を受けた、自分の技術が否定された」と彼の脳は曲解して認識してしまった。 そしてその怒りを抑制する前頭葉の機能が低下していたと。 その結果、出来事が起こったということですね。 いいです、赦します。 床や柱だけでなく、私の心も傷つきましたが、 生きていればこういうこともあるでしょう。 それに、「では私自身の認知能力は完全か?認知の偏りはないのか」と問われれば、 YESとは言い切れない。 ただ1つ勉強になりました。 1つの物事をいくら極めたところで、脳はある時点で作業を自動化してしまい、認知能力のバランスが悪くなると。たとえば将棋の棋士。ゲーム中、彼らの脳は驚くほど不活化しています。脳が慣れてしまっている。 その道一筋の職人の技術は尊敬すべきだし、彼らの神経質な気質も十分に尊重されるべきでしょう。 ただ、人間にはバランスも大事だと知りました。 彼は自らの症状を通して、私にそのことを教えに来てくれたのでしょうね。床の傷は、その授業料ということにしておきます。 tzd78886さんの御回答は大変役に立ちました。どうもありがとうございます。
お礼
客観的な洞察をありがとうございます。 rfnさんの深い心理分析・状況理解を何度も読み返すうち、 胸の中のもやもやがスーッと抜けて、 波立っていた情動が鎮静化していくのを感じます。 もし本当に認知症なら仕方が無い。 だって病気の症状なのですものね。 rfnさんの御回答をみて、相手の立場になって物を考えることができました。 そうですね、認知能力の低下に加え、 自尊心や、家庭での立場など、バックグランドを考えると仕方が無かったのかもしれない。 仰る様に、職人という職業も関係していたのでしょう。 つまり彼が認知症なのは、それだけ一生懸命真面目に働いてきたからだと。 職人という仕事を続けてきた、ある種の勲章の様なものだと。 勿論私は、努めて寛容であるように努力し、嫌な態度をとられても軽やかにかわし、 作業中や作業後も、手伝いや荷物運び、お茶汲みなどを進んでしました。 ですから私の接し方に特に問題があったとは思えませんが、認知症に対する理解は足らなかったかもしれません。 いいです、赦します。 床や柱だけでなく、私の心も傷つきましたが、 生きていればこういうこともあるでしょう。 それに、「では私自身の認知能力は完全か?認知の偏りはないのか」と問われれば、 YESとは言い切れない。 ただ1つ勉強になりました。 1つの物事をいくら極めたところで、脳はある時点で作業を自動化してしまい、認知能力のバランスが悪くなると。たとえば将棋の棋士。ゲーム中、彼らの脳は驚くほど不活化しています。脳が慣れてしまっている。 興味深いのは、御回答にある「社交性が極めて高い人は脳が老化萎縮しても認知機能の低下が少なく、 社交性が低い人ほど発症も進行も早くなる」という部分です。これには私達一人ひとりが気をつけないといけない。 その道一筋の職人の技術は尊敬すべきだし、彼らの神経質な気質も十分に尊重されるべきでしょう。 ただ、人間にはバランスも大事だと知りました。 彼は自らの症状を通して、私にそのことを教えに来てくれたのでしょうね。床の傷は、その授業料ということにしておきます。 御蔭様で、ストレス体験の統合に成功しました。お力添えをどうもありがとうございます。