※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:アドバイスした側の責任)
アドバイスの責任とは?
このQ&Aのポイント
アドバイスする側の責任とは何か?
アドバイスに責任を持たない人は無責任なのか?
アドバイスは悩みを解決するための一助である
ご閲覧頂きありがとうございます。よろしくお願いします。
自分の中で小さいころからの「もやもや」としたものです。
真剣に悩んで苦しんでいる人に対して、「この道に行ったほうが絶対に正しい」という強く真っ向からアドバイスをして、そのアドバイスを受けた人は、悩み晴れた気持ちでそっちに行ったのか、また依然全く八方ふさがりなまま他に行く道が思い浮かばないので仕方なくそっちに行った、または自分は今まで失敗ばかりで自信がないから他人の言うことのほうが正しいのだろうと思い信じて進んだ、など色々理由はありますが、その他人が示した道を進んだとします。
そしてその道で大失敗をおかし、その人はとても傷ついてしまいます。
そしたらその絶対正しいとアドバイスした人に少なからず怒りがでるのは当然のことで、しかし自信満々にアドバイスした側は「いや、その道を選んだのはお前だからお前の全責任だわ」とか「いやじゃあ失敗したって分かったんだから良かったよね、じゃあ次いこう」とか「いや他人のアドバイス全部信じるお前のほうがおかしいわ」と突き放したり論点をずらしたりますよね。総じてアドバイスした側に責任を問われたくないから。
自分としては、この考えが心に引っかかり、アドバイスする時はアドバイスする側の自分にも多少の責任はあるのだと考えて発言しています。
極端に申し上げますと、アドバイスに責任を持たない人は、どこか無責任すぎでは? と思いますが、如何でしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。確かに、と思えるものでした。アドバイス側にもそういう考えを持つ方がいらっしゃることは盲点でした。 ですが、貴方はそうなのだろう、そういう意見を持つことができた方なのだろうという形で腑に落ちました。では、自分が出逢ってきた他人は、果たしてそんな考えを欠片でも持てるような存在だっただろうかと懐疑します。 何か貴方と違うような気がするのです。似てるようで、似てないようなという感じです。
補足
少し思い出しました。自分だけの話になりますが、かつて自分は、逢う人逢う人に自分を全否定され、だからこそ他者が正しい、また他者が正しいと豪語する、だから他者に従えというままに人生を生きてきました。だから自分は他者の意見に従って、それが失敗したら責任を問う、しかし責任から逃げられて……という時代がありました。だからもやもやするんでしょうか。 ご回答ありがとうございました。何かに気づけたかも知れません。