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アドバイスの責任とは?
- アドバイスする側の責任とは何か?
- アドバイスに責任を持たない人は無責任なのか?
- アドバイスは悩みを解決するための一助である
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質問者が選んだベストアンサー
でもさ、「自分の人生なんだから、自分で決めなさい」っていわれたら、自分で決められたのでしょうか。決められないから、他人に決断を委ねたのではないですか? 自分じゃ決められない。でも結果には責任をとってくれ、じゃあ、自分がどこにもないじゃないですか。結局どうあれ「失敗したらそれは他人のせい」にする気が満々ですよね。それを世間一般では「甘え」とか「無責任」というのだと思います。 自分の人生に自分で責任がとれないのに、他人に「無責任だ」というのはおかしいと思いませんか?それって何が食べたいかいわないのに出てきた料理を「まずい」っていうのと同じじゃありませんか? 私も自分が就職するときに母親のアドバイスというか、意向があってそれに従いましたが、それが我が人生の最大の失敗でした。どうあれ、あのアドバイスに従わないほうがよかったと思います。でもさ、そんなのしょうがないじゃない。それでカーチャンを攻め立てて、泣かせたところで私の過去が変わるわけでなし。よくよく考えれば「一番アドバイスを聞いちゃいけない人だったよな」って思うけれど、それを見抜けなかった自分を恥じるだけです。 すっごい煽るようなことをいえば、そこでそうやって他人に責任を押し付けるタイプだから失敗したのだと思いますよ。そんな程度なら、どの道を選んでも失敗したと思います。「自分のどこが至らなかったかを考える人のほうが伸びる」とは、キングカズのお言葉ですし、私もそう思います。
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- inuusagi_8
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なるほど。 ではお聞きしたいのですが、 アドバイスを受ける際に、アドバイスに対しての何か対価を支払って相談をお願いしたのでしょうか。 人生がかかるほど真剣な相談事ですから、 もちろん当然その道のプロフェッショナルと呼ばれるような方にリターンを求めてコストをかけていることと思います。 受験生ならば進学塾のカリスマ先生とか、希望する大学に何人も送り込んだ実績のある家庭教師とかですよね。 向こうだって自分の人生とプライドをかけて指導している方だと思います。 まさかそのような方ではなく、 例えば同じ学校の先輩とか、ご近所の大学生のお兄さんなんかに、 真剣な悩みを解決する方法を教えてくださいとか相談したいうことではないですよね? しかも無料でアドバイスはほしいなんて話ではないはず。 だって人生かかってるんだからね。 「絶対正しい」と発言したのが、百戦錬磨のカリスマなのか、近所のちょっと賢いにーちゃんなのかは解りませんが、 だとしてもやはり100%成功するなんてことはないでしょうね。 だけど近所のにーちゃんのアドバイスでもたまたま相談者の性格や相談にぴったりはまってたまたまうまくいくなんてラッキーだってあるかもしれない。 だけどそのおにーちゃんが後から相談者の問題が解決したからって、謝礼なんかをわざわざ求めてきたりなんてこともないと思うんです。 だって好意みたいなものだから。 アドバイスする時はアドバイスする側の自分にも多少の責任はあるのだ、という意見には私は別に反対はしません。 が、「多少の責任」というのは、 言葉で詫びたくらいでは済まないよ、 こっちはあんたのアドバイスを信じたせいで人生狂ったんだからというニュアンスを含んでいるように感じたのですが違いますか? 例えば絶対合格させると言っていた学習塾で、合格しなければ一部返金してくれるということはあると思うのです。 だけど、こういう方法できっと受かるよ!と自信を持たせようとアドバイスをした人に、どういう償いをさせれば無責任ではなくなるのでしょうか。 それで不合格だったら、その人は無責任「過ぎる」ことになりますかね。 悩みを自分で問題点を見つけ、何度も失敗しても諦めず試行錯誤してとうとう自分の努力で望みを叶えた人に比べて、 手っ取り早く誰かに相談し、簡単に確実にうまくいきそうなやり方を教わり、 誰かの褌で相撲を取ったもののうまくいかなくて、お前の教え方が駄目だった責任とか全く感じないの?って聞く人となら、 果たしてどっちが自分の人生に対しての責任感がある人なのかなって思いました。 アドバイスは所詮アドバイス。 自分の人生は誰かが代わってくれたり、 失敗の責任を取ってくれたりするものではないと知っているはずなのに、 そういう人たちはどうして自分の行動の責任を自分が取ることに不満や愚痴が出てきてしまうんでしょうね。 そういう人こそ無償で他人の人生の責任を取るなんてことは、あまりないように感じます。 論点ずれていましたかね。 申し訳ありません。
お礼
>アドバイスは所詮アドバイス。 自分の人生は誰かが代わってくれたり、 失敗の責任を取ってくれたりするものではないと知っているはずなのに、 そういう人たちはどうして自分の行動の責任を自分が取ることに不満や愚痴が出てきてしまうんでしょうね。 違います、その仰る考えがあるようにみえて、まるで無いように振舞ってくるのです。その仰ることが当たり前として通っているように見えて、形骸化しているように思えるんです。いや、もしかしたら、その言葉をうまく利用して逃げている可能性もあるかもしれません。 アドバイスで失敗すれば責任に問われないように逃げるのに、逆にアドバイスを何らかの形で、例えば仰る通りアドバイスはアドバイスなんだから~~とか、いや参考にさせてもらうね、とかで受け取ったが従わない場合「いやこのアドバイスのほうが正しいのに、なんでそう間違った方向行くのかね未熟者で馬鹿だなこいつは」というニュアンスで否定してくる。で、結局選んで失敗したらまた「いやお前の責任だから」という流れになるんです。伝わりますでしょうか。 全責任を他人に向けるのではなく、「いや、どうなるかわかんないけどね」とかそういう一言を添えずに「これこそ正義、常識」だと強い口調でアドバイスした側は、多少なりとも責任を持たない、寧ろ一切持たないのはどうなのかということです。ごめんなさい、と少しでも責任を感じてくれれば分かりますが、僕は記述したのは偉そうに豪語して絶対こっちが正しいと言いのけて、従わなければ馬鹿にされて、信じて失敗したら其処に全く責任を感じない逃げる人がなぜいるのかということです。 論点はずれておりません。
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お礼
ご回答ありがとうございます。確かに、と思えるものでした。アドバイス側にもそういう考えを持つ方がいらっしゃることは盲点でした。 ですが、貴方はそうなのだろう、そういう意見を持つことができた方なのだろうという形で腑に落ちました。では、自分が出逢ってきた他人は、果たしてそんな考えを欠片でも持てるような存在だっただろうかと懐疑します。 何か貴方と違うような気がするのです。似てるようで、似てないようなという感じです。
補足
少し思い出しました。自分だけの話になりますが、かつて自分は、逢う人逢う人に自分を全否定され、だからこそ他者が正しい、また他者が正しいと豪語する、だから他者に従えというままに人生を生きてきました。だから自分は他者の意見に従って、それが失敗したら責任を問う、しかし責任から逃げられて……という時代がありました。だからもやもやするんでしょうか。 ご回答ありがとうございました。何かに気づけたかも知れません。