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昔は雇用促進住宅も流行ったんですか

長崎で賃貸を借りようと思いました。旧雇用促進住宅が 多いですね。やはり炭鉱という場所柄でしょうか。 しかしまあどこもかしこも本当に便が悪いです。 地元にもありますが、駅から離れていて、山奥みたい場所に ひっそりと建っています。あれじゃあ激安の家賃でも 難しいかもしれないですね。 それでもあれが建った半世紀前は大人気だったんでしょうか。 それこそ今は人気のないUR都市機構の団地も、当時は時代の最先端を行く 垂涎の的だったそうですからね。考えられないですけど、 人気だったんですか。 https://www.villagehouse.jp/ja/

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回答No.1

>旧雇用促進住宅が多いですね。やはり炭鉱という場所柄でしょうか。 炭住(炭鉱住宅)と混同されておられませんか。 雇用促進事業団が提供する雇用促進住宅へ炭住が併合されたのは炭鉱が閉鎖された後です。 >それでもあれが建った半世紀前は大人気だったんでしょうか 流行ったというような簡単な話ではありません。 空襲で都市という都市が焼かれた上に終戦と同時に大陸や半島から約500万人の人が着の身着のままで引き揚げてきていました。 住宅は20万戸以上不足していました。 住宅数が世帯数を上回るのは昭和43年(1968年)以降のことです。 国家の財政も窮乏していました。 国が個人の住宅まで財源を振り向けることができるようになったのは昭和30年以降です。 雇用促進住宅を提供できるようになったのは昭和31年以降のことです。 この間傾斜生産方式という政策が執られていました。 炭鉱に集中的に投資していました。 この炭鉱で人手を確保して24時間採掘を可能にするために建てられたのが炭鉱住宅です。 >地元にもありますが、駅から離れていて、山奥みたい場所にひっそりと建っています。あれじゃあ激安の家賃でも難しいかもしれないですね。 長崎県は島嶼部の多い県であると同時に九州に接続している地域も傾斜地の多い県です。 結果的に鉄道網や高速道路網は大阪や東京のように発達していません。 長崎市佐世保市など湾岸都市から離れれば山奥みたいな場所になるのはやむを得ません。 かつては炭鉱がありましたが閉鎖されてしまい、造船業が衰退した結果雇用を生み出す企業が少ないという事情もあり若者の流失が多い県です。 結果的に長崎県は高齢化が激しく全国平均に比べても5年ほど先行しています。 中山間地や島嶼部では20年早いとされています。 長崎県としてもこの状況を打破するように努力を続けています。