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なぜ、幼少の頃だけ夢に出てきますか?
実家は 中学生のころに一度建て替えてます そして独立後また、建て替えています なのに、夢に出てくるのは 絶対 幼少の頃の建築の家が出てきます そこが舞台となって夢に見ます たまには中学生の頃の家が出てきてもいいような また、独立した後の現状の家が出てきてもよさそうな気がします なぜ、どうして 幼いころの家が夢に出てきますか? わかりますか? 現在はマンション暮らしです そのマンションすら出てきません どういう事で、このような夢を見るか わかる方よろしくお願いいたします
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もうひとつ。思い出したとしても現在とは関係がありません。現在が当時と似たような環境ではあると思いますが、それでも今が夢の中であるかどうか?というだけの話です。極論ですが、夢を見たとしても・・・ある現実は、ひとつ。です。自分と、その背後にある現実として、夢であるかどうか今であるかどうかの”舞台”が、ここにあるだけです。夢を見ているときも夢の世界から自分が切り離されることはありません。だから夢だとは気が付きません。しかし今はどうでしょうか?現実からは切り離された”夢”を見ていることになるのではないでしょうか。
日中に幼少の頃ばかり思い出しているからです。その記憶整理です。
- hue2011
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密度反映の重みという考えがあります。 たとえば子供のころの1年は長いものです。楽しかった正月が次にいつくるかと1月15日くらいから考えてもそう簡単にはやってきません。いろいろなことがあって、波乱万丈みたいな時間が過ぎた上ようやっと大晦日がくるのです。 しかし成長すると、1年なんてあっという間で、あ、また正月か、この前だとおもったのになあ、みたいな感覚になっていきます。 これを情報密度という考えで考えてみます。 5歳児の1年というのは人生の5分の1です。そこの1日で起きたことはその365分の1です。計算するとその重みは0.054になります。面倒だから100かけた単位で考えると5.4です。 20歳の一日を考えます。0.014になりますから1.4です。 つまり5歳児の1日の価値は20歳の3.85倍の情報の価値があったのです。 そしてほとんどの経験が初めてのことが多いから、記憶とか感動という意味では重みはもっと違います。 それを同じ単位で比較しようとしても意味がありません。 情報の重みが大きかったときのほうが記憶にはずっしり残っているはずです。 もっと言えば、潜在意識に淀んで溜まっているものは幼いころの記憶が一番大きいわけです。
- cactus48
- ベストアンサー率43% (4480/10310)
それは幼少期の頃の思い出が強いからだと思います。 質問者さんは幼少期の頃に大切にしていた玩具等がありませんか。 その玩具等が汚くてボロボロだとしても、思い出が一杯で捨てるに 捨てられない物が今でも保管されていませんか。 それと同じだと思います。 ボロボロで住める状態ではなく、それでも住んでいて安心が出来て 心が休まるのが幼少期の頃の自宅だったはずです。 今のマンションは住みやすいですか。言葉では住みやすいと言って いても、本心はデメリットの箇所が多くて不満だらけじゃないでし ょうか。だから夢に幼少期の頃の事が頻繁に出るんです。 もしかしたら鉄骨コンクリート建てのマンションより、一戸建ての 木造建築の方が好みではありませんか。 この不安は純和風の木造一戸建てに住み替えると解消されます。