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対話する先生<上下関係きっちり先生?
教員って、人格陶冶に果てがないです。 高校教員やってます。 子供ってああしてこうして。という要望が多く、聞いてみると真っ当な理由も多いのでできるだけ、希望に沿うようにしています。 でもどれだけ希望に沿っても、完璧な人格ややり方になれるはずもなく、疲れてしまいました。 生徒は弱者の強みを持ちます。 基本的に言いたい放題です。しかも十人十色。皆異なる要望があって、許容度も人それぞれ。 できるだけ対話をして、ルールに沿わないものはだめといいますが、できるだけ生徒の意見に共感し、不満を吸収させて返します。結果よっぽどうまくやらないと舐められてさらにわがままは加速します。自分に軸がないことが原因だとはわかっていますが、納得させるという過程もなく、「黙って俺のいうことを聞け」というタイプにはなりたくありません。 ですが、満足度が高いのは、案外後者の先生だったりします。強い先生からいじられるのが好きみたいです(もちろん全員ではありませんが)。 結局は、話や考えの内容、能力や、色々やってあげる先生よりも、「俺は尊敬・感謝されて当たり前」というオーラを持つ先生の方が満足度が高いです。 なんだか虚しく、疲れてしまいました。 生徒に媚びを売っているつもりは毛頭ありません。 でも、努力すればするほど、努力の方向性が間違っているような気がして、後悔してしまいます。 生徒の人間的成長、学力向上を思ってやっていることも伝わりません。結果が出るまで罵倒される恐怖との戦いです。何をやっても利用される道具で終わってしまう気がして、何のためにやっているんだろうと思ってしまいます。 もちろん生徒に好かれたいのもあります。 でも最近生徒への愛情ってなんだろうと悩む日々です。いつまで聴き続ければ、いつまで罵倒されればいいんだろう。最近生徒の成長した姿を見ても素直に喜べません。 質問1 私は教員として寿命なんでしょうか? 質問2 結局は学校の先生は上下関係で成り立つ方が生徒は幸せなんでしょうか? 教員は公僕であり、滅私奉公すべきである、という一般論はやめてください。わかってるからこそ悩んでいるんです。
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- AnataO192
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教員のお仕事の辛さは地域性もあると思いますよ。 だからどうなのということになりますが、なんとなくです。 教員はサンドウィッチマン…下から(生徒)横から(親)上から(委員会など)要望を言われ立ち回らないといけないからすごく大変なお仕事だと思っていて尊敬します。 1990年代ころから思っていましたが、このままでは先生たちはみな病んでしまいます。 先生方は忙しくて考える暇がないでしょうけど、岡目八目であなたたちを眺めているとどこのだれが何を工作してどのようにあたたちが教育せざるを得なくなっているのかが見えてきます。 ま、そんな思わせぶりはどうでもいいとして…あなたもあっという間に年を取り教員とは何だったのか人生とは何だったのかと思う時期があるかもしれません。 そこでなんとなく、てきとうに思い浮かんだことをつらつら書いてみます。 戦後から1970年代くらいまでは先生もやりがいがあったお仕事だと思います。 戦後これまでに…西洋文化を取り入れ西洋モラルを取り入れ批准し、国際社会の仲間入り先進国日本になった代わりに失ったものはたくさんあります。 70年代ころまでは老若男女役割がだいたい決まっていて国民はみな生きやすかったと思いますが、政治や教育組織や法曹界でも内乱を企てるような工作が純朴な精神国民に仕込まれ、骨抜きにされた精神と、逆に強化された精神などは、教育組織と政治によってじわりじわりと内乱を企てているような方向へと導かれており、サンドウィッチマン教員はかなり精神的に辛い位置に立たされております。 で、だからどうしろとは言えませんけど…。 …家庭のない家族の時代という本が昔ありまして…内容はともかく題名だけでもお察しいただけるかと思いますが、すでに戦後着々と男親女親はそれなりの教育をされてきており、家庭教育もやっているようでできていない時代が発展途上という忙しさでなされておらず、結果モンペやら不登校やらいじめやらが80年代から徐々に増え始め、今はめちゃくちゃな国家となってしまいました。 …とかなんとか適当なことおしゃべりしましたが…。 >質問1 私は教員として寿命なんでしょうか? ・寿命って何年教員やってきたのかわかりませんけど、あなたは他の教員と自分を比べていますから、あなたはあなたらしく教員をするんだと覚悟すればいいと思いますけど、どうしたいのかしら? 寿命なんて教員にあるわけないでしょ、生徒と関わり歳を重ねれば重ねるほどベテラン教員でしょ。 >質問2 結局は学校の先生は上下関係で成り立つ方が生徒は幸せなんでしょうか? ・高校生は思春期ということもあるし、難しい時期ですから、上下関係とか言葉はわかっていても何をし出かすか何を言い出すかわからないですよ。 上下関係、その先生の場合は、持ち上げられているだけかもしれないし、本当に感謝されたり尊敬されるのは成人して社会人になってからですよふつうは。 あなたは教員になったからわからないかもしれないけど、ほとんどの生徒は卒業してから社会人になり、苦労し始めたころに先生のことを思い出して慕うものだと思いますよ。 家庭環境や親の躾けもあるし個体差は様々だし、いちいち生徒の方ばかり見ていては身が持ちませんよ。 ではどうすればいいかというと、猫がやペンギンが首を振りますよねえ…どんなときか…それは持った手鏡に光が反射して壁を右や左に移動するとそれを追うように見ますよね。 あとドッグレース?はウサギみたいなのを紐で引っ張って追いかけさせますよね。 山に登るとき人は頂上を見てハアハア言いながらも目指しますよね。 先生はそれを眺めていればいいんですよ。 光に興味がある猫は飛びつくだろうし、ペンギンがトボけたままならどうしようもないから動物園で面倒見てもらうしかないし、そういう個体だし…山の頂上に早くたどり着いたものはおいしいものが食べられますよ~みたいなことだと一生懸命頑張り登る生徒もいるだろうし…何が言いたいかというと、あなたは生徒の顏ばかりを見ているから疲れるんでしょ。 あと、その上下関係の先生もね。 …生徒なんか社会人にならないと先生のありがたみはわかりませんよ。 とりあえず生徒や別の先生を見ないで目的目標をこしらえてあげて、そこに目を向けさせて、走るか登るかトボけているかを見ていればいいんですよ。 動きを見るんですよ、顏を見ても疲れるだけだし。 …昔みたいにやって見せてやらせて見せてほめてあげねば…なんてアホらしいことしている時間は今の時代有りませんし。 現代は時間の流れが速く、昔のようにスマホなどなかった時代の…あの緩やかでここちの良い時間が流れていた時代ではないのですから…。 ある程度無責任になって過ごしたらそのうち何か見えてくるんじゃないでしょうか…医者も教員も最初は素人、規則を破ったらいけないけど、ある程度肩の力抜いテキトウ人間キメたほうが…いつか近い内に波に乗れるようになるのではないでしょうか。 >最近生徒の成長した姿を見ても素直に喜べません。 てきとうに「山登れ」と指導した生徒のほうが、しめしめと思えて喜べるんじゃないでしょうか。 あまり一生懸命に生徒の面倒ばかりをみてきたから飽き飽きしているのかもしれませんね。 目の前に人参ぶら下げても食わなかったり、ケツ叩かないと走らない馬もいるけど、手綱もったままでも走る馬もいるし、ヤギもボスがいれば自分で小屋に帰るのもいれば…犬に追いかけられないと小屋にも帰れない餌にもありつけない羊もいるし、生徒はみんな動物ですから、適当にあしらって調教しておくんなさいまし。 <(_ _)>
- kanemoto_s
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#1です。 >私は教員と生徒はドライでも生徒として満足でした。授業さえ面白ければ。それであっているのかわからなくて悩みます。 それも一つの正解だと思います。 子供はいろいろな先生を見て人格を陶冶するのであって、全ての正解を見つける必要はないのだと思います。 100%を求めすぎると、他のことが片手落ちになりませんか? >褒めています。データ取って褒めるところを探して、当たり前のことを褒めます。やっていることと思うことがあべこべで、自分が不在になります。 褒めるタイミングが重要のようですね。ネットで調べてみてください。 そんなこと、もう知ってるよと言われるかもしれませんが。 >自分ルールを作っても自分に自信がない以上、すぐに捨ててしまうのです。 確かにそれだと、軸がないということになってしまいますね。 職員会議レベルの致命的な失敗でない限り、自分ルールは1年程度維持してみないと良し悪しは分からないのではないでしょうか? 生徒からしても、コロコロ方針が変わるよりは分かりやすくてよいかと思います。 >さっさとカウンセリング行って鬱診断書もらってきます。 お大事に・・・ 文章を読んだ限りでは、頑張っていることを否定されたくないように見受けられます。 当たり前ですが、自分にプライドがないと生きていけません。だからと言って頑張っていること自体にプライドを持つのはお勧めできないのです。 まだ正解かも分からないけど頑張っている自分にプライドを持っていませんか? 頑張ることがで・き・る・自分にプライドを持つのは立派なことです。 ですが、私の経験上、いま頑張っている自分にプライドを持つと、修正が効かなくなってしまうんですよね。 少し引いた目線で自分を見つめなおす機会を持たないと、多くを求めすぎて心が壊れてしまうんですよ。 成功したことにプライドを持った方が生きていく上で好都合かと思います。 お勧めの本 ピーター・F・ドラッカー著 「マネジメント」(エッセンシャル版) 休む機会があるなら上記の本がお勧めです。 この本に書いてあるような人間になれるのは、余程人間的ではない人間かも知れませんが、正しいことが書いてあると断言します。認識の誤りを直球で教えてくれる本です。 立派な先生になれる日が来ることを祈っています。
お礼
まず細かく読んでいただき、ありがとうございました。嬉しかったです。 1年自分ルール貫徹を目標にしてみます。批判されてもやめないことが自分の自信につながる気がします。まず作るところからですが。 あってるかどうかは、1年後くらいに考えることにします。 褒めるタイミングについて調べてみましたが、どれが正解なのかわかりませんでした。 成功したことにプライドを持つ。いい言葉ですね。周りから「成功したよ」と言われても全く実感が持てなかったのですが、自分ルールで成功した時に初めてプライドを持てる気がします。 頑張っていることにプライドを持っているのはご指摘通りですね。気をつけようと思います。 おすすめの本読んでみますね。ずっとドラッガーはどこかで読みたいと思っていたんです。 色々と考えてくださり、ありがとうございました。おかげさまで少し指針が見えてきました。もうちょっとがんばってみます。
- g27xxxxx
- ベストアンサー率28% (124/441)
ANo:8について 何を以て判断したのか? …感じたと申し上げているのです。 私自身に貴方の理解を判断できるだけのものは有りません。 しかしながら、信頼を尊敬と言い換えたり、感じたと答えたのを判断したと言い換えたり、 貴方の受け止め方が、私の回答内容を曲解してると感じる部分が有るのは確かです。 私の回答に反発を感じているのも確かなようですね。 貴方には何かが欠けている、そう感じながら回答しています。 それが何か分かれば、ズバッと直球で答えてあげられるのでしょうが、 残念ながら私自身もそれを判断できるだけの能力は持ち合わせておりません。 上から答えているつもりも有りません。 言葉ヅラだけで物事を判断しようとされると、このような結果に至ることもあります。 生徒の要求も、中には本心が求めているものと違う場合もあります。 「俺は尊敬されてる、黙って云うことを聞け」 そう言ってる先生は生徒の本心に自信を持って応え、信頼を得られるだけの結果を出しているのではないでしょうか。 貴方には日本が曲がって伝わるようです。 これでは何を答えても無駄かもしれません。 私からの回答は以上で終わらせてもらいます。
お礼
本当に勘に触る書き方ですね。 コミュニケーションに曲解はつきものです。伝える際にあなたは自由に表現する権利があるし、私の方にも自由に解釈する権利があります。私はあなたの尊大、批判的、決めつけの文章から総合的に判断しただけです。あなたの言葉を借りるならば「感じた」ですが。言葉ヅラだの騒ぎますが、あなたの文章全体に、嫌なものを感じます。あなたは私が曲解すると騒ぎますが、そう感じさせる責任はあなたにだってあるんですよ? あなたがそんなつもりはないと、私の理解力や判断力を責める自由があるように、私にもあなたの文章表現力を雑だと貶す自由があるはずです。コミュニケーションの瑕疵は両方にあるはずですのに、一方的に私を責める点が、上から目線だと私は「感じ」たのです。 私はなにか欠けています。そんなの私自身が物心ついたころからわかっていることです。 それでも必死こいて生きなければいけません。悩みながら、時には人の助けを借りながら、泥臭く生きています。 何も知らず、信頼関係も築かず、いきなり「かけている」と詰るあなただってそうとう「欠けて」いますけどね。 本筋からずれました。回答ボランティアについて、考える機会となったことを感謝致します。もう関わることがないことを願います。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
#7です。 >嫌われても、真っ当に成長させるために、毎日怒鳴り散らした時期もありました。私の基準が高すぎるために生徒がついていけないと言われ、笑って冗談を踏まえ、遊びながら掌でコロコロ転がすように誘導するようになりました。 これを読んで思ったのですけれど、「なんだか小手先でなんとかしようとしているなー」と感じました。人を育てるって、そういう小手先のテクニックでどうこうっていうものではないと思いますよ。それは、学校の先生だろうが企業の人材育成だろうが同じです。質問者さんは、生徒さんを育てることをゲームキャラクターを育てるような感覚で小手先のステイタスを伸ばそうとしているのではないでしょうかね。 芯が抜けているという印象を受けるのです。確かにおっしゃることは正しいし立派だと思うけれど、理論に質問者さん自身の経験が追いついていないから、いっていることは正しくても説得力はないというふうに感じるのですよね。それを、生徒さんたちは見抜いているのではないでしょうか。なんていうのかな、「あの先生、恋愛について語ってるけど童貞だよね」みたいな感じかしら。 だから、今ぶつかっている壁は、その理論と経験のギャップから生じるものだと思いますよ。どうすればいいのかというと、これはもう無我夢中でもがくしかないと思いますね。挫折しないと自分も成長しませんからね。 私、最初は「そういう小手先のテクニックで何とかしたいなら予備校や塾の講師のほうがいいんじゃないか」って書こうと思ったのですが、教師という立場の人も大きな挫折を味わった人のほうがいい教育者になれると思うので、他人ごとの気軽さで「大いに悩み挫折し、もがくといいさー」っていいます。ゲーテも「泣きながらパンを食べた者じゃないと、人生の味は分からない」といってますからね。 試行錯誤の中で、自分の芯を作っていけばいいと思います。
お礼
そうです。所詮小手先のテクニックです。同じ目線で戦ったら40年持たない、むしろ一回精神壊してから教師として始まる、と多くの先生に言われたものです。真面目に訴えるほど言葉が通じませんから。 何かを教わって受け取り、育ててもらった感覚がすごく乏しいです。何をやれば「育てる」になるのか、わかりません。放置しても人は勝手に学んでいけるはずだと思ってしまうけれど、現実は。。。 足を洗って塾業界に行こうかと考えます。 一緒に考えてくださり、ありがとうございました。
- g27xxxxx
- ベストアンサー率28% (124/441)
ANo:6に補足頂いたので… 不快に感じて、ひどいなと思った。 …まだ反論できるだけの精神的余力は残っているようで、少々安心しました。 ANo:2ではオブラートに包んで回答し、 それでは全く理解できてないなと感じたので、 ANo:6ではキツめの回答とさせてもらいました。 「信頼できる」を「尊敬できる」と読み違えるなど、言葉を把握する力も弱って相当お疲れのようですね。 教師にとって精神的な疲労は致命傷となりかねません。 総体的な判断力も相当鈍っておられるように感じます。 自身を持って生徒と向かい合い、正しい結果を見せて信頼を得るという、 教師としての基本的な考え方が必要です。 ただ、質問のような現状なら、貴方自身の能力では限界に来てるような気もします。 無理を続けても自己破滅に至る可能性さえあります。 出来る事なら一旦ここは現場を離れて心の病みを癒しながら、教育についてはそのあり方を外側から見つめ直すようお勧めします。
お礼
何を持って私が理解した、理解していないと、と判断しているのでしょうか。このように上から目線で物を言われるのが嫌いだから、こうなりたくないのです。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
あれじゃないですかね、質問者さんは生徒さんに好かれたいと思っていて「嫌われる勇気」がないのを見抜かれているのではないですかね。子供って小学生くらいからそういうのをちゃんと見抜きますよ。 強い先生が案外支持されるのは、「強い」からです、嫌われることにも、批判され叩かれることにも。それが傲慢であったとしてもルールがブレなかったらそれはそれでしょうがないと思えます。 上に立つ人間は、オーラがなければなりません。強い運動部の監督の先生なんてそうじゃないですか。「この監督についていけば勝てる」と思うからついていくわけであって、そう見せる演出も大事です。どこかの野球強豪校の監督で「練習中は厳しく怒鳴っても、試合中は褒めることしかしない」といっていた人がいました。みんな監督の顔を見ているから、試合中にベンチで監督が激怒していたら委縮しちゃうからです。 昔のローマで、市民が暴動を起こしかけたことがあったそうですよ。サン・ピエトロ広場に市民が集まり殺気立った空気になっている。それを聞いた時の法王は、持っている中で一番豪華な服を持ってこさせたそうです。市民は暴れてやろうかと思っていたら、法王がものすごい絢爛豪華な正装でバーン!と出てきたものですからそのオーラに圧倒されて市民は法王に膝まづいたそうです。 貴兄はこれをもっと見た方がいい。 https://youtu.be/I3rfZzd0rE8
お礼
回答ありがとうございます。 嫌われても、真っ当に成長させるために、毎日怒鳴り散らした時期もありました。私の基準が高すぎるために生徒がついていけないと言われ、笑って冗談を踏まえ、遊びながら掌でコロコロ転がすように誘導するようになりました。ふざけようと思ってふざけたことなんてありませんけど。好かれる必要はないけれど、嫌われる必要もありません。 もう、よく分からないんです。 何が必要なのか。何がふさわしいのか。何がしたいのか。 ごちゃごちゃしてすみません。ありがとうございます。
- g27xxxxx
- ベストアンサー率28% (124/441)
ANo:2追加回答します。 教員は公僕? 滅私奉公? それが一般論? そして私の回答も一般論? 質1 寿命なのではなく、最初から貴方には向いてない職業だったと答えたのです。 質2 公務員は社会の公僕であるべきですが、 貴方は生徒にとって人生の先輩なのに、教師として生徒の下僕に成り下がっています。 貴方自身が一般論を誤解したまま上下関係に縛られているので、教員と生徒は上下関係ではないと教示したのです。 信念に基づいて人生の導標となるべき教師が、そのようにフラフラしていては生徒の信頼は得られません。 ご質問のような事態に陥るのは当然の結果です。 貴方が確固たる教師像を持たずに、生徒の要求に応えるだけの召使い的存在になってるのですから。 公僕とか滅私奉公を一般論だとか分かっているとか、そんな言葉に縛られているから何もできなくなるのです。 貴方にとって生徒は人生の後輩なのです。 まだ大人になりきってない生徒は目先の結果で判断します。 要求すれば何でも応えようとする貴方は結果的に生徒の下僕的存在でしかなく、 貴方自身が人生の先輩と後輩という教師と生徒の対等な信頼関係を放棄して、 教師は生徒の下僕であるかのような印象を与えて、誤った上下関係を作ってしまったのです。 生徒との関係を公僕とか滅私奉公とか誤った一般論で捉え、それを分かったつもりでいる貴方は、 その事自体が生徒に対して誤った教育を施しているのだという事に、全く気付いてないのです。 信頼できる先輩教師を見つけて、一度相談してみると良いでしょうね。
お礼
ありがとうございます。 召使いってぴったりな表現ですね。 尊敬できる先輩教師。。。いませんね。。。 ちょっと疲れてしまいました。 回答ありがとうございました。
補足
一方的に決めつけ批判されたことを不快に思います。そこまでひどくないな、と思えてきました。 ありがとうございます。
- hekiyu
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質問1 私は教員として寿命なんでしょうか? ↑ 御自分で指摘しているように、人格で服従させる タイプのようで、それは現実には難しいですよ。 会社でもそうですが、相手を思って、なんてのは 舐められるだけに終わりがちです。 質問2 結局は学校の先生は上下関係で成り立つ方が生徒は幸せなんでしょうか? ↑ 幸せということは無いでしょう。 軍隊でも、会社でも、問答無用で従わせる 上司の方が有能とされ、よい結果を出せる場合が 多いです。 人格で、というのは余程でないと無理です。 質問者さんは組織には不向きのようです。 かといって、これはその人の性格にもよりますから 方向転換も難しいでしょう。 仕事だ、教師ではなく教員に過ぎない、つまり 学業だけに割り切って仕事をする、というほうが 良いのでは無いですか。
お礼
そうですね。黙って言うことを聞けという軍隊タイプでも、昔の教育と同じように、よく分からないままやっているうちにいつのまにかわかっているという身体知があるということもわかります。 衆愚をまとめる賢い哲学皇帝がいる方がいい世の中になるという理屈もわかります。 私は孤独な支配者になりたくないな、と思いました。考えすぎですけど。 勉強を教えると割り切っても、今私が教えている教科をなぜおしえるのか、役に立たないじゃないかと罵倒されまくってて、自信がわきません。 向いてない、のかもしれません。 回答ありがとうございました。
私は50才半ばですが、教えていたただいた先生の顔、覚えています。特に何もなかったし授業の内容も覚えてないけれど、先生の笑顔だったり。逆に理不尽に怒られたこと、鮮明に覚えています。満足しているか?本当のこと、将来的なことわかりますか?自分の評価より生徒さんの事を考えて、接して下さい。ダメなものはダメとちゃんとしかってあげて下さい。親にちゃんとしかってもらえないお子さんて、色々やらかしませんか?職業に貴賤はないと言いますが、私は医者と教職は二大巨頭です。先生も悩みながらも仕事してること、高校生には必要な情報だとも思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 私自身先生なんて頼らずとも自力で独学してきたという傲慢な自負があります。 生徒の時間を奪う以上、それなりのサービスを提供したいと考えてしまいます。 自分の価値観で叱って洗脳してもよいのか、悩む毎日です。 ありがとうございます。がんばりたいと思います。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
いろいろな考え方ができるので、私個人の考えです。 学校によって様々な方針があるでしょうから、基本それに従うべきです。高校は義務教育ではないので、無理やり入学してくる生徒は(建前としては)存在しないはずです。実際にそこまで覚悟しているかは別にして、「学校のやり方に従います」ということで入学してきているわけです。 教員にどこまで裁量が認められているかも学校によって違うでしょう。自分がいいからという考えで、学校全体と相いれないやり方を進めたりしたら確実に孤立します。「金八先生」みたいなのはあくまでフィクションだから許されるのです。そのやり方をして生徒といざこざが起きたりしたらもはやあなたの責任ではありません。問題を整理して教職員会に持ち込んで解決することになります。
お礼
学校に合わせる。 はい。学校には文化があって、長年に渡りその文化にあった生徒対応を現場の先生方が作ってこられ、そこに埋没する方法が一番うまくいくと、わかっています。一般企業と同じく、理念が異なれば転職すればいいこと。 わかっていて、それでも新たな回答を求めていました。 生徒は理屈を分かる頭を持ってないから、恫喝して生物として自分が格上だと分からせる指導の学校。 休み時間のたびに生徒の相談にのり、ひたすら話を聞き毎日個別指導に明け暮れる学校。 何をやっても許される自由すぎる学校。 一年ごとに校風が変わりすぎて、気が狂いそうです。 回答ありがとうございました。 考えを言葉にできて少し楽になりました。
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お礼
家庭のない家族、面白そうですね。 確かに昔は家庭のシステムが揃い、育児がしやすかったかもしれません。育児の先生の祖母はいるし、女性は家事育児に専念できるし、子供は遊び相手に事欠かないほど地域に友達やおっちゃんがいるし。 確かに生徒指導問題がある子は言語能力が低く、いろんな感情を言葉にできず「シネ」にしちゃう子でした。対話が足りていないことを感じます。 なんて前置きが長くなりました。 そうですね。誰かと比べています。それがわかりやすいので。社会人どころか卒業生を出しておらず勤務先を1年ごとに変えているのも原因かもしれません。大人になった生徒と話す機会があれば、また考えも変わるのでしょうか。 流れを知れば、楽になるのでしょうか。類型化して、成長の流れを知り、ポイントポイントの指導を覚える。それができたら楽になれるように思います。数年間かかりそうですが。 長く、真摯な回答をありがとうございました。 少し思考停止して、数年後を待とうと思います。 ありがとうございました。