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お願いしますm(_ _)m
私は就職活動を終え、遂に働くことになりました。 しかし急な人事の問題により私の配属地が縁もゆかりもない東京になってしまいました。正直親元から離れる事も、住んだことのない土地で一からやっていくのも不安だらけです。 このように就職などにより環境がガラリと変わった方で、良かったことや成長したエピソードなどをお聞きしたいです。 また励ましの言葉なども頂けたら泣いて喜びますm(_ _)m
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遂に働くことに・・・よかった、僕もうれしいです。 ハンカチを用意してから、僕の回答を読んでくださいね。 (ごめんさい、それは言い過ぎ・出しゃばりすぎ、でした) 環境が変わったほうが、自分が強くなる ような、気がします。 手続きやなんかの細かいこをは、自分でやらなければならず 勉強になります。 自分のため、当然にそうですが その勉強は、将来かならず、誰かの役に立ちます。 不安だらけ・・・そうだと思います。 でも2年後、5年後の自分を想像してみてください。 今とは、確かに違うはず です。 それは、ご両親にとって 良い事 なのか 寂しい ことなのか? なれない土地で、初めての給料 使い道、悩みますね。 母さんが、夜なべをして、手袋編んでくれた~ ♪
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勤め人とは遊びではないので自分の思い通りになるとは限らない。 会社に所属する以上は会社の方針に従わないといけない。(希望を聞いてくれる場合もあるけど) 十年同じ業務をやってスキルを積んでも、それが活かせない部署に異動になったらそれを受け入れる。 転職となると会社の文化から変わりもっとストレスは大きい。 こういう事は遅かれ早かれ誰にでもある。1回では済まない。 言葉の伝わらない海外の部署というわけでもなく同じ日本。 大学のうちから親元を離れ上京する人はゴマンと居るのでまだまだ初級の試練。 イキナリ上級ではなくて初級から入れてラッキーだと思ってガンバレ!
- kolon2015
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長文になります。 あなたのいる場所がどこかに分かりませんが、まず東京に呼ばれたと言うことは会社に期待されている、将来も活躍して欲しい人材として見込まれたという事です。 おめでとうございます。 現在の日本国内では仕事の忙しさは東京に一極集中しています。 会社は出来るだけ有能な人材を東京に集めて短期で経験を積ませ、教育後に地方へ戻す事が多いです。 特に東京オリンピックの2020年までは多くの業界が忙しい状況。 数年後には「東京に来て大変な事ばかりだけど、来て良かったな」と思ってますよ。 私は生まれも育ちも兵庫県で40年間県外に住んだ事は有りませんし、転勤希望も出したことは有りませんしでした。 ところがある日突然「東京に行ってくれ」と言われました。 しかも全然違う部署。 選択肢は無く 「役員会でもう決まったから」という結果通知だけ。 もう不安しか有りませんでした。 東京で一番嫌だったのは朝の通勤ラッシュです。 特にJR中央線の混み具合は最悪でした。 最初立ち位置の心構えが無く、押されるがままに移動して気付くと押し潰されたヒキガエル状態で「ぐうぉ~」と今まで発した事の無い言葉を発していました。 驚いたのは皆さんは全く平然としているのです。 また、路線が多く土地勘が無いので初めて乗る電車はどっち方面になれば良いのかさっぱり分かりません。 路線が直線では無くグニャグニャ蛇行していたりするとどっち行きも同じ方向に感じる事も有ります。(銀座から丸の内線に乗るときなど) 本数が多いので2本同時に来て同時アナウンスされると何言ってるか全然分かりません。 結果、駅員に聞くのが一番手取り早いです。 また路線数が多く絡んでいるのでどこかで事故が起きると各路線で遅延が多々発生します。 これも皆さん慣れており、冷静に会社に連絡し調整しつつ迂回乗り換えしています。 でも東京に来たおかげで貴重な重要プロジェクト経験を幾つもさせて頂き振り返ると良かったと思います。 プライベートでは大規模なイベントがあちこちで開催されるので楽しいですよ。 東京に4年住みすっかり慣れて来たのでそろそろ関西に戻して欲しい、と要望を出したところ上司の分かった!という爽やかな返事。 安心していると1ヶ月後、上司の返事は「結局上海に2年間行ってもらう事に役員会で決まったから」 「へ??」 「結局」の意味が全く分かりません。 余計遠いやんけっ!! もしハリセンを持っていたら上司の後頭部にパシコンッ!とやってるところです。 しかも事前打診も無し?? いつものことですが。 中国に行ったことは仕事でもプライベートでも一回もなく、英語も中国語も喋れません。 知識は麻雀と三国志くらい。 どう考えても生活できる気がしませんでした。 会社は何もしてくれないので自分で中国語学校を探して一から必死で勉強しました。 授業代の領収書を会社に出してワーワー騒いだら清算してくれました。 言ってみるものですね。 9ヶ月勉強したので何とか基礎は理解できたかなと思って上海に住み始めましたが、全く聞き取れません。 スピードは2~3倍早く喋るし、習って無い単語ばかりだし地方出身者の発音は全然違うし。 マンション向かいの工事現場は24時間突貫工事をして夜中2時にコンクリート打設始めたり、朝の5時からハツリ出したり。 正直最初の2ヶ月は心が折れかけました。 上海に来てもう1年が経ちます。 土地勘もできて中国語も半分くらいは聞き取れるようになったのでなんとか大丈夫です。 英語も習い始めましたが日本語は誰も話せないので英語を英語で教わっています。 時々簡単な英語の説明を早口の中国語で教わるので副産物として中国語のリスニング力がアップしHSK5級(最上が6級)も合格しました。 (上海に来てからの中国語や英語の学習費用は全部自腹です) 人生は本人の予想外の方向に流れていく事が有ります。 その時はその意味や重要性が分からないと思いますが、踏ん張って経験を終えた時には大きなチャンスに恵まれていた事に気付かされます。 経験する事で人間はいくらでも成長しますから、臆する事なく果敢にチャレンジして下さい! 大丈夫です。 東京は日本語が通じますし円も使えますから。
- SPS700
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僕の経験などお役に立たないでしょうが、中学校の一年生の時、縁もゆかりもない農家の田植えの手伝いに駆り出されたことがあります。 その時田んぼで、痛痒い感じがしたのですが、泥水から足を引き上げた時、何本も太い黒い毛が足に生えているのに気づき、引っ張ったところが、僕の血を吸って丸々肥えたヒルでした。 その跡は赤い噴火口のような跡があちこちに残り、環境がガラリと変わりましたが、成長はあまりしませんでした。 ただしあとで、漢文の時間に李紳の『憫農』という詩で「誰知盤中飱粒粒皆辛苦」という句に遭った時にはなんだか少し分かったような気がしました。 https://kanbun.info/koji/ryuryu.html