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大学名より入学後に何をするかが重要なら推薦がいいね
「大学は偏差値の高い所が良いんじゃない。大事なのはそこで何をするか!」 受験関連の質問にはこの手の事がよく言われるけど、 そういう人に限って指定校推薦とか公募推薦とかAO入試とか、附属高校からのエスカレーター入学とかの無試験入学を否定しまくるよね? これなぜなの? 入ってから何をするのかが重要なんだったら、入り方なんてどうでもいいでしょ? だったらラクな入り方するのが一番いいじゃん。 受験勉強なんて無駄ですね、大学に入ってからの勉強ではなく入るまでの勉強なんて意味ないから。 附属高校で先に専門的な勉強してて、大学に上がってもそれ継続するのが一番いい。 「大事なのは入学後に何をするのか」なんでしょ? それなら、できるだけ無試験で大学入るのがもっとも理想的。偏差値や大学名に価値がなく、入学後にやったことのみに価値があるなら努力は入学後にするべきなので。 大学名よりも入学後に何をやったかが大事って人は当然、推薦やAO入試も賛成なんですよね? 推薦は反対してるけど大学名や偏差値には価値が無いって考えはおかしいですから。 偏差値が高い大学はそれだけで優秀って言うのなら入学前の入試も評価対象だから、何をするかが一番大事とは言えませんね
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- wy1
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貴方は高校と大学(まともな水準の高い)の授業/勉強の違いを認識されていように見えます。高校では大学/大学院などで要求される専門性などは全く授業にありません。 一般的な私立の大学で、単位が取れなくて留年する人が多いのは、付属から上がってきた」人だと言われています。 無試験で大学に入れるようにするには、大学入学資格を現在より数倍高レヴェルに設定する必要があるでしょうね。現在のドイツの制度が近いようです。もっとも、私立の大学は非常に少ないし、付属高校みたいな場もありません。
- ithi
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niiza1125さん、こんばんは。 「大学は偏差値の高い所が良いんじゃない。大事なのはそこで何をするか!」 受験関連の質問にはこの手の事がよく言われるけど、 そういう人に限って指定校推薦とか公募推薦とかAO入試とか、附属高校からのエスカレーター入学とかの無試験入学を否定しまくるよね?(今、本当にエスカレーターで行ける学校ってあると思います?) これなぜなの? 一般入試と指定校推薦とか公募推薦とかAO入試とか、附属高校からのエスカレーター入学とかの無試験入学できた学生って、実力が歴然としていますよ。第一、前述しましたけど、エスカレーターなんか本当に現実行われているんですかね?そんなら、指定校推薦とか公募推薦とかAO入試の方がはるかに優秀な学生が入ってくる可能性があります。 あなたの「大学は偏差値の高い所が良いんじゃない。大事なのはそこで何をするか!」に気づく学生は一般入試で入ってきた人たちに比べ、はるかに認識力に及ばないと思います。そして気づくかどうかは偏差値に比例すると思います。純粋にエスカレーター進学だった場合、ひどい人は高校の延長だとして入っている学生もいます。その差は歴然でしょう。わざわざ学部の定員について一般入試の学生を優先的に入れるのはそのためです。推薦などで自分の好きな学部に入れるのはよほど運のいい人です。一般入試学生をなめないでください。最初から実力が違いすぎて、足元にも及ばないと思います。
- moritaroh
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たぶん、あなたは何かを勘違いされていると思います。 >附属高校で先に専門的な勉強してて、大学に上がってもそれ継続するのが一番いい 付属高校はあくまでも高校なので、大学とは指導も領域も全く異なります。 付属高校で専門的な勉強ができる可能性はほぼゼロです。 まあ、それはさておき、私はあなたの言うように、「入ってから何をするのかが重要なんだったら、入り方なんてどうでもいいでしょ?」と思いますね。別に推薦でもAOでもエスカレーターでもいいと思います。 >受験勉強なんて無駄ですね、大学に入ってからの勉強ではなく入るまでの勉強なんて意味ないから。 しかし、この点は勘違いされていると思います。 受験勉強は大学に「入る『ため』」の勉強であり、大学に「入る『まで』」の勉強は、それこそ推薦入試に必要な高校の評定平均を取るための毎日の勉強です。 推薦やAOに挑戦するためには、大学に「入る『まで』」の勉強をおろそかにはできないので、推薦やAOで入学する学生を「ラクな入り方」したとは思いませんし、言えないでしょう。 努力と苦労の方法が違うだけで、その総量はどのような入試方法でも同等です。 大学に「入る『ため』」の受験勉強をする半年間~1年間の苦労と、推薦の評定平均を取るための大学に「入る『まで』」の数年間の苦労は、その勉強の総量は同じですが、時間に対する密度が異なります。 人によって向き不向きはありますが、私はどちらかといえば、長期間コツコツと勉強するのは苦手だったので、せいぜい本腰入れるのは半年程度の受験勉強をして大学に入る方がラクだったとさえ思ってしまいます。 AOもそうで、勉強とは少し異なりますが、早くに特定の大学に絞り込みエントリーを行うなど、長期的かつ計画的に受験を考えないといけないので、その苦労とか自己の決断はだいぶしんどいのではないか、と想像します。模試やセンターの結果などでギリギリまで志望校を変えられる受験勉強の方が、優柔不断でもいいですし、自分で決断しなくても数字を見て判断すればいいのでラクなのではないか、と思ってしまいます。 エスカレーターにしても、付属高校からの上りは、付属高校内での成績によって配分が決まってしまうことがほとんどですし、そもそも付属に入るための受験勉強をやったことにはなるので、苦労は同等になるでしょう。 好きでやっている分には、何事も、それを苦労だとは思わないのですが、おそらく多くの人が、大学には入りたいが、大学に「入る『ため』」の受験勉強が強制されることが大変な苦労である、と認識しているので、まるで推薦やAOがラクして入ったかのような言われ方をされるのでしょう。 しかし、どのような入試方法で入学しようとも、その苦労や勉強の総量は同じであるため、「大事なのは入学後に何をするのか」という結論になるのです。 また、「大学名よりも~」と言うのは、目的や動機の度合いの違いであって、「大事なのは入学後に何をするのか」という結論は同じでも論点がズレます。 偏差値や大学のブランド力だけで大学を選ぶよりも、明確な目的意識を持って入った大学で学ぶことの方が身につく、というモチベーションの問題です。そうであるがゆえに、「大事なのは入学後に何をするのか」と言う結論に至るのです。 いずれにしろ、どのような議論の始まりでも、結論は「大事なのは入学後に何をするのか」、ということになるので、「大学名より入学後に何をするかが重要なら推薦がいいね」という考えは正しいのですが、「大学名より入学後に何をするかが重要なら推薦『だけ』がいいね」と言うのは正しくない、ということです。 「『大事なのは入学後に何をするのか』だから、入試方法もどのような大学に行くかも、どれも『すべて正しい』」となります。 なお「すべて正しい」のに、なぜさまざまな誤解が生まれるかは、以下のように説明できます。 推薦やAOでの合格者は、大学によって「選ばれた」という自尊心があります。エスカレーターでの入学者もこれに準じた自負があります。しかしこれらを、あたかもはじめから「選ばれた人間だ」という優越感に錯覚してしまい、自分が目標達成のために行ってきたプロセスを忘れてしまいがちになるのです。また、自尊心や優越感によって自分の立ち位置を形成しているので、そのプライドが傷つくのは自分を否定されることにもなり酷く嫌います。 逆に、いわゆる受験勉強での合格者は、試験により合格を「手に入れた」という達成感があるのです。しかし「選ばれた」のではない劣等感が無意識に存在していることから、自分が目標達成のために為してきたことを過大評価してしまいがちなのです。ですから大学偏差値などを自身の努力値に置き換えたがるのです。 「選ばれた」ことと、「手に入れた」ことは、同じ合格でも心理的な影響は異なります。 しかし大学では「入学後に何を『する』のか」という、主体性が重要になってくるので、ともすれば、「選ばれた」と思っている人間の多くは自らが何かを成したという達成感が少ないがゆえに主体性を持ちにくく、合格を「手に入れた」と思っている人間の方が、無意識的にせよ主体性に気付きやすいところはあるでしょう。 このことが推薦やAOなどへの批判材料になっているのと、推薦やAO、エスカレーターで合格した人間の持つ、優性的に「選ばれている」と思いたい自尊心が、他者の評価に依存してしまうことを増長させ、自ら能動的に動く主体性にさらに気付きにくくさせることもあるでしょう。 大学が欲しているのは主体性を持った人材ですが、入試方法を問わず、その人間に本当に主体性があったのかどうかは、4年間を経てみないとわかりません。 推薦やAO、エスカレーターで合格した人間は、優性的に「選ばれている」と思うような奢りを持たず、自ら望んで大学を「選んだ」という主体性をしっかりと持つことで、優劣をつけたがる心理的な罠にはまらなくて済みます。 また、受験勉強により合格を「手に入れた」と思っている人間は、大学入試による基準をクリアしたから「選んでもらえた」のでしかなく、まだまだ基準を100%満たしているわけではないと自覚すべきです。物事の価値基準はたった数字で表されるだけではないことに深く考えを馳せるべきです。また、合格するための努力はすべてが自分の主体性によって成された努力の成果なのではなく、家族や他者からの無条件での支援や提供によるところも大きいということを知るべきです。
お礼
慶応や中央の附属は先に簿記をとったりしてます
- michiyaxkomaba
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はじめまして。 「そこで何をするか」・・「やりたいことができる」「一生懸命になれるものを見つけ,取り組む」ということかなと思いました。 希望する学科・学部に入学できなかったために悩む人がたくさんいるようです。なので,何をするか(何をしたいのか)ということはとても大事です。納得でき,やりたいことができる学部・学科に推薦で入れるならとてもよいことだと思います。国公立・私立を問わず推薦は実施されています。大いに活用すべきでしょう。
お礼
はい
お礼
では大学の価値は偏差値であり、大学名であると言えますね