症を一義的に捉えてはいけません。
これは、折衷派が悪いのですが症という捉え方や実症の捉え方を【わかりやすく】するために(旧大日本帝国時代に帝国議会で漢方を認めさせるためには普遍的な捉え方を記載する必要があったため)”体力”あるいは腹力という極めて曖昧な表現で症を表したことに端を発しています。
例えば単純な例では葛根湯と桂枝湯は風邪という標的は同じですが、前者は比較的実症の患者、後者は虚証に用いると言われています。しかし、実際桂枝湯は表虚証に使うものであって完全な虚証には補中益気湯や人参養栄湯を用いるべきです。また、この2剤についても補中益気湯は冷えが強く精神的な衰弱が見られる場合に用いますが、人参養栄湯は物理的かつ急激に体力を失ったり、血液を失った場合などに適しています。これらは【太陰病の虚証】に該当しますが、人参養栄湯は実症の人間が過度の運動や性行為などを行った後に使うには良いものなのです。一概に6病位や虚実では考えず、薬性を考えなければなりません
従って実症向きと言われるものと虚証向きと言われるものの併用は実際にありますし、それは単純な話ではなく薬性を考えた上で行います
第二類医薬品の体力とは素人でもわかるように症を噛み砕いた言い方をしているだけであり、必ずしも適切な症を表現しているわけではありません
また症状を見て、それぞれに虚実を判断します。例えば肝実熱による腎虚などという形がそれにあたります。
お礼
質問に沿って専門的にご回答頂きありがとうございました。 是非選択時や相談時の参考にさせて頂きます。