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プレステ2の時代はなんだったのか?
- PS2の時代は斬新なゲームが発売され、バカゲーやクソゲーとも言われながらも品質は高く、良さが見いだせる存在でした。
- 最近は個人でもゲーム作成が可能になりましたが、PS2の時代に比べると個人レベルで終わるものが多くなった印象です。
- PS3以降のゲーム開発の難しさやゲームバブルの衰退など、他の理由も考えられます。
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人は常により新しい刺激に興味を持ち手を伸ばします。 しかしすぐ刺激に慣れ、似た物が量産され興味は薄れます。 PS2はPSより細かい3D表現が可能になった事で 新しい表現(刺激)が沢山試みられたのだと思います。 しかし既に多くの人はゲームに飽きたり、 買ってみたのに全然面白くなかった失敗経験から敬遠したり 興味そのものが遠ざかりつつあったと思います。 またPS2の後にインターネットが急速に普及し始め 多くの若いゲーマーがMMORPGに流れ、PS3はあまり話題になれず、 やがてMMOも供給過多になりマンネリし飽きられ始め、 オンラインTPS/FPS、ブラウザゲームの普及、スマホゲームへと 若いゲーマーの興味関心が流れた事も下火になった一因かと。 またネットの普及で動画観覧、SNS、コンテンツ制作など 若者が時間を割く趣味が多様化し分散した事も一因と思います。 PS2後のMMORPGブームのショックは大きかったのか 新作ゲームは急速にオンライン対応が増加して行きました。 多額の費用を投じて制作してもそもそも若者の関心が外にあり 売れ難い状態がネット普及後に続いてしまった事と、 コアなゲーマーが海外のゲームを買って遊び紹介する様になり 尚更作っても売れ難くなった事も関係あるのかもしれません。 推測と想像ばかりですが私個人はこうじゃないかなと思います。
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- SPROCKETER
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PS2の時代はニンテンドウDSなどの携帯ゲーム機ブームが起こる以前で、据え置き型ゲーム機全盛期です。 携帯ゲーム機やスマートフォン向けの携帯ゲームの普及が始まると、据え置き型ゲーム機市場は急速に冷え込みました。ゲームで遊ぶ時間が限られる据え置き型ゲームよりも、いつでも、どこでも遊べる携帯ゲームに人気が集まったからです。 これ以降は据え置き型ゲーム機の盛り返しがうまく行かず、任天堂もソニーも市場が縮小する結果になり、携帯ゲームに市場を奪われるようになりました。 ゲームで遊ぶ時間が家庭内に無くなり、通学通勤時間にゲームで遊び、家庭ではインターネットという生活が普及した結果、テレビや出版まで衰退するまでになり、生活や価値観が大きく変わっているのです。 生活習慣が変わったゲームプレイヤーは据え置き型ゲームをいくら作っても、元の生活には戻れないと思いますよ。
- migiug
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90年代ぐらいまでは世界のゲーム市場は日本が独創していました。 そこから現在まで日本勢は劣勢が続いています。これには複数の要素が関わっていると思います。 まずは経済的に日本企業の地盤が揺らぎ、投資ができないデフレ環境が長きに渡り続くこととなったことです。資産価格の下落が連続的に続く環境では企業の借金(投資)は経営を圧迫し続けるため、借金を最小化し続けなくては生き残れなく成ります。100万円の担保価値があったものが来年には80万円、更に翌年には75万円、更に翌年には70万円 のような事態が起こり、資産価格の下落が続く限り経営部門は借金返済に追われ続けることになりました。 次にアメリカのゲーム産業の勢力拡大です。Xbox、PCゲームなどが勢い良く日本へも流入してきました。アメリカはバブル景気となった時期もあり、これ以上ないほどに投資意欲は旺盛で、様々な分野で積極的な投資が行なわれ、当然ゲーム産業も例外ではありませんでした。既存のゲーム制作を前提としない様々な手法でのゲーム制作やゲームに関わる様々な実験が投資として積極的に行なわれ続け市場拡大を続けてきました。 更にその後はスマホ時代に突入し、ゲーム機が無くてもゲームが行えるということでゲームファンだけがゲーム機を買うという時代へと変化して来たという流れかと思います。 日本は90年代初頭にバブル崩壊で経済が失速することになった訳ですが、それでも過去の遺産や経営意識の観点から90年代中期ぐらいまではそれなりに投資が行なわれていました。そのため日本からの世界的なヒット商品は90年代ではまだ結構あったのです。 問題はその後で、日本政府を筆頭にデフレを容認するような政策が行なわれ、またデフレなのにインフレ抑制の経済対策が次々に行なわれ、日本破綻論というデマの下政府や財界が手を組んで緊縮財政政策で日本の投資意欲を縮小させるなど、日本は自ら経済を弱体化させる行動を行い続けたのです。ヤブ医者の診断を鵜呑みにした患者 となったのが日本であり、日本のゲーム産業もそこに巻き込まれる形で弱体化が進んで来たというのがここまでの日本のゲーム産業の事情かと思います。