• 締切済み

GODZILLAを好意的に見ているのは何故?

 ギャレス・エドワーズ監督による特撮怪獣映画「GODZILLA ゴジラ」のラストにおいて、怪獣「ムートー」(の雌)を倒した後に力尽き倒れていたゴジラが蘇生して立ち上がった事を人々が喜ぶ場面があるのですが、何故彼らは喜んでいるのでしょうか?(しかも「怪獣王は救世主か?」というテロップまで表示されていました)  同場面では「行方不明者数千人」というテロップも流れていますし、街もめちゃくちゃになっており、それらの被害は「ムートー」だけによるものではなく「ゴジラ」によるものも含まれているのですから、作中の人類にとって「ゴジラ」は「ムートー」と大差がない天災級の被害をもたらす害獣である事は間違いなく、死んでくれた方が危険が無くなって良い筈であるというのに、何故生きていた事を喜んでいるのでしょうか?  作中で芹沢博士が 「彼(ゴジラ)は調和を取り戻しに来た」 と述べている台詞もありましたが、それは芹沢博士個人が何の根拠もなく言い出した願望に過ぎず、怪獣達の闘争の結果、「ゴジラ」と対立する存在であった「ムートー」が居なくなり、「ゴジラ」だけが残ったのですから、バランスは「ゴジラ」側に激しく傾いて調和は失われてしまっています。  作中において「ゴジラ」はビキニ環礁で行われたものをはじめとする「核実験に見せかけた対ゴジラ用の核攻撃」にも何度も生き残って来たとされている事から、人類には「ゴジラ」の危険性をコントロールするための有効な手段を有していないと考えられますので、「ゴジラ」が生きている事を喜ぶ理由が解りません。

みんなの回答

  • jasko
  • ベストアンサー率24% (478/1966)
回答No.2

事の次第や善悪を考えないハリウッド映画ならではの快哉でしょう。 「わぁ、生きてるーっ」「スゲーッ。ヒャッハーッ」という歓声以外の何物でもないと思います。 爆発が見える位置で各爆弾が爆発しても深刻な反応をしない国民性は宇宙戦争(1959)から変わってないです。トュルーライズ(1994)にしろダークナイトライジング(2012)にしろ、核爆発をバックにキスしたり、安堵したりしてしまうわけですから。ハリウッド製娯楽映画のノーテンキさは侮れません。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。  つまりハリウッド映画では、そもそも筋道の通ったストーリーを作る気がないため、あの様な訳の解らないラストになっているという事なのでしょうか?  もしそうだとしますと、ハリウッド映画の監督や脚本家はストーリーの辻褄を合わせる程度の事すら出来ない無能という事なのですね。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.1

 あの映画におけるゴジラは、西部劇における「騎兵隊」なんだと思います。  白人側の論理でいうと、インディアンが暴れまくった後にやってきて、畑や牧草地、場合によっては建物をももっともっと荒らしたり破壊しながらインディアンをやっつけて、さっそうと帰っていく。  住民は、荒れ果てた町や田畑を背にして、歓声をあげて去って行く騎兵隊を見送る・・・ という伝統なんだと思います。  まあ、一種の様式美ですね。  あとで、騎兵隊維持のための隊員募集や協賛金(税金)の通知書が、被災者の下にドサッと届くのですが、そういうことは考えない、無いことにする、というお約束なんですね。  同様に、被害の現状や将来の被害などなど、去って行くゴジラを見送った後のことは、見ない触れない考えない。

kagakusuki
質問者

お礼

 御回答頂き有難う御座います。  つまり、単純に先に現れた方が悪で、後から現れた方が善だと見做しているだけという事なのですね。  そうしますと、今回は偶々ゴジラの方が後から現れたので善玉扱いされただけで、ムートーと同様に放射線量の多い環境を好む性質を持っているゴジラが、もしもムートーが現れる前にどこかの核施設を襲っていて、そこへゴジラに寄生するためにムートーが現われていたら、ゴジラが悪でムートーが騎兵隊扱いされていた訳ですか。  そしてムートーを倒したゴジラが蘇生して立ち上がったところで人々の顔は恐怖に歪み、ホラー作品の様なバッドエンドに・・・

関連するQ&A