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姉が障がいをもっていることについて

私は10代後半で一つ上の姉がいるんですが中度の知的障害(自閉症)をもっています。 幼い頃は、姉に対するコンプレックスや障がいをもっている方に嫌悪感などを抱いておりました。 ですが姉のおかげといったらおかしな話ですが、今は以前のような考えではなく姉のこともとても大好きです。 ですが、友だちやお付き合いをしている方などに姉のことを聞かれるとどうしても言うのを留まってしまいます。 というのは、恥ずかしいのではなくそのことに関して同情(かわいそうだね、大変だねなど)されたり、心無い言葉を浴びせられたり悲しい思いをしてしまうからです。 最近は慣れてきましたが先日、私が思いを寄せている方に姉のことを聞かれ今までのように話しました。 すると相手は「そういう環境で育った子っていい子だよね」と言ってきました。 その後、私の姉が障がい者ということを知っておきながらも、友達との会話の中で「お前の顔障がい者みたい」と言っていました。 きっと本人は悪気ないしいつものノリで言っていたのですが、私はとても気分が悪くなりました。 しかし彼のいいところも沢山知っているので、そのことで嫌いになるのはどうなのかと思いました。 私はたまたま姉が障がいをもって産まれてきて、障がい者に関して理解があるだけで それを他の方に求めるのはエゴなのでしょうか。 このまま彼を好きでいていいのか分からなくなり質問させていただきました。 読みにくい文章で申し訳ないです。

みんなの回答

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2725/12280)
回答No.5

全然エゴで構わないよ。彼の言動も彼のエゴだ。 人間はどうしても異質なものに特別な反応をしてしまうもの。10代の若者なら、尚更仕方ない面はある。 ただし、10代も後半なら、自分の言動がどのような影響を与えるか、考えなければならないとも思う。嫌だと思う事を無意識にしゃべってしまう相手はまた不意に嫌な事を話してくると思うよ。 彼にハッキリ嫌な事は嫌だと言えるなら、今のうちに言っておいた方がいいと思う。

  • hiodraiu
  • ベストアンサー率15% (451/2846)
回答No.4

> 私はたまたま姉が障がいをもって産まれてきて、障がい者に関して理解があるだけで > それを他の方に求めるのはエゴなのでしょうか。 エゴだと思います。 世の中には、過保護にされて当たり前みたいな障害者も存在します。電車で何度も見てきました。 そんな人間から見れば「そういう環境で育った子っていい子だよね」なんて言葉が咄嗟に出るだけでも信じがたいことです。私なら「大変だね」「苦労してきたんだね」等の質問者様の嫌う同情に近い言葉を発すると思います。 でも、その対応って一般的だと思うのですよ。家族に障害者がいることを同情されるのが気に入らないとか言われたら、その人とは感覚が離れすぎて会話は成立しないと判断します。在り来りの感性で話す言葉が気に入らないって言われても困るんですよね。 それと「お前の顔障がい者みたい」については、普段から言ってるのか、その前後の話の流れがあったのか分かりませんが、あまりよい言葉ではないですね。ただ、質問者様のお姉様の件を絡めてくると、話が面倒くさくなりますね。 あの人にはこの言葉は禁句、この人にはこの言葉は禁句ってことですよね。誰にだって大なり小なり言われたくない言葉はあります。障害を持った家族がいるってことが禁区のレベルが高いってわけでもないなら、全ての人に禁句はあると思います。でも、皆さん我慢してる部分はあると思うのです。 話に纏まりがなりましたが、障害者と無縁な環境の人に理解を求めるのは勝手ですが、それをエゴと捉える人もいることは御理解願いたいですね。

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.3

>「そういう環境で育った子っていい子だよね」と言ってきました。 >私の姉が障がい者ということを知っておきながらも、友達との会話の中で「お前の顔障がい者みたい」と言っていました。 その男性とはお付き合いするまでは行かない方がいいですね。 理性があるので『良い人』のフリをしているだけ、障がいを持っている人を差別してはいけないと教わってきたから『理解ある態度』を取っているだけで、本質的には健常者である自分とは違う「異質な存在」と考えているタイプの男性です。ですから障がいのある人を自分とは対等な人間とは思っておらず、確実に自分より劣る存在と考えていると思います。 むしろ、面と向かってハッキリと嫌がってくれるような男性の方が、逆に、先々、親身になってお姉さんのことも考えてくれるような男性になったりすることがあります。 障がいではなく、LGBT系の例ですが、同性愛者の人がもっとも傷つくのは『理解している』つもりになっている人との友人関係です。 面と向かって気持ち悪いとか理解できないとか嫌悪してくれる人の場合は、それっきりの関係になってしまうこともあれば、その後の付き合い方によって、相手は受け入れる方法を新しく自分なりに見つけ出してくれ、最良の友人となることができます。 しかし、理性的で知識として『理解している』人の場合は、いつまで経っても考え方が変わらず、あくまでも「自分とは異なる存在」として、精神的な距離を近づけることもできなければ、相手も一線を引いたまま決して近づいてはきません。ですが、本人は『良い人』で『理解している』わけですから、責めることもできません。 余談はさておき、私が思うに『理解』と「受け入れる」ことは違います。 それが嫌悪感であっても、感情や態度を表してくれる場合は、相手にとって感情が揺さぶられるだけのインパクトがあったわけですから決して無関心ではないのです。いずれそれは「受け入れる」ことへの糸口となってくれる可能性が十分にあることを示しています。 しかし『理解』は頭でわかっている、ということですが、言い換えれば感情が動かないように理性で抑えて無関心を装うような状態なので、逆に言えば相手は『意図的に関心が働かないよにしている』のです。これはむしろ生理的には「受け入れがたい」嫌悪と言えると思います。 おそらく質問者さまは、表面上での理解よりも、感情や感覚としての理解、言い換えれば「受け入れる」度量のある男性を求めているのだと思います。 それは決してエゴではありませんし、ごく普通の恋愛として考えても、表面上だけで好意を寄せてくれる相手よりも、言葉や態度は悪かろうが、感情や感覚としてお互いに受け入れ合える相手との方がうまくいくでしょう。それと同じです。 まあ、たぶんですね、お姉さんのことは、幼い頃は本当に嫌だったんだと思います。 それが原因で友達を家に呼べないとか、いじめられるのではないか、という恐怖とか、お姉さんの存在を恥じている自分への嫌悪とか、いろいろな感情がせめぎあってきたのだと思います。 ですが、これまで成長してくる中で、そのような感情を理性で押し込めることもあれば、感覚として『ごく普通なこと』として受け入れられるようにもなり始めて…ということでしょう。 人間誰しも聖人君子ではなく、家族とは言え障がいを持つ姉を憎いと思ってしまうこともあるでしょうから、むしろ、相手の男性に求めるのは『障がいを持っている家族(姉)を恥じたり憎いと思ってしまうこともある自分自身への嫌悪感』を感覚として持ち得ている存在がいいのだと思いますよ。そのヒントとして、むしろ始めは障がいを嫌悪してしまうような男性の方が、後々、質問者さまの気持ちに近いものを持ち得て、感情を分かち合えると思います。

noname#224719
noname#224719
回答No.2

>お前の顔障がい者みたい」と言っていました。 きっと本人は悪気ないしいつものノリで あなたのお姉さんは関係ありません。 私なら別れます。 >しかし彼のいいところも沢山知っているので、そのことで嫌いになるのはどうなのかと思いました。 無理に言い聞かせてませんか。 一言ですべてを失うことって あるんです。

  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3310)
回答No.1

傷害乗り越える:智慧

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