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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:高齢になると)

高齢になると身体や精神が不自由になりますか?

このQ&Aのポイント
  • 高齢になると様々な理由で身体が不自由になり、自立から衰弱全介助(下の世話含む)となります。もし「最後の睡眠がとれる」手段があれば、これを用いたいと思いますか。
  • また身体ではなく、精神の生命の保持が難しくなった時、例えば認知症により、意思表明可能から無反応、意欲的から無気力、社交的から無関心(自尊)から恍惚となった時、もし「最後の睡眠がとれる」手段があればこれを用いたいと思いますか。
  • 高齢の皆さん、いかがでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • pingo100
  • ベストアンサー率38% (15/39)
回答No.8

>「最後の睡眠がとれる」手段があれば これを用いたいと思いますか。 思いませんか。 思いますね。今すぐにでも、「最後の睡眠がとれる」手段があれば それが許されるのならば、ですが・・・・。

whaihansei
質問者

お礼

この場を借りて皆さんにお礼申し上げます。 オレゴン州では、   A 本人希望による治療の差し控え、中止   B 家族意思の同上   C 自殺幇助 が認められています。 29歳のメイナードさんはCを選択しました。 不治の病が認められたものです。 (A、Bを尊厳死と称します。  死ぬ間際に行われる措置です。) スイスでも自殺幇助が認められています。 でも医師の審査判断が必要です。自由に選択 できるものではありません。 高齢に限りますが、名誉、自尊が保てる内に、 と言う議論はまだどこでも行われていませんし、 そのニーズも調査されていません。 不謹慎などパッシングは必ず起こるでしょう。 (名誉、自尊が保てる内が、「真の尊厳」かも  しれませんね。) YESが3分の1ありました。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (8)

  • ki2222
  • ベストアンサー率9% (30/328)
回答No.9

はて。最後の睡眠。なんでしょう。睡眠は生理的なもの。終われば覚醒です。 こういうことですか。睡眠をとり覚醒したらすぐ死んだ。

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.7

治療せず入院せず介護も受けず、自宅で餓死すれば良いだけのこと。 60歳過ぎたら点滴も駄目です。 そんな事をすれば枯れるような自然死ができません。

  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.6

60代、男子。 思い通りに行かなのが人生。多分、最後まで思い通りには行かないんじゃないかと思います。 推測ですが、自分が死ぬとなったら本能が作動し「死にたくない」という原始脳が作動し、それ以外の「人間的意志」を無効にしてしまうのじゃないかと思います。・・・一般的に言っているのではなく、自分自身のことです。

  • yuyuyunn
  • ベストアンサー率41% (20359/48650)
回答No.5

それがエンディングノートなんじゃないですか? 実際終活していても実践している人はまずいませんが その場になればやっておけばよかったと思うことは多々あります 自然に任せられればいいですが まず病院が死なせてはくれない(でもだんだんその傾向は減ってきていますけど) 家族がそうさせてくれないことは多いです そこで終活のエンディングノートがあれば 自分の意思が一番尊重されますよね

回答No.4

自然に任せるのが良いと思いますよ。

noname#235638
noname#235638
回答No.3

僕は、手段を用いる道を進む。 先輩たちもそうですが、いろんな人を見ていると ある朝起きたら、最後の睡眠だった なんて都合の良い話は、ごくわずか。 僕の爺さん、父さんは 病院から焼き場直行の道をすすみ ばあさんは、自宅で寝たら それが最後の永眠だった。 そんな経験からも、僕にできることはもうない。 ないような状態にしておき ただし ある程度、自分で自分のことができる段階で 最後の睡眠を迎えたい。 介助や無関心など、そんな時期までは 待ちたくは、ないです。 それくらいしか、出来ない。

noname#221761
noname#221761
回答No.2

最後の睡眠が死ならば、自分の親を看取った限り考えられません。人の命は真剣に考えるべきです。

回答No.1

わたしはまだ50代だけど、将来を考えてそれ、考えます。 自分の尊厳もあるし、子供への負担もある。だからその手段は持ちたいと思う。 ただ、そう考えるといつも思うのは、「もうそのときだ」と思う状況に自分がなっているときに、「もうそのときだ」と判断できる脳があるだろうか、ということです。 逆に言えば、「もうそのときだ」と判断できる人はまだ「そのとき」じゃないんじゃないの? ということ。 そうするとこれは、無理ですねw

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