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言葉遣いにセンスがない家族
お願いします。 私ももういい歳のおっさんで、いまさらどうこう言うことではないのかも知れませんが、両親も姉も、言葉遣いのセンスがないことにたまにイラッとします。 父は、タレントなど女性を褒めるときに「男好きのする顔」などという表現を平気で使います。これ、褒め言葉になってないと思うんですが。私の感覚からすると「男好きのする顔」=風俗やらキャバクラやらに行って、自分についてくれたら嬉しいようなタイプの顔、です。さすがに面と向かって「あなたは男好きのする顔ですね」と言っているようなところは見たことがありませんが、そういう表現を下品だと思えない言語の感性にはなんか抵抗があります。 また、覚えた表現でちょっとくだけた表現は、使わなければいけないように頑として他の表現は使わないというのも父の特徴です。どこから仕入れたものか、いつのころからか「必死に」という表現を使うときに、どんな文脈であろうと「必死のパッチで」と言います。また、母の弟(私から見て叔父、仮に「太郎さん」とします)は頭はハッキリ言って良くないですが、冗談の巧い人でだからこそちょっと皮肉を込めて「太郎先生」と呼んできました。しかし、この叔父も老境にさしかかったせいか、住んでいる場所が悪い意味で「下町」という感じのところのせいか、性格が非常にゲスっぽくなってきました。「知恵はないけど、冗談は巧いね」という尊敬混じりの表現だからこそ「太郎先生」が成り立つと思うんです。「あんな男になると思わなかったぜ、太郎先生は!俺はあいつにこんな無礼なこと言われたぞ、あの太郎先生に!」もう完全に悪口でしかないのですから「先生」取ればいいのに、と思います。 父に関してはまだあります。意味を正確に把握してない言葉を、新しく覚えたからって多用したがるのです。父は東京育ちですが、事情があって今関西に住んでいます。どこかで「カンショヤミ」という言葉を聞きかじったらしいです。牧村史陽編の『大阪ことば辞典』によると「癇性病み」であり、意味は「病的に清潔なこと。きっちり屋」とあります。しかし、父はこれをどうやら「干渉病み」だと思っているようです。「お母さん(私の母、つまり父から見て配偶者です)の兄弟は、何かにつけてお互いにお互いの生活に口出し手出しばかりしている。放っておけばいいんだ。揃いも揃って『干渉病み』だ」と、こんな感じです。 母はまた違う意味で言葉遣いに非常にセンスがないんです。よく考えず、この言葉を相手に言うとどう思うか考えず、しかも言ったことを忘れるという特徴があります。中学生の時、私は親に言われて行きたくない塾に行かされました。最初「行ってみたら?」の段階の時、母は「合わなければやめたらいいんだし」と言われて、お試しのつもりで行ったんです。で、なんか先生も生徒も好きになれなかったし「やめたい」と言ったところ、母は「そんなんでこの厳しい受験戦争勝ち残っていけると思うのか!」と烈火のごとく怒りました。「合わなければやめてもいいって言ったじゃないか!」と言っても「ウソ言うな!」と怒鳴られました。そんな経験は今まで数知れずあります。 また、人の過去の失敗や、生まれ持った顔つき・体型などを腐すのを面白いと思っているのも母の特徴です。私はある士業資格で開業して、軌道に乗らず廃業したという経験があるのですが、今は弁護士になっても法科大学院で作った奨学金債務の弁済すらできず破産する人が多いらしい、という話をしたら「経験したがな!」と来ます。私は奨学金受けて司法試験受けたこともありませんし、奨学金が返せず破産した経験もありません。「士」とつく資格に絡む失敗、共通点はそれだけです。ですがそのことを突かれて私が面白いはずはありません。でも本人は2~3秒で忘れています。 部屋着のスウェットのズボンの裾上げを頼んだら「あんたは脚長いからなあ」と言います。ハッキリ言って私は脚は短いです。完全に母似の体型ですので。ですのでスルーしたいのですが、とにかくこっちから何らかの反応が返ってくるまで「あんたは脚長いからなあ」を繰り返しています。 これが両方遺伝してさらに強化されているのが姉です。小学生のころでしょうか「脂ぎった」という表現を覚えてきたらしいんですが、数年間にわたって私の顔につく枕詞のように「脂ぎった」を使っていました。こっちが完全にキレるまで短足を弄られたことも何度もありました。今は私が太っていることをよくネタにしますが、自分が「太ったなあ」と言われると、母をつかまえて夜中まで泣いているそうです。 姉にとって最近の新入荷ワードは「胸糞悪い」です。『進撃の巨人』という漫画があり、アニメ化もされてヒットしているようですが、私は正直内容は知りません。なんか食指が動かないんです。ですが、なんかテーマが重たいことは確かなようですね。私なら何と表現するか、正直呼んでみないとわかりませんが「糞」なんていう言葉が入っている言葉は下品っていう感性はないのかなと思います。何か言い換えワードはあるでしょう。 また、姉の子(私の甥)が、この春中学受験に失敗しました。姉が甥に向かって、その失敗のことをチクチクチクチクとつついてネタにします。本人はユーモアのつもりなんでしょうか?しかし、自分がそれをやられると「その話は今関係ないだろ」と言うことまで掘り出してきて狂乱するように怒るのです。下手するとその後3日くらいそのことに関して嫌味タラタラを続けます。 これ、私が打たれ弱すぎるんでしょうか?世間の人の言葉遣いの感覚ってこんなもんですか?東海道新幹線に乗ると、髪の毛をお団子に結い上げてその上に帽子をかぶり、スカート姿で車内を案内に回る女性がいますよね。車掌業務は行っていない方。あれは「新幹線パーサー」と言って車内販売の方と同じグループなんですが、ああいう働く女性のタイトスカートってヒップがすごくきれいに見えますよね。ですので、私も男同士で話すときは「あのスカート越しに見る尻はたまらないよな」というような話をしますが、女の人が近くにいるときは「後ろ姿がきれいだよな」程度に言い換えます。 自分の言葉を聞くのが相手なのか、たまたまその場にいるだけの第三者にも聞かれる可能性があるのか、フォーマルな場なのか気楽な場なのか、シーン別に使い分けている私は神経質すぎますか?不用意に言ってしまった言葉で相手が不愉快になったようなら十分反省するんですが、世間の人はそんなこと気にしてないのでしょうか? まあ、老い先短い両親はいいとして、ふたりの悪いところを凝縮してパワーアップしたような姉の2人の子どもが可哀相な気がして仕方がありません。
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- nonamelane
- ベストアンサー率28% (390/1358)
お住まいの関西地方の会話の影響を色濃く受けていらっしゃるのでは。お笑い芸人さんは他人の身体的特徴や過去、学歴、生活の様子まで時に頭をたたきながら言いますね。私から見てよく相手は怒らないなと思うレベルの低さ。面白おかしく言い返して初めて頭が良いと認めるかのようなやり取り。番組は観客の笑い声の録音を流すので、人々はそれが普通だと認識してしまいます。ましてそれが彼らのやり方なのでしょう。しかしあれは操作、私には会話を惑わせるくだらないテクニックにしか思えません。 ボケたり突っ込んだり、なぜする必要があるのでしょう。言葉の無駄遊びに聞こえます。本題をはぐらかし他人の貴重な時間を無駄にすることが多い。時に司会者がそれだと、本当は真面目な関東の出演者はいらいらしないかと思います。ポイントにストレートであることは誠実な表現です。私のいる海外地域で起こっている日本人同士の詐欺やトラブル、多くは関西人、あるいは関西在住の元外国人が関係していると聞きました。会話ではぐらかされるのでしょうか。 お子さんには普通の思いやりのある会話で話しかけられてはと思います。言葉はとても大切です。主さんは間違っておられないと思います。
- mdhdis
- ベストアンサー率15% (148/944)
51歳の既婚お父さんです! 言葉って難しいですよね~ センスがない言葉は やはり人を不快にすると 思います だからこそ シーンに合わせて 言葉を使い分けるのは 正解だと思いますよ 確かに子供は親の言葉使いを 真似しますから 不快にさせる言葉使いは 子供の為に 親は改めた方が良いでしょうね!
お礼
ありがとうございます。 前の方のお礼にも書きましたが(古い考えと思われる方もいらっしゃるんでしょうが)甥はいずれ「家長」になる立場ですからね。一家全員安っぽく見えるので正確さと品格は保って欲しいところです。 姉の言葉遣いには間違った言葉を使う、という特徴もあります。「接着させる」とか「隣に置く」とかいう意味の「くっつける」という言葉がありますが、これを姉は長いこと「ふっつける」と言っていました。改まったのは小学校卒業近かったころです。「ナンセンス」という言葉を「センスがない」という意味に使っていました。今は改まっていますが、いずれも改めたのは「正確ではないと知ったから」ではなく「使うと怒られるから」です。 甥が「@(アット)」のことを「ドット」と読んでいるのを聞いたとき、正直「まずいなあ」と思いました。これからの時代、それこそ子どもでも知っている基礎知識として正確に把握していなければいけない言葉だと思いますし・・・。 元から絶つ、という考え方を採るとき、甥に教えればまだ間に合う段階なのか、姉から行かなければいけないのか(聞きそうにありませんが)、親からやらないといけないのか(途方もなくたいへんそう)。迷います。
- ShidaraReitos
- ベストアンサー率13% (644/4647)
センスねえ。確かにそういうのはあるかな。 最近、「雑談力」っていう本を買ったんだけど、まさに君の思ったようなことを書いてあったのを思い出したよ。 何を隠そう、私も君のお姉さんとタメをはれる(?)ぐらい言葉にセンスがないからな。 なのでボロが出そうだなって思ったときは黙るようにしている。「沈黙は金なり」だ。 言葉のセンスを磨くにはいま話題にあるチャラ男君の発言を全て覚えることかもしれんね。 (川谷とか、某元衆議院議員のイクメン(?)とか、5人大満足の人とかな。 ああ、元都知事は言葉のセンスが悪い意味で光っていたな)
お礼
ありがとうございます。 おっしゃってる「雑談力」で検索しましたらいろんなサイトがヒットしました。プチブームなんでしょうか?本というのは『雑談力が上がる話し方 30秒でうちとける会話のルール』のことでしょうか。何か関連書籍も結構あるみたいですね。 一方的に話す人がいて、一方的に聴く人がいてというスタイルなので雑談ではないのかも知れませんが、私の理想の雑談(一応そうします)は、故・桂米朝師匠のマクラです。 上方落語四天王なんて言われていた人たちがいますが(皆さん故人ですが)米朝師匠はずば抜けて持ちネタが多かったんです。古い噺は、説明しないとわからないことも多いです。ですので他のお三方は「わからない話は諦める」という方向で対処せざるを得なかったんですが、米朝師匠は説明しました。 もちろん「今から面白い噺をするんですが、前提知識がないとわからないので、ちょっと説明を聞いて下さい」では場があっという間にダレます。四方山話をしながら細かい笑いを取っていき、噺が始まると(あるいは終わると)マクラが単なる四方山話ではなくきちんと前提知識の説明、それも極めて正確な説明になっていた、という感じです。さらにそこに崩しがたい品がある。 作家の筒井康隆さんは、テレビなどで「遠慮なく、大胆に分析して下さい」というようなときに「ズバリと」「ズバッと」を多用することに品がないとエッセイに書いていたことがあります。元々は人を斬ることに表現される擬音であるが、そんな物騒な表現を簡単に使うことに対する違和感です。 面白そうなので「雑談力」関連を少し読んでみます。
私の父親もそうです。 不快でした。
お礼
ありがとうございます。 性格を全否定するほどの要素ではないにしても、周囲の人間が恥ずかしい思いをするんですよね。 私の父母→私の姉→私の甥、とこの癖が遺伝してしまったら、いずれ甥が「家長」という立場になったときに、酷い良い方をしますと「安い家族」と思われてしまうと思うんです。 そこが心配です。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
ずいぶんと長いことお書きあそばされましたが、何を聞きたいのかよく分からなかったので、失礼ながら質問者さんもそんなに言葉のセンスがあるようには感じませんでした。あえていえば、「ご家族より良識がある」とはいえるのかなとは思いますけれど。 ただ質問者さんがご家族に対して不満をいろいろお持ちで、それを誰かに吐き出したかった、というのは伝わってきました。例を挙げるにはお父様くらいで充分であり、お母様やお姉様、更には甥っ子まで引き出す必要はないのですが、誰かにいわずにはいられなかったのでしょうね。ここで吐き出して少し楽になったのであれば幸いに存じます。
お礼
>ご家族に対して不満をいろいろお持ちで、それを誰かに吐き出したかった、というのは伝わってきました。 違います。 >更には甥っ子まで引き出す必要はないのですが むしろ今一番心配しているのは甥のことであって、その母たる私の姉に私の両親の問題点が遺伝していないか心配なのですが。
- nekosuke16
- ベストアンサー率24% (903/3668)
楽しい家族なのでしょうか? まるで、下町の熊さん、ハッつぁんの掛け合いのようなテンポに、少しズレたようなことを平気で、しかも、ダラダラと。 さらには、急に腹が立ってきて怒り狂う。 皆、ありのままの姿が見えるようで、読む側からしたら、とても楽しい風景です。 頭の先から足の先まで、きちっと清潔感を保ち、言葉にも気を使いながら生活できることは、社会に出た時に最も基本的なことです。 しかし、家の中やご近所の付き合いでは、ざっくばらんも大切な要素です。 賑やかでとんちんかんなことだらけで、イライラするのかもしれませんが、私は好きですね。 父さま、母さまと姉さまのズッコケた様子をニコニコしながら、眺めていたらいいと思いますよ。 人間、言葉よりも中身です。体裁よりも本心です。正直に生きているのであれば、それで十分ではないですか? ただし、ここまでの話は、あくまで、楽しい家族であるという条件付きですが。
お礼
ありがとうございます。 まあ家族としては悪くない方だとは思います。 両親はいまさら矯正の余地もないでしょうし、母は指摘したら割としばらくは気をつける方なんですが、父は「間違ってない」と言って聞きませんね。「必死のパッチ」のどこがいけないんだ、みたいな感じです。結婚式の祝辞にすら使うから困ります。 まあ、父はあと数年でしょうし放っておいてもいいですが、姉が問題です。夫が家長としても夫としても父としてもあまりに頼りなさ過ぎる人なので姉が大車輪で動き回って家庭を維持するしかないせいなのかも知れませんが、非を指摘されることに対して過剰に反応します。周囲の人間が怖々接しているというような状況です。 両親も私も、既に姉とは別世帯、別生計なのですから、たまに会ったときに機嫌を損ねないようにうわべだけのやりとりしてればいいんですが、子どもに対してガチ切れする(叱る、ではなしに)こともしばしばですし、過去の、もう取り返しようもない失敗をネタにチクチクとイビるような育て方で大丈夫かなと思います。 甥は雑なようでいて非常に繊細な子だというのを、小さなころから見てわかってますんで・・・。 ざっくばらんでもいいんですが、要所要所ではやっぱり相応しい礼儀作法、相応しい言葉遣いができないといけないのではないかと。
お礼
ありがとうございます。 母は生粋の京都人、父は家庭の事情で東京と関西を行ったり来たりして大きくなっています。が、父方は元を辿れば奈良の田舎の有力者です。 我々姉弟が大きくなったのは埼玉・千葉で、姉の高校進学に合わせて家庭の事情で関西住まいです。やっぱり姉弟でも性格がだいぶ違うのでしょうか、姉は普段奇妙な関西弁を喋っています。私は関西弁への敬意も込めて変な関西弁を喋らないようにしています。私にとっては関西弁とは米朝師匠の喋る言葉なので。 人を腐すことを面白いと思うセンスもどうかと思いますが、間違ってる言葉を喋る性格も遺伝するんですかねえ。父はつい先日まで東京都知事だった人のことを何度訂正しても「マキゾエさん」と言いますし。 それこそ米朝師匠のように、言葉の正確性に異常にこだわる方も関西には結構いらっしゃるのは体感するんですが。 結局、私は私の言葉を喋るしかないと言うことなのでしょうか。