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家族が欲しいです。寂しいです。
高校生女子です。 私は父、母、姉、私の四人家族でした。 私の父は私が生まれた頃に浮気...私のための教育資金を使い果たしました。 小4の頃、専業主婦だった母が仕事(食事関係)に出るようになりました。その職場で、母は「(父の)仕返しだ」ということで、私の友達の父と浮気しました。母は育児放棄し、私たち姉妹は(姉は中学受験のため、特に私は)家事を強いられ、食事は毎日、母の職場の残り物のハンバーガーでした。ない日もありました。 父は夜遅くまで、仕事に出ていたので、このことに気づいていたのかどうか分かりません。 小5の時、ついに母の浮気がバレました。そこで私は初めて両親の浮気を知りました。 そこから両親は子供に隠す必要がなくなったからか、私に互いの悪口を毎日毎日言い続けました。 小5の夏、私はこの生活に嫌気がさし、母と言い争いになりました。すると母は私を里子に登録(?)しました。(結局需要がなく里子には出されませんでした。)そのとき、「今まで私を殺そうと何度もしたけど、やめたから感謝しろ」とか、「お前は馬鹿でクズ」とか、いろいろと言われました。 小学校の卒業式、私が両親に対して「ありがとう」と言わなかったことが原因で2人が私の目の前で殴り合いを始めました。私は間に入って止めようとしたけど、2人とも私を含め殴り続けました。 そして、中学校の入学式、離婚を告げられました。 私は母に対してのトラウマもあり、姉とともに父についていきました。 中2の時、姉が高校生になりました。 多感な年頃の高校生である姉と父に関係が悪くなり、私は2人の仲介役になりました。 そんな生活が1年も続き嫌になっていたのと、私の受験が迫りイライラしていたことが重なり、姉に反抗すると、そこから姉の家庭内暴力が始まりました。 向こうに嫌なことがあると、ガラスコップを投げつけられたり、カッターナイフを首につきつけられたり、包丁で刺されたり(刺すつもりはなかったのかもしれないです)しました。毎日すれ違うたびに「死ね」「キモい」「殺してやる」と言い続けられました。 ある日、姉がおとなしくて、妙に感じた父が料理中包丁が一本足りないことに気づき、姉の部屋に入ってみると、タオルに包んである包丁がありました。 そんなこともあり、警察が計6回もうちへきました。 しかし、父が姉を児童養護施設や精神科、母のもとへやるのを嫌がり、どうにもなりませんでした。 父は、仕事から帰ってくるのが遅く、24時過ぎになることが多かったので、私は家で姉と2人きりなことが多かったです。怖くて怖くて毎日怯えて生活してました。危険を感じて、一人で夜中、外をほっつき歩くこともありました。 高校受験を直前に控えた頃、姉と父との言い争いが始まり、またか...と思っていると、父の「やめろ」というすごい叫び声が聞こえてきたので、そこへ行ってみると、姉が包丁を床に刺しながら、「殺す殺す殺す殺す」と叫んでいました。 私が姉をなだめていると、父は私をおいて逃げました。 姉はエスカレートしていき、私は怖くて身動きがとれなくなりました。姉が近づいてきたので必死になって逃げました。そこから警察が来て、姉は取り押さえられました。 私も警察へ連れて行かれ、そこで何時間も取り調べ(?)をされました。 その後、姉、父、母、祖母、私、警察で話し合いが行われました。私は「今までずっと我慢してきたけど、もう限界だ。もう姉とは暮らしたくない」と今まで思っていたことをぶちまけました。すると、母は「あんたは強いからいいよ。あたしとか◯◯(姉)とか弱い人がいるのに何であんたは強くなれないの。我慢できないの。」と言われました。さらに話し合いのなかで、皆が皆エスカレートしていき、私は父とのセックスDVのなかで生まれたということを知ってしまいました。 結果、姉は母と祖母と暮らすことになりました。 しかし、母の別居先はうちから近く、更に、姉はうちの鍵を持っていた(父が渡した)ため、姉は家に入り放題、父が家に帰るまで、今までどおり好き勝手やっていました。 私はそれが恐怖で仕方なかったのでキーチェーンをつけ、入れないようにすると、姉はキーチェーンで開かなくなった扉を30分間ずっとガンガンと開け続けました。 小5~中3頃の私は精神的におかしくなってしまい、包丁やはさみが触れない、人を信用できない、ちょっとした物音で恐怖を感じる、電話が怖い、誰かに見られている気がする、金縛りに頻繁にあう、毎日姉に殺される夢を見ておねしょしてしまう、人と関係を持つのがこわい...などなってしまいました。 でも、父も悩んでるのに迷惑をかけちゃいけない、学校ではおバカキャラで明るい感じだったからそうし続けなきゃいけないと思い、誰にも相談できないし、自分をつくって生きるようになりました。 家族全員から全員の悪口を聞かされ、自分自身も悪口を散々言われ、否定されて生きてきて、今も人と関わることが、自ら行動を起こすことが、怖くてできないです。 また、嫌われて見捨てられるのが怖くて、八方美人になってしまいます。 先日、パソコンで過去の写真を見ていると、母と浮気相手のメールのやり取りの写真(父が証拠に撮った)が大量にありました。それを見ていると自然と涙が出てきて...まだ母に思い入れがあるのかなと思い、なんか悔しくなりました。 友達が「お母さんがさ~」と話していると羨ましくなります。仲いい姉妹とかみてるといいなあと思います。 私には自分がないし、人に気を使って生きていくのがきつくなってきました。 何で生きているのかイマイチ分かりません。 自分から出さないのが悪いのかもしれないけど、誰も私の事に気づいてくれないし、わかってくれません。どうせ悪いことギャーギャーやってる奴らはみんなから注目されて、なんだかんだ気を使ってもらえるんです。構ってもらえるんです。 親は、我慢して、出来る限り気を使って、親の役に立とうとして生きてる子供より、包丁振り回して、暴言吐いて、好き放題やる子供のほうが大事なんです。 自分を産んだ親がにくいです。貧乏でもなんでもいいから愛がある家がよかった。 責任持てないのに子供作るとか本当にクズです。 言い方悪いけど、バカやって生きている同年代の高校生達が羨ましくてしかたありません。将来後悔するのかもしれないけど、何かやらかしてしまいたいです。そんな勇気も気力もないんですけどね... 家族を嫌いになりきれない自分が嫌だ。 思っていることが言えない自分が嫌だ。 自分に嘘をついて生きている自分が嫌だ。 人の嫌なとこばっかりを探してしまう自分が嫌だ。 学校で人に気をつかいながらバカキャラやって、誰もいない家に帰って、勉強して、夢でうなされて、何やってるんだろ、何で生きてるんだろ。アホらし。 病気や、事故、戦争で生きたいのに死んでく人が沢山いるのは分かってる。だから死のうとかは考えていないけど...でも何で生きてるのか分からない。自分が分からない。 なんか長々とすみません、吐き出してしまわないとおかしくなってしまいそうで...
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すみません、ただの思いつきなので実際はどうなのか分かりませんが、 例えば質問者さんの周りで起きていることを児童虐待として、質問者さん自身が児童相談所などに逃げ込むことは出来ないのでしょうか? お姉さんのやっていることは、暴行、脅迫にしか思えず、野放しになっているのは異常に思えます。
家族が欲しい? その発想は良くないんじゃないかなぁ。 よく子どもの頃、両親に問題があって貧乏で苦労した話があります。 それによって勉強や仕事を頑張った。 成果を出して、幸せです。 うんうん、ここまでは素晴らしい。 問題はその後。 結婚して子どもができた。 は?って思います。 自分は苦労した。 不幸だった。 この世の不条理を知った。 なのに、子どもを作るなんて意味がわからない。 こんな世界に産まれなければよかったと思ってる人間が子どもを作るとかどういう神経してんだと思います。 ぼくは様々理由ありますが、子どもをこんな世界に生まれさせたくないという思いもあって、結婚や恋を捨てました。 あなたは今の状況を糧に頑張るのはいい。 まぁ、それでモテだしたら、遊ぶのもいいでしょう。 結婚も二人だけの問題だから、お好きに。 でも、親子に憧れるのは反対ですね。 今度はあなたがその憎い親になるのだから。 新しい被害者をこの世に誕生させたいですか?
- obrigadissimo
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質問者さまの質問ではなしに手記を拝見しました。 これまでの人生経験を題材にして、 小説・童話・絵本・エッセーを書いてみませんか。 本当を嘘のように、嘘を本当のように 描いてみてください。 【人生とは、誰もが自分の中に持っている長編小説である。 George Sand】 【この世の中に物語の種類は2つしかない。 ひとつは、男が穴に落ちてその中で死ぬ話。 もうひとつは、男が穴に落ちて、そこから這い上がる話だ。 Leonard Schrader】 宮本輝さんの『田園発 港行き自転車』や 東京都北区の議員になった聴覚障害者の斎藤理恵さんの 『筆談ホステス』等を読んでみませんか。質問者さまの 人生観・価値観・美意識・人間観・人生哲学が変わるかも しれませんよ。 森瑤子さんの『女ざかりの痛み』も おススメです。投影・シャドーを知るための 参考になるでしょう。 お父さま・お母さま、それぞれに、 Victim of Circumstances だったのかもしれませんよ。 お2人の生育史を知ってみませんか。 〈ふろく〉 被害者意識は質問者さまを決してシアワセにはしませんので、 フィリピン第6代大統領キリノさんのように許せると 質問者さまの真の新生が始まって、いいんですけどねぇ。 【許すことができなければ、穏やかな人生が訪れることはない。 我々は許すことを学ばなければならない】 というキリノさんは、自身の複数の親族を殺害されていた にもかかわらず戦犯である日本軍将兵に恩赦を与えたのでした。 また【許しは魂を自由にする。虞をも取り除いてくれる。 人を許す心は最強の武器なのだ】という、アパルトヘイトと闘い、 27年間獄中で自由を叫び続け、全民族融和をかち取った 凄まじい人間力のある南アフリカ共和国第8代大統領のMandellaさんの 《許し》の認識も実に素晴らしいです。 更には、一昨年(2014年)17歳でノーベル平和賞を受賞したマララさんは、 14歳の時に自身を銃撃した人を許しました。以上の事例を参考に、 質問者さま自身の《許し》に就いて考えてみませんか。 それには、お父さまの幼少期からの生育史を詳細に知ってみることが 参考になるでしょう。 【弱者は決して許すことができない。 許しとは強者の態度である。 Mahatma Gandhi(=Mohandas Karamchand Gandhi)】 【許すには、心の中の部屋を1つだけ増やせばいい。 『私の頭の中の消しゴム』】 質問者さまには、希死念慮が生じてないようですし、 メンタル系の病気や障害にならずに済んでいるようですので、 そして何よりも質問者さまのエスプリが歪んでいないこと、 これは、大いなる救いです。 これからは、 質問者さまを支えて下さっている 目に見えない多くの力にも 感謝しながら、 自身に嘘をつかず、 自身を欺かず、 自身を騙さず、 自身の知性・感覚・気持ちetc.に正直に 無理せずに、喜び&苦しみ・悲しみをシェアしながら 暮らしていれば、状況や環境が 変わってくるのではないでしょうか。 辛かったり、悲しかったりするときは、 どんなに小さなことでも宜しいので、 社会貢献・地域奉仕を行ってみてください。 魂の救いが得られます。 決して、環境・状況に 負けないでね! Good Luck! Ciao.
過酷な話ですので、私では心情を想像しても完全には理解できないだろうというのが正直なところです。私なぞが、あたかも分かったような口をきくべきでは無いのでしょう。きっと。 警察は当てにならないのでしょうか。 6回も警察が来て、お姉さんが取り押さえられて、それでも逮捕されずに父の家に出入りし放題というのは、警察の怠慢でしょうか。 質問者さんはPTSDの可能性があるように思われるため、お医者さんに掛かった方が良さそうですね・・。 --------------------- 題名の「家族が欲しいです。寂しいです。」の件。 家族と仲良くしたいというのは、警察や医者やその他専門家の力がないと厳しいと思います。 でもその前に家族代わりとして、ボランティアや民間の団体などで人と関わるのはどうですか? 私は社会福祉協議会の紹介で託児ボランティアをしています。 親子向けの活動を行っている団体でも、未婚者の登録を受け付けているところがあります。 親子向けの活動というのが、説明が難しいのですが、図書館での絵本の読み聞かせ(質問者さんの近くの図書館に読み聞かせの案内があるんじゃないでしょうか)とか、親子向けの体操会など色々あります。 http://www.kodomo-npo.org/06dantaijyoho/link_02.html 例として、上記で広島を見てみると複数あります。 私は未婚ですが、似たような団体(子ども劇場とか親子劇場というのとはちょっと違うのですが)に所属しており、他の会員の親子と遊ぶことがあります。 なので、こういうところで家族代わり・・とまでは行けなくても親戚のように遊ぶことは出来るかもしれませんね。 ここまで書いて気づいたのですが、質問者さんには親戚の方はいないのでしょうか。 --------------------- それと、八方美人というのは、良くない生き方とも、良い生き方とも言えると思います。 八方美人を辞めるというのはありのままの自分が評価されるわけですから、それはそれで別の重みがあります。 それでも八方美人を辞めたいなら、出来る範囲で徐々に自分を出していけば良いんじゃ無いでしょうか。お友達との会話中に「そうなんだ。意外だね。実は私も・・・」と話してみるとかね。
辛いですね。さぞかし一人で悩まれたことでしょう。 私は比較的恵まれた家庭に育ちましたが、最終的には天涯孤独になりました。父も母も妹もみんながみんな「世間体のいい家庭」を演じるのに必死で、私をスケープゴートにしながら団結していたんです。誰がどう見ても傍目には理想的な仲むつまじい家庭で、私も途中までそう勘違いしていました。親も外面は良かったので、いつも私だけが異常者扱いで、やがて精神を病み、お姉様のように刃物を持って暴れたり、叫んだりし、家に押しかけてきた警察に取り押さえられながら養護施設にも強制収用されました。いまは家族に縁を切られて私だけが天涯孤独です。縁もゆかりもない知らない土地に暮らしています。 逆に私は小さいころからずっと「ちょっとぐらい適当な家庭のほうが、人間らしく生きられていい」「私の本当の親は他に居たら良かったのに」「若いうちに放り出されたかった」などと思っていたんですよ。隣の芝は何とやらです。確かにあなたの境遇は幸せとは言いがたいかも知れませんが、他人と比べてどうであるかは重要ではありません。現在幸せそうに見える人が一生安泰とは限りませんし、あなただってこれから幸せになればいい。 これは持論ですが、「何故生きるのか」という答えを探すより、「別にいつでも死んでいい」ぐらいの気持ちでいたほうが生き易いですよ。 いつかあなたにも幸運が訪れますように。