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固定資産税の請求と区分所有権放棄の手続きについて
- 母の名義の分譲集合住宅の一室が遺産となり、固定資産税の支払いについて課題が生じています。
- 長女は母との同居を支えてきたが、遺産相続において協議は難航している状況です。
- 次男と三男は区分所有権を主張しているが、固定資産税の分担を無視しており、区分所有権放棄の手続きを検討すべきです。
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第三者の意見よりも 法律相談所の方が良い様に思える・・ 此処で 第三者に 幾ら回答して貰って あなたが納得しても 後の兄弟が納得するとは思えない・・
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- terepoisi
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Q1 他の方がご指摘のように、現状ではできません。 各自持ち分の区分所有登記が済まないと請求の根拠となる計算ができないからです。 補足説明の生活費負担を寄与分として認めてもらうには全員の同意が必要です。 きょうだいから頼まれたわけでもなくすすんで面倒を見たとか、 費用負担の内容を客観的に証明できないとかだと考慮されないことが多いです。 そういう事態を避けるには生前に法的に有効な遺言をしておくしかありません。 葬儀費用は領主書等があれば相続の際に故人の遺産から差し引くことができますが お墓・祭祀継承と相続分の多寡は直接の関係はありません。 >区分所有権不履行を事由に区分所有権放棄とする調停を東京地方裁判所に申告すれば良いでしょうか? 固定資産税、お墓の維持費、それぞれ誰が負担してもいいので 話し合いで決まらなければ、家庭裁判に調停申し立てが順序でしょう。 遺産分割協議の調停です。 もよりの家庭裁判所に相談してみてください。 二男さんが区分所有申告をして登記がなされていたとしても、 遺産分割協議は何度でもやり直しを請求できます。 お困りだとは思いますが、個人感情と法的な決まりごとが対立することはままあります。 ご自身の利益を第一に守りたいのであれば弁護士に相談するのが確実だと思います。
A1.出来ません。固定資産税請求明細書の発行と発送は1通だけで、 代表者宛てに送付されます。 A2.区分所有権を勝手に「主張」しているだけであって、名義そのものはまだ 母親のままってことですよね?単なる主張であって、区分所有を権利とする ためには、母から兄弟姉妹(の誰か)、あるいは共有財産として名義変更 をしないことには 何も出来ない、という認識です。 まずは、名義移転登記の話を兄弟姉妹でやらないと、 区分所有も何もないと思いますけど。。。調停するにしても、その内容じゃ はたして裁判所が受理すらしてもらえない気もしますが。。 で、タイトルにある「誰が固定資産税を払うか」については、極論を言えば誰でも いいのです。誰が親の面倒をみてきたか、とか土地の管理を誰がずっとやってきたか、 とか、何かの費用は誰が払ってきたとか、、、 そんなことは税を徴収する行政側からしたら「どうでもいいこと」で、 「誰が払うか?」は相続した側が協議して按分して払うか、誰かが一括して払うかを 決めればいいだけのことで、第三者の我々が「そりゃ皆が按分して払うべき」という 「べき論」は無意味なのです。それぞれ家庭の事情等がありますからね。 その際に、もし固定資産税を払う余力のない者が誰かに世話になった場合、 売却利益から差し引くとか、そういう協議を兄弟姉妹でやればいいだけのことですよ。 仲が良かろうが悪かろうが、怒鳴りこんででも相続人同士で話合いをして決めることです。 応じないとか、どうとかをここで聞かれても答えられません。 お金に余裕あるなら弁護士などの代理人を立てるとかでしょうかね。
- f272
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(1) 現状は4人の共有になっているのだから固定資産税は4人全員に全額を支払う義務があります。各人に1/4だけの支払い義務があるのではありません。誰かが支払えば,他の人の区役所に対する支払い義務はなくなりますが,4人の中での負担割合は4人で決めるべきことです。 請求書を4名各自に四分一とすることはできません。 (2) 調停でそのような主張をすることはかまいませんが,当事者が納得しない限りは解決できないでしょう。全員が納得できる案を考えてください。次男が所有権をほしがっているのなら,そのようにしてその代償(不動産価値の1/4づつを各人に与える)を現金で受け取ることでもいいでしょう。
お礼
弁護士に相談しました。ウン十万円でした。 Step1:「遺産相続とお墓の維持管理」について。 弁護士介在で協議を行う。欠席した場合、弁護士介在で放棄と見做す旨、事前に文書に示す Step2:家裁に調停・裁量を仰ぐ。弁護士に弁護・補足をして貰う。 <補足>長女(姉)と私(長男)は、戦中育ち。次男・三男は、敗戦後生まれ。父は、1944(S19)徴兵され、即時、朝鮮半島に出兵。100人の兵隊が居たが、90名が凍死・餓死。10名が生存した。満州から撤退する300人の連隊に救出され、生還した。だが、肺結核。父は、戦争体験を私に話した事は無かった。救出された10人は青森・秋田・山形の出身者であった。その10人が我が家に集まり、賑やかに振る舞っていた。だが、生きて帰還した事に恥じを持っていた。大日本帝国時代・軍国時代のプロパガンダであろう。結核療養所に入退院を繰り返していた。逝去した時、医師から肺結核ではなく肺気腫だったと言われた。棕櫚を吸っていたと言う。後日になって気が付いた。米袋に棕櫚を使っていた時代があった。寝袋がなかった時代。棕櫚の袋二枚を被っていたと言う話や笹の葉や根を食べたことがあると聞いた事を思い出す。 姉は私の手を引いて、黒く焼けた木片を集め、そして、地面から噴き出す噴水の水を洗面器や鍋に集めて、ドラム缶まで運んだ。それが終わると、姉が私の手を引いて小山の頂上に座り、夕日が沈む富士山を眺めるのが毎日だった。・・・・私は世界118ケ国の地を訪れた。海外シニアボランティアにも参画した。我が息子は、私の背中を見て、IT業界に進み長男は海外駐在中、次男もIT業界入りし、二人とも就職氷河期に在りながら自力で生きている。姉は、配偶者も一人っ子も逝去し、家系は絶える。次男・三男は家もあり子供たちにも恵まれている。姉の骨は私が納骨します。 こうして、家系は盛衰するのでしょう。 どうもありがとうございました。