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人の死について
上手く言葉で表せません、ニュースなどで関わりのない方が亡くなられたりするのを見て可哀想にと同情する人とせっかくの日本の労働力がと感想を漏らす人とでは具体的に何が違いますか?
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- zxv-poi
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具体的には変わりません。 前者は他人からよく思われたい…と好感度重視 後者は他人から賢く見られたい…と知的感重視 どちらも虚勢心の塊で見栄っ張りだと思います。
- hekiyu
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脳の構造に違いがある場合があります。 人の死について、何とも想わない人もいれば、 深く同情してしまうひともいる。 その間には無数の段階があるわけです。 極端に冷酷な人には人格障害があります。 英国の研究ですが、歴史の英雄とか、大企業の 経営者には、こうした人格障害の人間が多い そうです。 頭が良く、克己心がある人格障害者は成功 しますが、そうでない人は犯罪者になりやすい そうです。
感情的に物事を見るか、合理的に物事を考えるかの違いでは?
- in_go_landload
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私は還暦過ぎのオジサンですから、両親は無論、実弟も女房殿も亡くしています。 身近な人の死を経験すると、人間ってなんてひ弱な生き物なのかを実感するんです。ちょっとした細胞の変質?が増殖して命を奪い、血管の中を流れる血液がちょっと固まった?だけで命を失う。『儚い』なんて言葉じゃ表現できないほど『ひ弱』なんですよね。 事件や事故で、或いは病に冒されて、亡くなられた、生きたかったであろうご本人やそのご家族のことを思えば『お可哀想に』と思うのが人間でしょう。 ただ、もっと高い?所から見れば、その死は国民経済に、或いは国際的な経済に、あるいは社会にどんな影響を与えるのか。若い男性なら、これからどんな人生を送り、どんなに社会に貢献しただろうか。若い女性なら、これから家庭を持って一体何人の子供を育て、その子たちが一体何を為し得たのか。失われたであろう損失は計り知れません。こう考えれば確かに失われた命は地球より重い『勿体ない』ものでしょう。 要は、一人の人間の死という事実に直面し、心に浮かぶままを直截的に表現したのか、一度脳の中で回転させてその損失を思ったのかの違いでしょう。 私はどちらでも良いと思います。前者を口にされる方は心に浮かぶままに発現される方だし、後者の方はそこにもっと別の面も考える。まぁ、人間って千差万別ってことなんでしょう。
- kaitara1
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自分に重ねてみた時の感想では。どこが違うお言えばそういうことでは。
- toothpast15w5
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もっと よーく 考えてみましょう・・ 今 この瞬間でも 人は 何処かで亡くなってるのですよ・・ TV等を見て 可哀想等と 言ってる人が 本心から出てる言葉では無く 単に 悲惨状況を描いてるだけです・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そして・・本題・・・・ 死は 決っして 可哀想なものでは無いのです・・ 死の本当の意味を知れば 理解出来ます・・
自分や自分の家族に置き換える人は、同情。 または、同じような経験がある人が、同情。 所詮他人事、対岸の火事が、後者。 具体的には、経験が違う。