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悲しい悔しい…今の時代はこんなものなのでしょうか?
悲しい悔しい…今の時代はこんなものなのでしょうか? 私の父は進行性の胃がんから肝転移骨転移し、今年の5月に一年の余命宣告を受けました。 それから自宅療養したり通院したりしていましたが3週間ほど前からやはりご飯が食べれなく(元から全然食べれなかったが)入院して点滴をしましょうということになりました。 今日父と母と私で先生に呼ばれました。 先週胆管に管をいれる手術をするといわれていました。管をいれることで熱が下がるかもしれないとのことでしたが、今日先生の話を聞くと『正直、もう管をいれても良くなることは期待できない。なので入れない方向で考えましょう。』と言われました。父が先生に『私はこれからよくなるのですか?』と聞きました。『先生は良くなることはない。むしろ悪くなっています。家にも帰りたいだろうし外泊も無理にならない程度でできるのでその時は相談してください』とはっきりおっしゃいました。 一年の余命宣告を受けたときも家族と本人が呼ばれて余命宣告を受けました。 私たち家族にしても、すぐ落ち込んでしまう性格なので本人には伝えてほしくなかったし、本人を目の前に余命宣告なんてするものじゃないと思っていたので今回先生がはっきりと『よくならない』と言ったことや5月に本人を目の前に余命宣告をしたこと『本人落ち込んじゃうからやめてー』という気持ちでした。 今はこうやってはっきり本人を目の前に言うものなんでしょうか? そして、落ち込んだ本人になんと声をかけたらいいのでしょうか?
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- unknownname
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今から30年前までは告知はしませんでした。告知をするのではなく 最後まで希望を持たせたかったからです。ところが、世間がこれを 許さなくなってきたのです。一つには「癌保険」があります、これに 入っているとお金が下りてくるから、告知の必要があるんです。 また米国では、告知をしないと訴えられて、巨額の裁判を起こされる 事が続きました。正直なところ、日本の医療でこんな事をされては たまりません。医師も自衛のために告知をするようになった・・これが 本当の所です。本当は言わない方が良いことは、ある程度の年齢の 医者は解っています。しかし、若い医師は「告知が当然」という事で 教育を受けてきていますので、雰囲気を読み使い分けることが出来ず にいるという事もあるかもしれません。 確かに、早期の癌の場合には告知をされたからこそ、前向きに治療を 受けられる事は多いでしょう。でも、進行癌では、それは望めません。 ですが、癌の告知を世間一般に広めたのは、むしろマスコミで有り 「告知を受けて前向きに治療。そうでなかったら緩和ケア」 という風潮を作ってきたのも事実です。そんなおおざっぱな議論の中 迷走している医療現場の中での、一コマなのだと思います。 本当は告知の有無を先に家族と相談してから、本人に伝えたいのです けれども、今の日本の医療制度では、そういう時間を取ることも難し いのかもしれません。(病院は黒字だから、赤字になるまで医療費を 削れとか考えている財務官僚もいるみたいです) 本当に根の深い問題で、正しい答えは無いのかもしれません。 答えになって無くて申し訳ないです・・・父・弟も告知を受けたばかりに 本当につらい日々を過ごしました。そんな中で知ったお話です・・・
母を最近亡くしました。 看病は長く…亡くなる時はあっと言う間でした。 母が亡くなってから 私の夫や娘と 死の宣告の話をしました。 私は…知りたくないと言ったら 夫と娘が 「隠す方は苦しい」と言いましたが 私は「死んでいく人はもっと辛い。私なら自分の辛さなんて我慢するね」などの話をしました。 でも…期待を絶ち 死の準備ができたら それはそれで…神の領域だなと 弱虫の私は 思います。 母が亡くなり やりきった気持ちが多いです…泣きますけどね… 母は 苦しみから解放されたと思います。 少々無理しても 毎日通い 手足を拭いて 足を揉んだりしました。 こう言うのも…ですけど 死んでいく人も 苦しいですが そのあとには 遺された人の苦しみもやってきます。 その方が きついとおもうので 呪文のように 「順番」と唱えました。 時間の限り 手をさすってあげてください。
- obrigadissimo
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【生者必滅、会者定離】 誰にも1度だけ平等に死は訪れます。 なにかしら、家族に、 絵であったり文章だったり詩だったりを 遺してもらうようにしませんか。 絵本などの朗読を録音したり、動画に撮ったり しておけば、磁気が消滅しない限り、何度でも 再生が可能です。 【苦しみは人間を強くするか、それともうち砕くかである。 その人が自分のうちに持っている素質に応じで、どちらかになる。 Carl Hilty】 ということで、事前に調べて、安易に告知しない方針の病院を チョイスされるとよかったかもしれませんな。 All the Best.
- Elric1968
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お父様が余命宣告された事、心中お察し致します。 僕の父も胃癌で他界しました。八王子の消化器病院で2度の手術を行い、人工肛門を付けておりました。1度目の手術したのち、癒着が見られないので3年過ぎればなんとかなるかもと言われ、タバコも酒も止めてくれ言ったのに飲み続けて2年半後に全摘した上、人工肛門となりました。 医師からは周りの内蔵に癌細胞が転移した形跡、鳥肌の様にザラザラしている、もう1年は持たないだろうと宣告されました。父は、麻酔が切れて顔を歪め、痛がっておりました。 母、妹と相談して葬儀の話を始めました。もう覚悟するしかないと思ったからです。そして父には僕の口から、余命宣告する事になりました。 女性である母や妹には荷が重すぎますのでね。 手術から1週間後に医師に宣告を伝える旨、知らせて母、妹とともに伝えました。おやじ、よ~く小さい頃から殴ってくれたよなと、おやじは、悪かったなぁ、勘弁してくれよ、お前とは何度か殴り合ったな、いい思い出だよ。 あんなに憎かった筈なのに、感情を消した筈なのに、目からポロポロみずが落ちてきた、涙は枯れた筈なのに。 おやじはないてんじゃねぇよ!いっぱしの大人がよう、これじゃ演技なんて無理だな、俺助からんのだろ? そうだよ、1年は持たないとさ。 16号線の方を向いておやじは、まあよ、俺も幸せだったなぁ。こんだけ殴ったのにバカな男について来た嫁がいて、2人の子供達がいてさ。 そんな感じでした。 それからおやじは、少し回復して1年半後に亡くなりました。 おやじも覚悟してたんです。 胃癌の家系ですから。祖母、おやじの姉、妹2人皆んな胃癌のでしたから。 僕も生まれたの時、胃に穴が開いており生後3日目、5歳と2回の手術をしてますから覚悟してます。ですから毎日筋トレして少しでも筋肉維持の努力しています。手術すると筋肉ごそっとなくなりますので。 お父様の性格など違うので参考にはならないでかもしれませんが、僕の父は余命宣告を僕がした後、生きようとして気力を出し切っていました。そして1年半も持ったんです。
- hekiyu
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"今はこうやってはっきり本人を目の前に言うものなんでしょうか?" ↑ そういうところが増えているようです。 ワタシの知る限りでも、そういうところばかりです。 告知した方がよい、と考えているのだと思います。 ○死の受容のプロセス キューブラー=ロスは200人の死にゆく患者との対話の中で以下の5つの 死の受容のプロセスがあることを発見した。 ただし、すべての患者が同様の経過をたどるわけではないとしている。 第1段階 「否認」 患者は大きな衝撃を受け、自分が死ぬということはないはずだと否認する段階。 「仮にそうだとしても、特効薬が発明されて自分は助かるのではないか」 といった部分的否認の形をとる場合もある。 第2段階 「怒り」 なぜ自分がこんな目に遭うのか、死ななければならないのかという怒りを 周囲に向ける段階。 第3段階 「取引」 延命への取引である。「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」 あるいは「もう数ヶ月生かしてくれればどんなことでもする」 などと死なずにすむように取引を試みる。神(絶対的なもの)にすがろうとする状態。 第4段階 「抑うつ」 取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、ひどい抑うつに 襲われなにもできなくなる段階。 すべてに絶望を感じ、間歇的に「部分的悲嘆」のプロセスへと移行する。 第5段階 「受容」 部分的悲嘆のプロセスと並行し、死を受容する最終段階へ入っていく。 最終的に自分が死に行くことを受け入れるが、同時に一縷の希望も捨てきれない場合もある。 受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。 希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。 ”落ち込んだ本人になんと声をかけたらいいのでしょうか?” ↑ 末期患者には、激励は酷で善意は悲しい。 説法も言葉もいらないのだ。 きれいな青空のような瞳をした 透き通った風のような人が側にいる だけでいい。 (青木新門 納棺夫)
- pct10968
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じじいです。 >悲しい悔しい…今の時代はこんなものなのでしょうか? 何時の時代であろうと、肉親の死は辛いものですよ。 >本人を目の前に余命宣告なんてするものじゃないと思っていたので今回先生がはっきりと『よくならない』と言ったことや5月に本人を目の前に余命宣告をしたこと『本人落ち込んじゃうからやめてー』という気持ちでした。 余命宣告を受けて自暴自棄になる人もいれば、余命宣告を受けて素直に自分の死を受け入れて、残された時間を一生懸命生き切る人もいます。 >今はこうやってはっきり本人を目の前に言うものなんでしょうか? 余命宣告は、むしろ自分の死と向き合う意味では必要だと思います。 使い方は、本人次第です。 病院で最後まで戦い続けるのか、自暴自棄になってやけ酒を食らって命を更に縮めるのか、退院して自宅でいつも通りの生活をするか、南海の島でのんびり来るべき死の瞬間まで今在る天国を味わい続けるのか、本人の意思に任すべきだと思います。 >そして、落ち込んだ本人になんと声をかけたらいいのでしょうか? 虚しい元気づけなど不要です。 いつも通り接する事が1番です。 しかし、これが1番難しい。 私は母との10年に渡る闘病生活の後、最後は余命宣告を受け2週間の危篤状態に立会い看取ってやる事が出来ました。 10年間母と共に戦い、死という幕引きに臨場することで悲しい別れにも、自分の心を納得させる事が出来ました。
- rororon12
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ご本人はもちろん、ご家族もお辛いですね。 私の母は、余命宣告されることなく、延命治療の末に苦しんで亡くなりました。 30年前は本人に余命を言わないのが普通のことだったんです。 でも、私は子供心におかしいと思ってました。 もう助からないのが分かっているから、かわいそうで言えない。 もう助からないんだから言わないほうがいい。 父の考えでした。 本人は最後まで助かると信じ、胃潰瘍だと思って胃がんと戦っていたんですよ。 余命を知っていたら体が動くうちにやり残したことをやれていたと思います。 お父様がこの後どう生きるのか、ご本人次第なのではないでしょうか? やりたいことを聞いて、全力でサポートしてあげると残されたご家族も少しは心残りが無くなるのではないでしょうか? どうか、最後までお父様が愛するご家族に囲まれて幸せでありますように。
- mimazoku_2
- ベストアンサー率20% (1905/9108)
普通は問診のアンケートで、事前に聞くものなんですが、病院の方針もあるからね。 あとは終活をどうするかは本人次第ですね。(辛いだろうけど・・)
- E-1077
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医師は告知義務がありますし、知る権利もあります。無用な医療行為を避けるためです。 患者には自己決定権もあります。医師は病状の経過と今後の治療の説明をしなくてはなりません。それらの観点から家族・患者本人と共に同じく説明を受けるべきなんです。 余命宣告を受けても、立ち向かう人もいれば落ち込む人もいます。 死にゆく準備をする時間が与えられたとする人もいます。 ホスピスという機関が出来たのは最近のことですが、そうやって心構えをしていくのも一つのやり方なのです。 今は、混乱されているでしょうから、ただただ悲しいとか悔しいとかの気持ちでしょう。助かる命もあるのですから、希望を捨てずに新たな治療法を探す人も少なくありません。 実際、私は告知された母にかける言葉はなく、そばにいてあげるだけでした。 「もうできることはない」と告げられて、家に連れ帰り、そこから彼女は身の回りの整理をしました。きっちり三か月という余命宣告通りに三か月目に亡くなりました。 長い時間彼女は天井を見つめて何かを考えている様子でした。目を離せないのでその晩は病室に泊まり込みました。 半年の闘病で逝ったのですから、本人曰く「私は楽な患者だ!」とのことでしたが。 逃げずに向き合うことです。 苛立ちも苦しみも悲しみも。全部受け止める必要はありませんし、出来ないと思います。でも努力はしてあげるべきですよね。 「家に帰ろう」と言った時の嬉しそうな顔を忘れられません。自宅で看取りました。24時間の介護はものすごく大変でしたが・・・・。 とにかくは、あなたが疲れてしまってはどうにもなりません。 本人に任せて、あとは先に書いたように、穏やかに苦しまずに時を過ごすことを最優先にしてくれるように、医師に頼むしかないでしょう。
病死で無くても 必ず死はあります・・ 何故 死があるのか・・そして 死後は どうなってるのか等が明確に理解出来れば そんなに悲しむ事では無いのです・・