バブル真っ盛りのころ、「新人類」という言葉が流行りました(ああっ、年代がバレる)。
元々はSF用語で、
「進化によって超能力や高度な知能を得た次世代の人類」
を指す言葉でしたが、筑紫哲也氏がこれに新たな意味合いを加えました。
「過去に無い新たな感覚や価値観を備え、様々な分野で目覚しい活躍を見せる若者」
(いま覚えてる限りでは「いとうせいこう」がその代表格の一人でした)
このように、筑紫氏は肯定的意味合いで使ったのですが、多くのマスコミは、
「大人には理解不能な、非常識でとんでもない振る舞いをする若者」
といった具合に、もっぱら否定的な意味合いでこれを多用しました。
「勝ち組/負け組」に話を移します。
元々は太平洋戦争終結後のブラジル日系移民社会の間から生まれた言葉-という風に聞いてます。
日本敗戦の知らせを受けた移民社会の間で、
「これは敵国が流したデマだ!日本は負けちゃいないんだ!」
と、日本の敗戦を頑なに拒む一団-「勝ち組」と、
「日本が負けたという現実に基づいて、身の振り方を考えよう」
という一団-「負け組」、これら二つの集団が発生したそうです。
元々の意味がすっかり逆転してる点で「新人類」とちょっと似てます。
多分これも「勝ち組/負け組」という言葉を聞きかじったマスコミ関係者の「誤用」が始まりじゃないでしょうか。
「新人類」の時代、社会の漠然とした不安は「若年者」に集約されました。
当時の「旧人類」たちは「新人類=若年者」が台頭し、自らの既得権を脅かすことを(無意識のうちに)恐れていたのだと思います。
「新人類」を「異常」「非常識」と捉え、単なる揶揄、嘲笑の対象とすることで、「旧人類」は漠然とした不安を解消させていたのではないでしょうか。
現在は、漠然とした不安の対象を絞ることが困難な時代です。
こうした不安から逃れるために、
「他のヤツはともかく、自分は安全圏に居るから大丈夫だ」
という認識を、誰もが求めていると思われます。
「勝ち組/負け組」は、こうした二分法を表すのにうってつけの言葉なのでしょうね。
「勝ち負け」のカテゴリは何でも構わないようです-理財、立身出世、商品選び(「VAIOユーザーは負け組」とか(w)、子供の教育、老後の生活等々々。
「結婚」においては、
「取り敢えず、とにかく早くに身を固めた方を勝ち組とする」
というに過ぎないと私は考えます。
理屈で言えば、
「体力の衰えない若いうちに子育てを済ませたほうが賢い」
「環境汚染が進む中では、体内の汚染物質の蓄積量が少ない若いうちに子供を産むべき」
等々の「確固たる根拠」がいくつも考えられますが、何にしたところで所詮は「後付け」の域を出ないんじゃないかと。
「自分は、毎日が全力勝負ですよ!」ってパワフルで前向きな人は、最初から「勝ち組」の位置には安住しないモンじゃないでしょうかね。
…また無闇に長くなっちまった。
お礼
なるほど、どいう御意見でした。 時代背景的なことも含めて、時代の流れなんだなって思いました。 回答ありがとうございました。