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みなさん死後をどうお考えですか
わたしのお墓の前で~ではないですが、人は肉体は死んでも魂はなんらかのかたちで 彷徨っていると思われますか。 世界の中心で愛をさけぶ(ドラマ)でもありましたが、亜紀の骨を撒くためウルルへ行った際 土葬してそれが土になって花を咲かせると言っていました。 みなさん、ご健在なので当然、お解りになる方はいらっしゃらないのですが、お考えを伺いたいと 存じます。 よろしく、お願いいたします。
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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、明治時代に日本の伝承を集めた人で、有名な外国人ですね。 この人が、当時の日本人に死後観を聞いてるのですが、日本人が死ぬと、魂は日本に留まって、日本を守り続けるそうです。 死んでも、私の魂は行く場所に困らないんだなぁ・・・と思うと、もしもの時、死を受け入れる恐怖心が和らぎそうです。
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- tzd78886
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「あの世」とか、「死後の世界」といったものは生きている人が死んだ人を忘れないために作りだしたものです。「生まれる前の世界」があり得ないように、死んだ後の世界など存在しません。
- kaitara1
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生きているってどういうことなのか、ちょっと考え込むと分からなくなります。死ぬと、その分からなかったことも問題にならなくなるという実にあいまいな感じです。永眠というのが当たっているのかな、と思っています。他の生物の死とあまり違わないとも思います。
- kagakusuki
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何らかのものが残る可能性はあるかも知れませんが、少なくとも人格や意識といった精神活動が継続していなければ維持出来ない様なものは全て失われ消えてしまうと思います。 物理的損傷や病変等により脳の機能が失われると、記憶が失われたり、自制心が無くなったり、漢字等の一部の特定の事柄に対する認識能力が失われたり、周囲の物体の動きが認識できなくなったり、等々、精神活動に様々な障害が現れる例が多数報告されています。 もし、精神活動が霊魂等の脳以外の所で行われていて、脳が無くても精神活動を保つ事が出来るのであれば、脳が損傷した処で精神活動に影響する事はあり得ない筈です。 ところが、実際には脳の機能障害によって精神活動に大きな影響(機能の欠落)があるのですから、精神活動は脳と言う肉体組織によって行われている事は明らかであり、その脳が全損してしまう死後において、精神活動が維持される事は考えられません。 従って、自分のお墓の前で遺族が泣いているのを嘆いたり、三途の川で死んだ親族と会話したりなどといった、一般的な死後のイメージに有る様な「意識を保った状態」でいる事はあり得ないと思います。 【参考URL】 高次脳機能障害 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%AC%A1%E8%84%B3%E6%A9%9F%E8%83%BD%E9%9A%9C%E5%AE%B3 高次脳機能障害若者の会「ハイリハ東京」 > 「ハイリハ東京」入口 > 2.高次脳機能障害の実態(症状の説明) http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/7001/dainou/koujino-shoujo.html リハビリテーション心理職会 > 関連情報 > 高次脳機能障害とは http://www.normanet.ne.jp/~RPA/index2_1.html 認知症 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87 厚生労働省 > メンタルヘルス >みんなのメンタルヘルス総合サイト > 専門的な情報 > 認知症 http://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_recog.html
生まれる前の記憶は一切無いです。 生まれる前は自分は存在してなかったから… 多分アソコへ戻るのでしょう。 誰もが経験してるはずなのです。
- yoruaru-q
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基本、死んだら終わりで「死後の世界」というのは、残された人たちが納得するための理由付けなんだと思っています。
お礼
わたくしごとですが父は今月で後期高齢者、今朝、肺水腫との診断を受けました。 また、先日、息子の友人が18歳の若さで不慮の事故で亡くなりました。 わたくしも残されたものが 「死語の世界」を想像し、自身がそちらに行った際、 逢えるという理由つけしたものだと聞いたことがあります。 けれど、そうであれば良いなと思います。 御意見ありがとうございます。
「死後の世界はない。死んだら『無』。」って考えていました。でも、女房や実弟まで失うと「あったらいいな。」と思ってます。 以前、根っからの理系人間の友人は「人って息を引き取った瞬間に重さが変わるのは間違いない。」なんてことを言っていましたが、文系で哲学まで学んだ私には信じられませんでしたね。本来の仏教では死後の世界なんて無いんですよね。おそらく『科学』ってものの限界を知っている人間の方が、文系人間より『科学万能』とは考えていないのでしょう。
- aneq
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例えば、小さな子供を残して死んでしまった母親とか、この世に死んでも死に切れないぐらい気がかりなことがあったりすると、魂が彷徨うこともあるんじゃないかと思いますが、じゃあ自分が今死んだとしたらどうかと考えると、親も配偶者も子供もいないので、特に気がかりってことはないし、姉と親しくしてきた友達のところを一通り確認したら、それ以上は特に、彷徨う用がないんですよね・・。 彷徨うかどうか自分で決められるなら、私は希望しませんが、用もないのにずっと彷徨わなくちゃいけないんだとしたら、正直面倒くさいし、どこかに居場所を作って、そこでずっとぐだぐだしそうです。
ベタですが、やはり「あの世」に行くのではないかと思います。 で、何らかの事情で、縁があればまたこの世に生まれ変わる感じですね。
お礼
素敵なお言葉ですね。 彷徨うという言葉より、守り続けるという方が失った側も安心できます。 すごく心に染み入りました。 ありがとうございます。