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残念なスピーチ
「残念」なスピーチのイメージってどんな感じですか? その上で http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20150903-00000050-nnn-pol にある残念なスピーチに照らし合わせ、当事者がいかに残念か述べてみてください。 ※前者と後者の整合性のない回答は不可とします。
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- ミッタン(@michiyo19750208)
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前者と後者と言われても、キンペイ君のコメントがカットされているので何とも…です キンペイ君が残念でもいいじゃないですか 痛い目に遭いますよ
- kohichiro
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>「残念」なスピーチ 今風に解釈すれば、内容がなかった、とか、途中でつっかかってしどろもどろになって中途で退場したとか、まったく評価できない、情けないスピーチだった、という意味にとれます。 そもそも 「残念」という言葉は以前は自身が関係する過去に属する出来事に対して「後悔している」、「反省するべき要素がなくもない」という感情を一部ふくんだ、ある意味謙虚な意味がありましたが、今は自身の問題を考え直すというような意味はまったく消えて、他人の欠点や悪業、失敗などを批判する意味の強いことばになっているようです。 さて、後者の「残念なスピーチ」が誰のものであるのか、当事者とは誰なのかがいまいちわかりにくいのですが、動画をみる限り、「管官房長官」がスピーチをなさっておられますので、このことかとおもったのですが、その前に中国の習主席のスピーチがあったようで、そのことを管氏は「はなはだ遺憾である」と批判しています。これらを考え合わせると、管氏の「遺憾」を「残念」と取り替えて全体を解釈しなおし、当事者の「残念」がどの程度なのかを考えろという質問なのかとも思えます。 >当事者がいかに残念か つまり、習主席がどれほどその責任ある立場を任じるには不適切な人物なのか、ということを管氏はどう表現したか?でしょうか おそらくそうでしょう。 それとも違うのか? どうもこの質問自体が「整合性」に欠けている様で、整合性の回答がなかなか出来ないでおりますが、ここまで書いたのでここで退場するのははなはだ遺憾であり、残念でもありますので、以下にとりあえずの回答をしておきます。 70年も経ていまさら旧日本軍の批判を、その軍国主義を自らの軍国主義を見せ付けながら同道と繰り返す、その歴史認識の異様さで今の日本政府を脅しつける奇怪ななりあがり大国主義を暗に「残念だ」と表現したのではないでしょうか。あんたのいう30万人の軍縮などあてにはならないな、という言辞もありましたし・ 整合性は感じられますでしょうか。
- 雪中庵(@psytex)
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平和や過去の戦争の反省を口にしながら、一方で他国との 戦争を可能にする法改正に躍起となっている首相のスピーチ。 どんなに言葉として立派でも、行動が反しているのでは、 単なる虚言だ。