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馬鹿の語源
小学生時代に馬鹿の語源について学びました。 ある牧場で馬と鹿を一緒に放牧していたのだそうです。 馬は後ろに動物が来ると蹴り飛ばす習性があります。なので馬の後ろに行くのは非常に危険。しかし、鹿は馬の後ろに並びたがる。 そのため、この牧場の鹿は全滅した。 このことを教訓として、馬鹿という言葉が生まれたのだという説です。 調べてみてもネット上ではなぜかこの説の出典が見当たらないのですが、この説の源を知るかたはいますか?説得力のある説と感じ、これまで信じてきました。
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http://homepage2.nifty.com/osiete/s375.htm ばかについて。 語源なんて自分でも捏造できちゃうからね。 「諸説あります」の不確かなことよ。 鹿の習性をしらべてみたら? 群れになるとはかかれるけど 馬の後ろに並ぶとか、 列を作る動物では無いようだけど。
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- SPS700
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#1です。補足です。 >> あて字説もわかるのですが、完全にこの馬と鹿の説が見当たらないのが逆に不自然だなと感じるわけです。小学校の先生が教えてくれたものにもかかわらず、ここまで拒絶される背景には何かあるのだろうなと。 いえ別に先生が言ったからと言って必ずしも信憑性はありません。僕は大学の教授で、アホなことを信じているのを聞いたことがあり、なぜ学生の僕にでも分かる妄説を振りまくのだろう、と思ったことがあります。
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こんにちは。 ウィキペディアでは、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%B9%BF 【史記の「指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)」の故事を語源とする説最も普及している説。】 秦の2代皇帝・胡亥の時代、権力をふるった宦官の趙高は謀反を企み、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するため一策を案じた。 彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺したという。しかし「馬鹿」のうち鹿の「か」は訓読みであり、中国風の音読みで馬鹿を「ばか」と読むことはできないなどの問題がある。 【サンスクリット(梵語)説】 サンスクリット語で「痴、愚か」を意味するmohaの音写である莫迦の読みからくるとする説。僧侶が使っていた隠語であって馬鹿という表記は後の当て字であるとする。江戸時代の国学者天野信景が提唱した説であり、広辞苑をはじめとした主要な国語辞典で採用されている。しかし馬鹿に「愚か」という意味が当初はなかった[要出典]ので、[要出典]疑問視する研究もある[誰?]。同じサンスクリット語のmahailaka(摩訶羅:無知)(新村出、石黒修)、あるいはmaha(摩訶:おおきい、偉大な)を語源とする説もある[要出典]。バングラデシュの公用語であるベンガル語でも「バカ」[要出典]という単語は日本語と同じく愚かな者を指す。ベンガル語はサンスクリットを祖語とする。 【若者説】 「若者(wakamono)」のw音がb音に転じて「馬鹿者」となったとする説。民俗学者柳田國男は、広辞苑の編者・新村出が提唱したと書いているが、新村が文章として残していないため不明。新村は広辞苑でサンスクリット説を採用しているが、積極的な採用ではなかったようである。その他、楳垣実など。 【破家説】 禅宗の仏典などに出てくる破産するという意味の「破家」と「者」をくっつけて、「破産するほど愚かな者」というところから「馬鹿者」という言葉が生まれたとする説。東北大学の佐藤喜代治によって提唱され、日本国語大辞典で採用されている。 【馬家説】 中国にいた馬という姓の富裕な一族が、くだらぬことにかまけて散財し、その家が荒れ放題となったという白居易の白氏文集にある詩の一節から生まれたとする説。「馬家の者」から「馬鹿者」となったとする。『全国アホ・バカ分布考』で松本修が提唱した。 【はかなし説】 雅語形容詞である「はかなし」の語幹が変化したという説。金田一春彦はこの説によっており、これをとる国語辞典もある。 【をこ説】 古語で愚かなことを「をこ」といい、これがなまったとする説(アホもこれに由来するのではないかともいうが、いずれも証拠はない)(柳田國男『笑の本願』)。 【ぽけ説】 「ぼけ(おそらく、「ほうけ(る)」「ふうけ(る)」の転訛)」がなまったとする説(小山田与清『松屋筆記』、永田直行『菊池俗言考』)。 語源についてはいくつか説があるが、決定的なものはない。ただし、文献による初出が太平記における「馬鹿者」であり、「馬鹿」という用法はそれより後世である事から、当初は「馬鹿者」という熟語としてのみ使われたと思われ、それを前提とした説のほうが若干優勢であると言える。 ※ ちなみに私は子供のころ、馬と鹿の見分けができない人を馬鹿と言ったと教わりました。これは、【史記の「指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)」の故事を語源とする説最も普及している説。】に近いと思いました。
お礼
個人的にはやはり、ぼくちゃんの小学校時代の先生が教えてくれた説が最も説得力があるなあと感じます。 (*´з`)
補足
少し変なお礼をしちゃっていたようです。 (;´∀`) 酔っ払いでした。 ご回答ありがとうございました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
調べてみてもネット上ではなぜかこの説の出典が見当たらないのですが、この説の源を知るかたはいますか? 馬鹿は、下記のように当て字です。それをまことしやかに説明した説は妄説で、出典が見つからないのは当然です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/174677/m0u/
お礼
あて字説もわかるのですが、完全にこの馬と鹿の説が見当たらないのが逆に不自然だなと感じるわけです。 小学校の先生が教えてくれたものにもかかわらず、ここまで拒絶される背景には何かあるのだろうなと。
補足
ご回答ありがとうございました (*´ー`*)
お礼
馬は馬の後ろに並ばないけども、鹿は馬の後ろにも行くという事だと思います。 種は遠ざけるべきという、教訓なのかなと思います。
補足
むしろ捏造してみてくださいと、思います。 たぶん後世ではその説が馬鹿の語源となるでしょう。 問題は説得力があるかどうかで、史実と一致しているかどうかではないように思います。