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人の運命

友人が事故をし救急搬送されました。 一人は意識が戻りました。が、半身不随、もう一人は意識すら戻りません。 親御さんは恐らく意思から、おおよその判断を聞かれていると思います。 意識が戻るまでに時間がかかる程、リスクは大きいのでしょうか。 子供が三人、一番上の息子さんが今年、就職でした。 人は朝、家を出て無事、帰ることが当たり前のように思っていますが、それって奇跡なんですよね。 人口呼吸器だけでは脳に酸素が充分にいかないと聞いたことがあります。 (後遺症の原因となる) 思わぬ運命に遭遇されたことありますか。

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noname#210533
noname#210533
回答No.2

交通事故も加害者被害者、両方何度か経験しました。 あっ、 と言う間でした。 はねられた時は頭が真っ白になり、はねた時には 人生終わったか、と覚悟しました。 小さいけど、飛行機の不時着事故も、起こしたことが あります。 その場では怖くなかったのに、宿舎で夜、トイレに 行こうとしたら膝がガクガクブルブルと大爆笑して 立てませんでした。 なんかカチカチ音がすると思ったら、呼吸する度に 歯が鳴ってました。 夏の夜、暑いのに、体が震えるんですよね。 潜水中に小さな洞窟をくぐっている途中で引っかかり、 レギュレーターが口から外れてしまったことも ありました。 そういえば、水の中で気を失ったこともありました。 怖かったけど、恐怖を抑え込みました。 そういう、訓練を施されていたからです。 体が、動いたから、落ち着いて手順を遂行出来た。 今、建築関係なんですが、現場でけがをしたことも あります。痛かったです。肋骨にひびが入りました。 ああ、カッターでざっくり、というのもあったな。 歯が骨で止まったけど、動脈だったら危なかった。 未だに神経が切れたままで、少し痺れが残ってんです。 三回目の破傷風の注射、そろそろ行かなきゃ。 酔っぱらってベランダに腰かけて歌っていたことが あります。 子供が生まれて嬉しかったんです。 そのベランダは五階でした。 考えてみると、他にもいくつかあります。 平行棒で落下して床に叩き付けられたりとか。 よくまあ、生きているな、と あなたの質問を読んで、久々に思いました。 昔、あなたと同じような考えに取りつかれて、 夜も眠れなくなったことがあります。 今は、何度もそういうことがあって、それは いきなりやってきて、もう、思考する余裕も無い、 一瞬のことで、抗うことも出来ない、仕方がない ことだと体が少し、覚えたようです。 死んでもおかしくなかった、その瞬間の記憶と言うか。 ああ、あれはもう、どうしようもないことだ、と。 だけど、ありきたりに言われる「危うきに近寄らず」は なるべく心するようになりました。 それでも中々懲りない愚か者です。 ご先祖様もあたら無駄に霊力を使わせてしまって いるようで申し訳ない、とも思うのですが、時々 イケイケになってしまうことがたまにあります。 こんなことでは、いけませんね。 考えても仕方がないことは、私はかんがえないように なりました。 死ぬようなことは、なるべく避けよう。 それ以上に、私に出来ることは余りなさそうです。 世界が、とても、だから綺麗に見えます。 家族が、とても大切に、思います。 健康はじめ、色んな事が、ありがたいです。

noname#212798
質問者

お礼

虚偽の程は解りませんが人の寿命は生まれた時、決まっていると聞きませんか。 あなたは、本当に持ってる人ですね。 死ぬようなことは、なるべく避けよう。 それ以上に、私に出来ることは余りなさそうです。→ 今、お元気でいらっしゃることで充分では。 世界が、とても、だから綺麗に見えます。 家族が、とても大切に、思います。 健康はじめ、色んな事が、ありがたいです。 とても素敵な言葉をお聞きしました。 ありがとうございました。

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  • radnelac
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回答No.4

祖父と叔父叔母多数を広島市の原子爆弾で焼死。 交通事故で弟と、又同様に交通事故で義父を無くしました。 義母は誤診で癌を発見できず、胃がん 手遅れで病死。 全ては『運命』だったと思わざるを得ません。 不思議な事に、不幸な出来事に巡り合わせた時にしかこの言葉を使いません。 つまり、運命という言葉を使って諦め・納得するしか他に 慰める言葉が無いからです。 しかし、運命など本当にあるのだろうかと思います。 客観的に見れば、運命では無く『単なる偶然が重なった』と 考えるのが分かり易いと思ったりしています。 例えば交通事故の加害者の車がそれほど迄に速度を出していなかったらとか、 被害者がもう少し早い時刻にその道を通り抜けていればとか、、、 結果は変わっていたのでしょうが、たまたま事故に遭遇する 偶然が重なってしまった。 所謂、偶然と偶然との巡り合わせだったのかも知れないと?

noname#212798
質問者

お礼

私は人員事故は起こしたことはありませんが、追突などはあります。 後になって、何でもうすこし、ゆっくりとと思っても遅し。 九死に一生を得る方、また、逆の方、何か悪いことをしたわけではない。 100歳を過ぎてもお元気な方、産まれてすぐ亡くなる赤ちゃん、これも、運命なのか。 人は全てを受け入れ前向きに生きて行くしかないのでしょうね。 亡くなった方々のためにも主様はどうぞお幸せに。

  • 9143final
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回答No.3

ありますよ。 詳しくは言いたくないけど。 ただ思うのは結果には原因がある。 たとえば、その人は信号をきちんと守っていたかな? 友人とうるさく話しながら 周りに迷惑かけて注意力散漫にならなかったかな? 世の中、案外道理どおりです。 その場では理不尽と思っても、実は別の形で人を傷つけていたりするのです。

noname#212798
質問者

お礼

この事故は大型トラックとの正面衝突で、友人が運転しており、100:0のようです。 センターラインを越してかなりスピードも出ていたようです。 なので、仮に最悪、死を迎えても一人の人間を障害者にし、トラックの方も骨折とのこと、なので 加害者なのです。 ご主人がおっしゃっておられましたが、亡くなれば無制限で保険が出るが、後遺症の場合、 家・土地、すべて売り補償にあてるそうです。 子供3人の人生はめちゃくちゃだと。 けれど、生きていて欲しいです。これが運命と言われればそれまでですが。

noname#209873
noname#209873
回答No.1

「命あるものは必ず死を迎える」  それならば 肉体の死の後の事まで 神は考えて 人間を創造してる・・ ・・命とは 貴重なものだが運命とは無縁なもの・・

noname#212798
質問者

お礼

私は40代半ばです。 小学校6年生の時にプールの授業で友人を亡くしました。 その頃は子供で卒業の頃には忘れていた気がします。 が、自分自身が親になって、夏になると友人を思い出します。 必ず、毎年です。 12歳で亡くなることが友人の宿命だったのでしょうか。 おばさまに時折、お逢いするのですが、一度、「あの子は私達、親に可愛いところだけを見せて逝った」とおっしゃいました。 すごく深いお言葉でした。

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