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考えすぎて動けない性格を直したいです。
こんばんは。閲覧ありがとうございます。 私は小さいころから物事を深く考ると行動に移せない性格です。 小学生のころですと、前の方に友達が歩いている…声をかけたいけど、もし声をかけてビックリさせてしまったら嫌だな、とか他の子と話しているのに話しに入っていったら迷惑かもしれない、とかそもそも話しかける勇気が出ない などで中々声をかけることができませんでした。 今もそんな感じです。目が合ったりしたら挨拶はできますが、「あっ、○○ちゃん(くん)だ」と一度頭で考えると足が動かなくなりますし、声が出なくなります。(別にその人のことが嫌いではない) 他にも「今日こんなことがあってね~」という雑談も中々切り出せないことがあります。考える前に話すようにしたら話せますが、一瞬でもこれを話そうと考えたら口に出すまでかなり時間がかかります。(これは話すことなのだろうか?などがよぎる) 結局相手の話を聞くばかりになっています。 これらのことは友達家族関係なく起こります。 ただ、家族に対しての方はかなり軽く割と下らない話はできます。 とにかく一瞬でも考えないようにしたいのですが、どうしても考えてしまいます。 直す方法はないでしょうか?
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何かスポーツをしましょう。
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- obrigadissimo
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ショートエッセーか日記を書くように しませんか。置き終わったら、早口で 正確に音読することを習慣化すれば 話しことが苦にならなくなります。 〈ふろく〉 【日記は平凡な毎日の中に潜む非凡に気づかせてくれる。 橋本武 『日本人に遺したい国語』101歳最後の授業】 関西の有名校である灘校で長年教えていた橋本先生の言葉を 信じてライフログを書いてみると諸種のシナジーがあるかも しれませんよ。 それと、合気道、テコンドーなどの武道に入門して 【心・技・体】を鍛えたみませんか。 環境の状況に動じないハートがつくれますよ。それに、 先へ行って、【護身術】を教えられるようになりますので、 ご損はないでしょう。 TPOに応じた話をするのは、 (原稿がない状態では) アナウンサーの人にも難しいと 聞いたことがあります。 All the Best.
私も話しかけベタなので、気持ち分かります。 慣れの問題もあると思うので、少しずつで良いので話しかけられる人を増やしていく感じでいってみてはどうでしょうか。 あとは、挨拶だけは笑顔でしっかり出来るようにする、とか。
小学校の頃の私が丁度そんな感じで、特に4年生の初めの頃までが重症でしたね。 学校ではほとんど誰とも会話しないで、相手の反応の想像ばかりして、全ては脳内で完結してしまうという…。話し掛けて、つまらなそうにされたら嫌だな、冷たくされたら嫌だなと「悪い結果ばかり考えていた」んですよね。 幼い頃は引っ越しが多かったので、なかなか人に馴染めず、人前ではいつも緊張してばかりいました。 他人との会話を避けるということ、それは突き詰めて考えると「自分のことを知って欲しい、相手のことを知りたい」という気持ちよりも、「傷付くのも傷つけるのも怖い」という気持ちの方が勝っていたということなんです。 話す前から「自分は人を傷つける、相手も自分を傷つける」と結論付けて、もう一方の可能性は切り捨てていたんです。 そう、二者択一の世界で生きていたら守りに入るよりない…。 しかしこれでは孤独になるよりなかったんです。 たとえ孤独でも傷ついたり傷つけたりするよりはずっと良い、この方がお互いの為なんだ、こうするよりないんだと思いながら、その頃は日々を過ごしていました。 けれども、そうしているうちに「話し掛けない私に傷つく人がいるということに気付かざるを得なくなりました」。「あなたのだんまりが不快だ」と面と向かって言う人が現れたんです。 それは小学校の4年生のときの席替えで起こりました。 その事件を通して私は「本当の自分という人間は、“人と話すことよりも、だんまりを通して孤独になることの方が傷つく”」し、話し掛けないということは目の前にいるその人を否定すること無視することにも等しく、「話し掛けもせずに、相手のことを初めから結論付けること、“それこそが一番失礼なことだったんだ”」と思い知ったんです。 「こちらが話し掛けないことで傷つく人がいる」ということは、それまで想像したこともなかったことだったのでショックでしたが、「話し掛けなければ誰も傷つかずにすむ」は必ずしも真実じゃなく幻想だったということを知った以上は、だんまりは美徳でもなんでもなかったんです。いつもだんまりというのは、不自然なことだったんです。 これは一種のカルチャーショックだったんですけれど、そうと分った以上は「だんまりは止めないといけない、もっと人と会話しよう」とその日を境に意識が変化して行きました。 ~ 経験談が長くなりましたが、ここで何を伝えたかったかというと“重度のだんまり屋は切っ掛けがないと直らないし、直したいと本気で思わなければ直らない”ということ、そして“黙っていれば誰も傷つけずにすむというのは自分一人の幻想だということは往々にしてある”ということです。 “話して見なければ、人の気持ちも自分の気持ちも分からない。知っているつもり、分ったつもりは良くない”ということなんです。 ** >直す方法はないでしょうか? ご質問の中でご自分で回答を書かれています。 ここです。 ↓ >考える前に話すようにしたら話せますが、 それです。感性に任せた方が自然に話せます。 理詰めにしてしまうと、会話じゃなくなってしまうんですよね。 会話は論文じゃないのだから、会話には堅苦しいことは抜きで行けば良いのです。 日常の会話では、思いやりの気持ちを忘れさえしなければ、文法は多少間違っていたって良いんです。 >一瞬でもこれを話そうと考えたら口に出すまでかなり時間がかかります。(これは話すことなのだろうか?などがよぎる) 会話は「生もの」みたいなものなので、加工をすればどんどん話題から遠ざかって行きます。会話に茶飲みのような気軽さを求めている人に、極上の料理を仕上げて出そうとしたら、その人は去って行ってしまうと思いませんか? 極上の料理じゃなくても、相手の人の喉を潤すことが出来たらそれで良いし、差し出したお茶が美味しいと喜んでくれたなら自分も嬉しいと、そのぐらいが丁度良いと思います。 討論のような会話や人生相談みたいな重い話題は、よく知り合ってから話せば良い、そう思いませんか? 吟味した会話は個室で話し合うような仲になってからとっくりと話せば良い。 だけど、日常の会話に論文のような堅苦しさはいらない、そう思いませんか。 日常会話で人が求めるのは思いやりであって、緊張や堅苦しさではないですよね。 誰が見ても非のない完璧なシナリオを書くようにしていては、とてもじゃないけれど会話は出来ません。頭の中で何度も修正していたら、もはや、それは会話ではなく小説です。 それも読者は自分しかいない「私小説」です。 誰とも気持ちを共有することなく、ページだけが、独白ばかりが増えて行く、まるで独り言の書付みたいに自分の中にしまい込まれた私小説。 …それって、寂しいことだと思いませんか。 だけど、私小説を完成文じゃなくて、もっと生き生きした文体、かつ、声という抑揚や、ときには身振り手振りを付けて、感情豊かに伝えられる方法がこの世にはあります。 それが会話です。会話をすれば、文章よりも短い言葉で、細かな状況説明抜きでも、声や表情で気持ちを伝えることが出来るんです。 だから、会話をしないなんてもったいないです。 「会話をしないともったいない」という体験や「会話は素晴らしい」という体験を持たないと、人前でなかなか話は出来ないですよね。 結局は経験なくしては会話は上達しないし、経験なくしては会話は生まれないので、人を含めた様々なことに興味や関心を持つことだと思います。 先ずはそこからだと思います。 自分の中に語りたいことがあれば自然と言葉が出てくるし、相手の人のことを知りたいと思えば、話し掛けたい気持ちの方が勝るから自然と言葉が出てきます。 会話を勝負ごとのように思ってしまったり、礼儀正しさを追求してしまうと言葉が出てこなくなってしまいますが、もっと大きくざっくりと、心の交流ということに目を向けると自然と言葉が湧いて来ると思います。 礼儀正しさというのは、思いやりの気持ちを忘れなければ、自然と後から付いてくるものだと思います。だから、会話では「思いやりの気持ち」を忘れないことと「怖がらないこと」これが会話を続ける上で重要なことだと思います。 でも、無理は禁物ですよ。無理ということは不自然ということですから、不自然になってしまったとき、会話は終了してしまいます。 会話とは心の交流ですから、自然なのが一番だし、お互いが自然であった方が弾むものなのですから。
- heyboy
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とにかく「やってみる」ことです。 たぶん、何か言われるとか無言の気まずいとかではなく こうなってもとわかっていようが、やる事です!! ただ、それと、実行は思ったのとは違う事が多々ありますし それも不安なのかもしれませんが 失敗してもそうそう責めることはしないと思われますが。
- kaitara1
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必要と思っていないのでは。
「あなたは自己中心的ですね❗」と言われたらどう思いますか? 「そんな事はない❗周りに気を遣い過ぎるほどです。自分の事は二の次です。」と思いますか? 「なぜこの人は自分のことしか考えないのか」加藤諦三さんの本です。 結局、相手がどう取るのか?どう思うのか?それによって自分が傷つきたくないという自分の事を考え過ぎるからそうなります。 そこにあるのは自分、自分、自分です。一見、相手を思いやってるように見えるんですけど・・・ 私もそうなんですよね。本を読んだ時は反発したかったですけど当たってますね。これは神経症の人の特徴を書いた本です。
- weavaest
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本当に考えすぎなのでしょうか。単に話す切っ掛けが掴めないだけのように思えます。 掴めないから間が空いて、要らぬことを考えてしまい、結局は話せないのではないですか。 相手に鬱陶しいと思われるかもしれませんが、声を出し続けるってのはどうでしょうか。 よく、話の合間に「えっと~」とか入れてくる人っていますよね。相手が何かはし終えたら、間髪入れずに「そうだよね、ところでさ~」みたいな感じで矢継ぎ早に言葉を発していけば、間が開くようなこともないように思います。
- deepdiver555
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言葉を一旦飲みこんで整理するのは悪くない事だと思いますよ。 思った事をポンポン言う人は口で災いを起こるミスをしやすく、敵を作り易いです。 話しかけるのが苦手な方は、幾つか話しかける言葉を覚えておくと良いですね。 こんちは!ひさしぶりですねー、あ、可愛い服ですね、などの切欠言葉。 会話中であれば、それ知ってる!とか、なるほどね~とか・・・ 先ずは、話しかける事。 そして会話中に声を発する事です。 一言目が出れば、その言葉の次に何が来るかを周りが期待しますので貴方の話のターンになります。 どうしても話したい事があれば、s、そうそうちょっと聞いてくださいよーとかでも良いですし、そういやこないださぁ~なんてのも良いです。 相手の話を切る時は少し気を使いますが、そうでない会話内容の流れに沿ったことであれば余り考えなくてもいいんじゃないかな。 しかし、考えちゃうかな・・ コレを話してどうなるか?なんて余り相手は気にしてないですよ。 気にしたそぶりを観たら、あーごめんね、そういうつもりじゃないんだけどって一言付け加えればいい。 きっと貴方は優しい方なんでしょう。 だから必要以上に気を使ってしまう。 相手の気持ちを優先して考えてしまう。 会話は慣れですから話しだす事しかないような気もします。 考え無しに話し始めて、話し出したら内容を考えながら話せばきっと考えが追いつかなくなり事前に考える癖は無くなって行くかもです。 途中で言葉がまとまらなければ、ニュアンスで伝えようとしてみてください。 言葉で正確に伝わらなくとも相手が察してくれますよ。 こうすれば直るってのは解りませんが、トライ出来たらしてみてください。
- lisa6708
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それはあなたの奥ゆかしい素敵な所だと思います。 その良い部分をどうして直そうとするのか分かりません。 十人十色なんです。調子の良い人ばかりになったら、この世は疲れます。 良いんですよ、今のままで、今のスタンスの中で話せる人が現れたら、その人は友人や恋人になるような気がします。 今のスタンスの中で自分らしさを自分の良さを延ばすことを考えてみて下さい。
- shitumongaaru
- ベストアンサー率17% (9/52)
喋る事に慣れるしかないです。 でもしゃべる相手がいないかもなので チャットで異性と話してみるのはどうでしょう。 チャットは即返事をするために打つスピードを上げないと会話についていけません 思った事を瞬間打つ行動に変える。これを繰り返していると、すぐに返事や返し、質問が思いつくようになるので、次はそれを電話や飲み会など酔っぱらったときでも良いので言葉に出す癖をつけてみてはどうでしょう
お礼
回答ありがとうございます! そういえば昔一時期チャットにハマっていて、文章なら結構スラスラ言いたいことを伝えることができてました。久しぶりにチャットやってみようと思います。