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仕事至高主義?について
こんにちは。 先ず私の考えを表します。 「仕事とか私生活とか誰とか区別無く、全ての物、事、人に誠実に真摯に向き合う。 それができていればとかく仕事だからと特別注力しなくてもそれ相応の仕事の質は成立する。」 と思っており、実際そう振る舞い、飛び抜けているとまでは言いませんが、平均以上の結果は出しており、自分が好きで注力している分野では平均を大きく超えた結果も出せます。 そんな私の周囲には、「仕事なんだから」と私生活がちゃらんぽらんな癖に妙に仕事に関しては注力する人が結構居り、理由を聞いてみると「仕事だから」と(^^)としか反応できないものとか、「仕事ができると思われたい」とか「出世したい」などなどが出てきます。 他にも色々ありますが、共通して言えるのは「みな自分のため」。 つまり、その人たちは仕事にかこつけて仕事に隠れた個人的な目的に邁進している訳です。 人の目的意識は、世界観、価値観などの影響を色濃く反映されたものですから、根本的に快楽主義の人は快楽の方向に向かったベクトルを持っていますし、それに伴って仕事の仕方や仕事の結果もそういった方向に流れやすくなります。 逆に、この世の中にどの位存在するのか知りませんが、会社の設立理念(設立理念は立派な物が結構あります)に心底賛同し、使命感を持って働いている人が居れば、それに伴って仕事の仕方や仕事の結果もそういった方向に流れやすくなります。 どの会社も社会のために設立されている筈です。 会社が存続するための社会ではなく、社会が好条件で運営されるための会社である筈です。 「どれだけ仕事に注力できるか」が問われる事が多い様に思いますが、私はそれよりも「どれだけ社会のためになるかという事を主眼に置いた目的意識を持っているか」の方が大切だと思っています。 後者が10人いる組織と、前者が100人いる組織では、恐らく10人の会社の方が本質的によい結果を出せると私は考えています。 その会社の設立/運営理念とは全く無関係な目的を個人的に持っている人たち。 もちろん、その会社に在籍していて、その会社の業務を行っている以上、意識的にその会社の理念を持たなくてもある一定量は自動的にその理念に従った言動をしている事になりますから、必ずしも意識として持っている必要はありません。 でも、あくまで自分のモチベーションは自分の個人的な目的のためなんだと言う事を忘れて、偉そうにべらべらしゃべってしまってない?と思う事があります。 君が仕事に注力しているのは君の個人的な目的のためなんだよ?と。 私は平均以上の結果を出し続けているので、私に向かってもの申す人は居ませんが、私の近辺で強い口調で言われている人を見かける時、そうやって少々理不尽なやり方でも圧力をかけられる事で仕事に身が入り、結果その人の立場も生活の質も上がると考えられる面もあるので黙って見ていますが、素朴に言っている人たちも実際問題そんな事を言える精神性を持っている訳ではないんじゃないかな~と同時に考える事があります。 実際問題、結構自分が個人的なモチベーションで仕事に注力しているのを忘れて、自分よりも仕事の量や質に於いて劣る人に自身の感情をぶつける正当性をたてるために「仕事」という言葉を使っている人って多いかな~って思う方いらっしゃいますか? もしくは、私はあまりこの件について真剣に考え込んだ事はなく、素朴にそう思うな~位なのでこういう見方が持続していますが、「いや、君の見方は違うよ!」などと別の視点をお持ちの方いらっしゃいますでしょうか。 よろしくお願いします。
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お礼
ははは。 だから私の顔を赤らめるところはあなたへの態度だと言っているでしょう。 カスのやる事は最後までスタンプを押した様に皆一緒。 じゃ。