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自分への否定的意見や批判に学ぶ点など皆無でしょ?
「自分に対する否定からでも学ぶことはあるから、否定や批判を拒否してはならない」 これって批判者とか否定者が自分の意見を守ろうとしてるお為ごかしですよね?? 自分の意見を消されたくないからゴネてるだけでしょ。 批判とか否定から学ぶことなんて何一つ無いと思うけど。そんなの雑音だから排斥すればいいだけ。 学びたいのなら自分を全否定してるような人の意見などではなくもっと学びやすいところから学べばいい。 わざわざ批判とか否定とか汚いところから学ぶ必要ありますか? 自分を否定したりするような悪質な批評に耳を貸さないことが、学ぶことを拒否してるみたいなことになりえたりはしないと思いますが。
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一理はあるけど、イエスマンとかおべっか言ったりするやつもいるから。そういう連中に対しての戒めの言葉なんじゃないんですかね?
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- hymat
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そういう場合もあるし、そうでない場合もありますね。いちおうはひととおり聞いてみなければ、ゴネてるだけなのか、一理ある意見なのか、どの部分を批判しているのか、何も判断できません。 話を聞いてみれば、どの部分に行き違いがあるのかがわかり、共通する部分では協力ができるでしょう。相反する部分については、なぜそんな意見が生じるのかを考えることで、得られるものがあるでしょう。そういう考え方もあるのかという発見ができれば以降の対策を講じることができます。あなたの主張のどこかに弱点や誤解を招く部分があると判明したら改善する必要もあるでしょう。学ぶというのは従うとか負けるとかとは違います。 もっとも、発言を封じるために批判を拒否するなと言うのはズルです。争いごとはいけないとか仲良くしろなどというのもありますね。また、頭ごなしに罵倒するだけではクチゲンカです。"あなた"を否定しているのか、"あなたの意見"を否定しているのかは、大きな違いです。言い掛かりのクチゲンカを売られたなら、その証拠を残して誰かに相談しましょう。議論は勝つためではなく、結論を改善するためにするものです。 排斥するだの、耳を貸さないなどと言ったら、あなたの方こそ負けたくなくてゴネていると思われます。ていねいに話を聞いて相手の誤解している箇所を指摘し、根拠を示して納得してもらえば、味方にすることができます。逆に、なるほどと思う指摘を受けたら改めなければなりません。ルールは相手方にも心得てもらいましょう。
本当の出所は毘婆尸仏の誕生した時の言葉と言われて居るのですが、 俗には釈迦が言ったとされている「天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之」 と言う文言があります。 これをまた、全く誤解して解釈されている方々がおられます。 しかし、却って今回の質問はその間違った解釈にほうによく似ています。
- okg00
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>批判とか否定から学ぶことなんて何一つ無いと思うけど。 学ぶつもりがなければそうだろうね。