• 締切済み

[人間」の定義って何ですかね?

終末期・緩和ケア医療の病院で働いています。(看護助手・介護スタッフ) 48歳で医療業界に転職し、驚く事の連続で3年が過ぎました。 この業界独特の人間関係や裏事情、現実を目の当たりにし、日々疑問と葛藤の中で「ご老人」に接する業務をこなしています。 患者様の状態は様々ですが、ほぼ痴呆症を併発しており、家族や施設でも手に負えず当院に送られてきた方がほとんどの病棟です。 私の気持ち的なしこりが解決されないまま毎日の業務をする事は、「行動・態度」に出てしまいそうで自戒の念を持って自制・注意の意識を忘れる事はありませんが、【ストレス】堪ります。 ・会話不可、意志の疎通不可 ・排泄物は垂れ流し ・食事摂取不可(胃婁・高栄養剤点滴で生命維持) ・呼吸気管切開(気切)、人工呼吸器装着 ・自力で立てない、動けない ・せん妄、奇行動、煽動、危険行為あり 以上の様な患者様を介護している訳ですが、中には職員に手を挙げる(暴力行為)、点滴や尿カテーテルを抜いてしまう(血だらけ、尿だらけ)、立てない歩けないのにベットから降りようとして転落、衣類を全部脱いでしまう(脱衣行為)…糞尿だらけ…その行為の根底にはご本人なりの理由がある事を承知しています。 ですが、正直、「この野郎!」と思ってしまいます。 56名の病棟ですが、人手不足も加速化し、それでなくても多忙な業務なのに一層・更に汗だくで走り回る激務です。 患者様が悪い訳ではありません。 そんな状態だからこそ、「最後の受け入れ先(看取りとして当院に送り込まれたのだろう…と思います。でも、“優しい気持ち”になれません。 動物以下…動物だって排泄の場所は決めているし(縄張り表示の為等)、暴力的な行動や狂ってしまったのかと思うような言動行動はペットだってしませんよ。 「人間の尊厳」とか「その人本来の生き方の尊重」とか綺麗事を掲げて営業してますが、そのような患者様を見ていて、この業界に浅いせいもありますがどうしても「人間」と思えません。 姿かたちこそ「人間の終末(老化)」を確認できますが、「尊厳」に値するとは思えません。 弱者・病むものを労わり看護介護する仕事である事も頭ではわかっていても、優しく接する看護師さんや下の始末を丁寧に行う私達に手を上げたり、蹴飛ばしたり…何を言っても聞き入れず好き勝手な行動や危険な行為をふるまう患者さんに「ルール」は通じません。 そんな患者様を「拘束(手足を縛る)禁止」だから、規則だから…って、私達の尊厳や安全の管理はどーなのでしょう? あの状態を上手に表現できませんが、御自宅で介護していた親御さんを手に負えずに施設や病院等にブチ込むご家族の気持ちがよくわかりました。 無理です…もう、人間らしさのかけらも残っていない。(言い過ぎの様に思いますが…) 「人間」の定義ってなんですか? 2足歩行?笑うこと?考えること?仕事? どれも出来なくなっているんです。そんな生き物を「人間」と定義するのでしょうか? 粗末に扱え…と言う意味ではありません。 そのような患者様や利用者様には申し訳ないけど、”拘束”や“鎮静剤の投与”が許されるべきではないでしょうか…。 入院患者数56名の病棟で「そのような」患者様が5人(1割)いると、もう業務は時間通りには終わりません…残る50名の患者様が放置される事になります。 同じ入院費を払っているのに。 世の中「平等」ではないと思います。 こんな場面でも結局は【まじめ、オトナシイ、手のかからない】患者様が「損をする」様な仕組みに憤りを感じます。 難しいです…自分の心の中を整理し、理解し、納得をもって業務に当たることを希望しています。 看護課長に「考え方」を問うたこともありますが、???理解?納得?できませんでした。 まあ、そんな考え方をしている私は「医療現場」から離れる事が一番の解決策かもしれません。 それはさておいて、「人間の定義」って何なのかな…と自分や76歳の父を含めて考えるものです。 誰しも【病気になりたくて、痴呆症になろうと思って】なった人はいませんし、”明日は我が身”だとつくづく実感させられる貴重な現場です。 ですが、そのような患者様に接すると「殺意」さえ湧き上がる程、理不尽で不条理なあり方と体制に明瞭な回答が欲しい…と思ってしまいます。 そのような患者様は大抵「生活保護」の受給者で、私達の税金で入院出来ている…事も腹立たしい!一体何なんでしょう…「相互扶助」? 損得ばかりで世の中成立してはいないと思いますが、どーにもわかりません。 そんな憤りに「考え方」のレクチャーをして下さる方、御助言頂きたく投稿させて頂きました。 *詳細、経過等の省略があり、誤解を招く危惧の内容表現で申し訳ありません。

みんなの回答

  • takochann2
  • ベストアンサー率36% (2428/6699)
回答No.10

状況は手に取るようにわかります。 患者の元気なころを知らない医療従事者がこの様な患者に心をも持って接するのは非常に困難だと思います。 しかし、家族はそのような患者でも、些細なことで心の癒しになるようなこともあります。逆に、年金受給を目的に1日でも生かしてほしいと思っている家族や、どうしてよいかわからずともかく丸投げ、あとは関与せずという態度の家族もいます。後二者の場合は医療従事者が罰せられない範囲で、患者が人間らしい最後を迎えられるように努力するべきでしょう。 現在の医療と刑法と社会の矛盾が集積している場所が終末期医療の現場です。

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.9

職員としては心を殺し流れ作業の仕事と思うしかないでしょう。 患者のの意思確認ができなくても、同居していた家族なら患者にとって何が良い事か分かると思う。 家族なら点滴拒否や延命拒否を病院に要請できます。 特に本人の意思が確認できない患者の家族は、家庭裁判所から保護者の認定がされていますので。 家族は正しい知識を持ち、情ではなく愛を基本とした決断をすべきです。 血圧が下がっているので昇圧剤投与をしたいと医師から電話があったが、 明日も血圧が低ければ投与するのですかと尋ねたら医師は沈黙した。 それが今の父の心臓の能力ですのでと投与を拒否した。 医師から中心静脈栄養をしたいが家族の承諾書が必要なので来てくださいと電話があった時も拒否した。 今は肺炎の苦しみだけだが、緑膿菌感染したら全身症状でもっと苦しくなる。 そんな事はできないと伝えたら、それをしたから命がどれだけ長くなるとは言えないと医師も納得してくれた。 病棟に行った時にスタッフから中心静脈栄養を断った家族は初めてですと言われた。 血圧測定する時に腕にバンドを巻くのを父は力の限り抵抗したが私は理解できた。 肺炎治療の点滴をする時にバンドをして血管を探られる時の痛みの記憶があり、両者の区別ができないのだと。 それで血圧測定も拒否した。 スタッフに何もしないで何日生きられますかと尋ねたら長くて三日との回答で、そのとおりの日に亡くなりました。 当日午前中まで元気でしたが、昼に急性心不全をおこし死に至りました。良い死に顔でした。 患者に代わり家族が決断すべきなのです。 その為の家庭裁判所からの保護者認定なのですから。 それを行使しないのは愛の欠如と怠惰でしかない。

gvkv4c4r
質問者

お礼

>職員としては心を殺し流れ作業の仕事と思うしかないでしょう。 この最初の一文に「心が解放」されました。 お父様の貴重なケースを記載いただきありがとうございます。 お父様…幸せでしたね。 このようなご家族がいらっしゃるお父様はお幸せです。 ご家族様の【意識・認識】が非常に重要だと言う事ですね。 …一体、私の病棟の問題行動のある患者様のご家族はどーしているのでしょうか? もう十年以上音沙汰なし。 最初は動けた、意志表示もあった、意図的に暴力行為があった…患者さんです。 当院でどんどん年を重ね、状態も悪くなって行った(病院で老後生活を送り老化を迎えた感じです)経過です。 要は【体の良い“姥捨て山”】として当院に“ブチ込んだ”…後は「知りません」と言うご家族が多いです。 (当病院が終末期・緩和ケア医療が中心診療科目だからかもしれません。) 一切連絡が取れず、市役所の方に相談しているようですが、入院している限り患者様の生活保護費から病院は収入が入り、国から診療報酬等が入ります。 ご家族様の決断も伺えない状況の患者様が多くいらっしゃる現実。 カワイソウではあります。 が、程度・限界を超えた(と私は思っていますが)狂人的な行為にどう自分を律して良いのか悩みました。 が、先に述べました通り、【最初の一文】…その通りで良いのだな! と、本当に気持ちが楽になりました。 私も普通の人間です。 感情を抑圧しても、「憎らしい・腹立つ(怒り)」を感じている事実は殺せません(消せない)。 顔に出さない、態度行動に出さない。 淡々と決まった作業だけをこの患者様に行う…事だけで済めば何も悩まないのですが、なにせ手がかかり過ぎで(しかも問題行動の後始末ばかり)…疲弊してます。 それでも、ここで仕事をする事を続けると自分が決めているうちは、やらねばならない事です。 病院側がご家族に裁判所を通して、面会に来て下さるよう強制的な通知でも出してくれたら…と思います。 長くなり申し訳ございません。 回答者様の「決断」…ご立派です。 きちんとした知識も学ばれたからこそ、「決断」に辿り着いたのではないでしょうか。 (今のところ)人は必ず「命の終わり」を迎える訳です。 いつまでもいつまでも【技術によっての延命】に値する人としない人がいる様に思うこの頃です。 良く考え、毎日の業務を心情感情と理性とのバランスを自己検討しながら勤めます。 ありがとうございました。

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.8

3年の自宅療養後2年の入院生活中に、父は87歳で昨秋天寿を全うしました。 良い生と死を得るには、医師の治療を理解できる知識が必要です。 医師の言うままでは良い生も死も無い。 私も60歳、満足できる人生を過ごせましたので延命は不要。 家庭医にAED拒否を伝え、医師も理解して下さりカルテの表に赤字でそのように記載されてます。

gvkv4c4r
質問者

お礼

回答者様のお考えを伺え、大変感謝しております。 ありがとうございます。 今では「尊厳死=自分の意志で延命治療を拒否できる」時代であり、認識の度合いも多くなっています。 今入院していて、長く患っている患者さんは「医師のいいなり」だった時代の犠牲者でもあると思います。 また、何の意志表示をする間もなく意識不明で入院され延命を余儀なくされた方もいらっしゃいます。 私達はこれらの近々の歴史を無駄にする事無く、広く学び知識を蓄え「迎える・備える」必要性=自分の判断と自己責任…を問われる時代を迎える事は「幸せ」な事かも知れません。 問題行動の患者様にとって、果たして現状が「満足?幸せ?」なのか…。 そうでないから、無意識の本能で(本能のみしか残っていないような状態)「暴力や奇異な行動」となるのかもしれません。 もう、本人に真意の程を聞く事もできませんし、「入院患者」である以上「生命を断絶」する訳にもいきません。 結局は私達下々のスタッフが面倒をみて、世話をする…割に合わない仕事ではあります。 もちろん、そんな患者様のいない病院や施設もあるでしょう。 (実際、入院入所の拒否を行う病院・施設もありますから…そんな患者様が当院に送られてきます。) 家族のエゴや見栄で、また「どんな患者でも受け入れなければ経営成り立たない」当院の裏事情で、「精神科扱い」であろう患者様(狂人です)を入院受けれする。 正直、「だまされた」と思ってしまいます。 待遇や給料(条件)、そして労働環境…全てがウソじゃないか! と、どこに怒りを持って言って良いのかわかりません。 自分の身を守る事さえできないような現場。 元気なうちに、頭の働くうちに、1日でも早いうちに(いつどうなるかわかりませんから)「延命治療の拒絶」の意志表明を残す…大事な事であり、多くの方に認識して頂きたいです。 「人間」らしさがわずかでも残っているのなら、私達も人間ですから、労わりや優しい気持ちが生まれます。 どの看護師さん介護員からも全てに嫌われ厭わしく思われ、多くの人に迷惑と暴力をふるい放題の患者様を、 どう【人間として】捉えたらよいのか、「そう思えない」私がダメなのか…本当に苦しみます。 長くなり、くどくなりました。 ありがとうございます。 貴重なお考え、きっとこれからの医療と患者様の在り方を予測させるご意見でした。 重ねて感謝申し上げます。

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.7

父が認知症になり自宅療養中に考えていたのは、「父の尊厳」を守る事でした。 入院して私が延命拒否しました。人は自力で食べられなくなったら終わりで良い。 点滴拒否・昇圧剤拒否で父の命を縮め、その重荷を背負って生涯過ごします。 父が肺炎で力尽きて自然死した姿を見て、これで良かったと思っている。

gvkv4c4r
質問者

お礼

お父様のご経験、お辛い事を記載下さりありがとうございました。 私も私の父も、私がこの仕事をするようになり、職場での現状を話題にする様になってから「遺言状」には 延命措置は不必要である事を書き加えました。 回答者様と同じ考えからです。 「人間の尊厳」…「人間」とは? 本当に考えさせられます。 お父様がお幾つで亡くなられたのかわかりませんが、人には“寿命”と言うものがあると思います。 若くても交通事故等で亡くなられる方もいらっしゃいますし、幼くして重篤な難病を患い亡くなるお子様もいらっしゃると思います。 やはり、命がある間、話せなくても意志の疎通がいくらかでも可能だと身うちだけでもわかる、胃婁からの栄養注入で命を維持していても笑ったり泣いたりの感情表現がある、排泄が自力で出来なくても暴力的な行動や奇行動等ない…せめてそんな状態であるなら…そう多くは望んでいる訳ではありません…病人なんですから。 だけど、本当に「人間なのだろうか?」と思ってしまう凶暴で乱暴でオムツを外して糞便をまき散らす、立てない歩けない食べられない、喀痰吸引(呼吸不全防止策)の為の気管切開のカニューレを取ってしまう、点滴も尿カテーテルも抜いてしまうような人(?)を「人間」と定義できるのでしょうか? (質問分と重複してしまいました) 「尊厳」より「人間とは?」どういう事を指し示すのか? やはり疑問は解決に至りませんが、貴重なご経験とその経験後の心情をうかがえて良かったです。 まだまだじっくり考える必要のある私です。 皆さまのご回答を胸に、毎日の業務に「考えながら」丁寧に慎重に当たって参ります。 ありがとうございました。

  • VIDEOFAN
  • ベストアンサー率20% (31/154)
回答No.6

喜寿を迎えて、この投稿を読ませて戴き我が身のごとく感じられました。 これからの老人化社会に向けて、認知症の介護はますます増えるものと思われ大変なご苦労をおかけするものと思います。 元気な時に一生懸命働き、家庭や社会に尽くしてきても病気や認知症にかかると家庭や社会に大きな負担をかけることになるわけです。 医療技術が進化してなかなか死ぬ事が出来ない状況が増えています。これは”幸”であるのか”不幸”であるのか意見が分かれることと思いますが、自分の意思に逆らって生かされるのは不幸と思わざるを得ないと思います。 人間の尊厳を維持できなくなったら、安らかに死なせてもらえれば有り難いと思わざるを得ないと考えます。 そのためには、”植物人間””認知症”になったら、過剰な医療行為を拒否する旨元気な時に記しておくべきかと思います。但しこれは強制するものでは無くあくまでも本人の意思で選択すべきものです。 先日のNHKで放送された、Next Worldの様に、血液状態のマイクロコンピュターが全身を循環し脳をも支配する状態になれば、人間の定義も変わってくるものと思います。 しかし、コンピューターに支配された状態で生きていたいとは思いませんが!! 人間の尊厳が維持できる科学の進歩【脳の維持】と医療の進歩【身体の維持】が同時進行することが大切ではないでしょうか?

gvkv4c4r
質問者

お礼

ご丁寧な回答をありがとうございます。 本当に…私も「いつかは自分もこうなってしまうかもしれないんだ…」と思わざるを得ない患者様の状態を目の当たりにし、51名の患者様には手厚く心をこめてていねいに親切に寄り添って…の介護を激忙の中、可能な限り勤めています。残る問題行動の患者様は「別枠」であり、稀なケースなのかもしれません。 各TV局でも4月からの【介護報酬の改定】についての特番を放映しており、私も見ました。 また、最先端医療・高度医療の特集なども息を飲みながら、疑問に思いながら見ております。 この業界に慣れたベテラン職員は「何も考えない」「言われた事だけをやる」「心は込めない」と言い切ります。 …納得してしまいました。 「心をこめる」と自分が壊れてしまうからだと…。 人間が人間でなくなる時…やっと慣れてきましたが、心の蟠りは消えません。 「なぜ、この人が生きて(生かして)いるのか?」わかりません。(わからなくていいのですが…) 大変な仕事…大変さより、悲しみが多い仕事です。 「あなたの糞便の処理を丁寧にしているのに、なぜ殴りつけるのか?」 「あなたの胃婁や気管切開のガーゼ交換や消毒をしているのに、なぜ蹴り飛ばすのか?」 私達は生傷やアザだらけで業務に当たっています。 糞便だらけになった衣類やシーツを交換して体を清拭しての作業は大変で作業もその分どんどん遅れて行きます…私達は仕事だから「抵抗する事も出来ず」にこの患者様に接しなくてはならない…? ほっとけばいいのに!と思っています。 その人らしさ…その人が糞便まき散らしたいのであれば、そのままにしておけばいい…と思ってしまいます。 どんどん医療のみならず、人々の観念(常識・認識)も加速度的に変わってくると思います。 隠されている業界の裏事情や現状を「知ることができる」時代です。 随分質問投稿する事を悩みましたが、良かった…。 「自分が悪魔」になる前に、良く考える機会を得られました。 長いお礼文となり申し訳ありません。 ありがとうございました。

noname#223566
noname#223566
回答No.5

介護の仕事は、本当に大変だと思います。介護スタッフの皆様には、いつも頭が下がる思いで感謝して居ります。 私は、まだ介護の経験はありませんが、介護福祉士である息子の日常の話を聞いていると、よくそこまで出来るわね!と関心してしまいます。喋れない、動けない、立てない歩けない、垂れ流し、食べれない。そんな状態で本当に生きている意味があるのか?って思ってしまいますよね!でも、ご本人はいきているんです。まだ命があるのです。今のお年寄りが、戦前・戦中・戦後と頑張って生き抜いて、働いて下さったから、今の発展した社会があり、家庭・家族があり、自分があるのではないでしょうか?ならば、今度は私たちが支え、労わってあげる番だと考えたら、少しは気持ち的には違って見えて来るのではないでしょうか? 確かに、こちらの思い通りに事が運ばないと、人間ですから腹も立ちますし、物凄く憤りも感じられるでしょう。これが機械でしたら、操作ミスを起こさない限り、自分の思い通りに動いてくれますが、相手は生身の人間ですからね!そうは簡単にはいきません。難しいかも知れませんが、もっと相手に寄り添ってみるということを心がけてみてはいかがでしょうか?息子が言うには、特に認知症患者にたいしては、絶対否定してはいけないそうです。逆効果だそうです。認めてあげることで、安心感を得られるそうです。答えになっていないかも知れませんが、とにかく、介護の仕事はなくてはならない仕事です。誇りをもって、これからも悩めるお年寄りや、ご家族のための救世主となって頑張って下さい。

gvkv4c4r
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 問題行動の患者様に関しては、「寄り添う」段階を超越しています。 「否定はいけない」…否定もなにもできません。(何一つ通じませんから…) 私的な経験則で言わせていただくなら、「精神科」の患者様にカテゴリされると思います。 患者様獲得(経営上)の為に受け入れたとしか思えません。 (色々な業界の繋がりや裏の事情もある事を知りました。) ご回答者様のコメント内容は私も講習や現場指導で十二分に「理解」しています。 「認めてあげる」も何も、「認める」=糞尿まみれのまま、暴力三昧、点滴も尿カテーテルもしない、栄養も注入しない…と言う事になってしまいます。(=殺してしまう…行為になってしまいます) おそらく、この患者様(数名)は施設でも受け入れ不可能な状態の方ではないかと思います。 終末期=看取りの病院ですから、「とんでもないケース」の患者様も受け入れしているのかと想像します。 高齢者施設とはまた別なのかしれません。 改めてご回答者様のコメントから再度認識しなおす機会を得られ感謝申し上げます。 励ましのお言葉…大変嬉しく拝読いたしました。 ありがとうございました。

noname#252332
noname#252332
回答No.4

 商売の材料に感情の報酬を求めるようでは看護師や医師や養豚業は勤まりません。そういう希望なら、金儲けの本を書くことです。必ず商売の対象の人間から相互理解と感謝が得られます。そうでないから、自分の精進と給与を天秤にかけることです。感謝ではない。  人間の定義とは一匹の人間がどうだというものではありません。ある人が生涯言葉を話さなかったからと言って彼が人間でないということはない。ある人が生涯道具や火を使わなかったからと言って彼が人間ではないということにはなりません。人間の定義とは、彼の同種の中に、機械を作って空を飛びたいとか、時速300kmで旅をしたいとか、人間の代りに考える機械を作りたいとか、世界一高い山に登りたいとか、感激を音楽で表したいとか、人を笑わせる話を創作したいとか、目の前の花を絵の具の模様に変換したいとか、生活能力が無い者でも生活できる世界にしたいとか、この手の酔狂なことを思いつく者が混ざっているかどうかにかかっています。  人間の大部分は本質的に猿で、それ以上ではない。彼の同族の中に上記の属性を持つ者が混ざっていれば、その一族が人間です。(猿を人間たらしめている少数者の恩恵を受ける位置にあるからです。) つまり介護施設では猿が猿を世話しているのですから、あなたの不幸の原因を作ったのは「生活能力が無い者でも生活できる世界にしたい」を酔狂なことを考えた、あなたを人間たらしめている奴です。

gvkv4c4r
質問者

お礼

深いご回答をありがとうございました。 そうですね。 私も選挙の時には「一体、この良く知らない人達の中から誰を選ぶべきなのか?」といつも疑問に思います。 そして、わからないまま、場当たり的な政策や演説の一部で判断し投票する。 そう言う「私自身」がこの社会を作った一人である事をいつも痛感します。 私も含めて「いつか赤ちゃんに帰ってゆく」じゃなく人間 らしく装っている猿が【本来の猿】に帰って行く事が『老化の極み(認知症等の患者様)』の姿なのかもしれません…そう思うと「人間」としてではなく【猿】なんだと思え…と極論ですよね。 “楽になります”。 「人間」として扱え、尊厳を守れ…が全く通うじない患者様がいる事を知り、ショックでした。 TV等で放映される事例は軽度なケースであることもわかりました。 家族が投げ出す…危険であり「犯罪」になってしまうからです。 【猿】であるなら、どうか「檻(囲いでもいいです)」に入れてくれ!と言いたい。 猿でも「餌に集まる」でしょう…でも彼らには「餌」さえもわからないんです。 恐ろしいです…自分もいつかそうなってしまう可能性があるのですから。 その時に「どうか死なせて下さい(延命措置をしない)」と言いたい…言えない状態を想定して「遺言状」を残しています。 彼らには「死なせて欲しい」と言う理性的な欲求も残っていない様子ですし、病院に収容されている以上は積極的に『死』に向かうような放置はできませんし…。 生かされている事が、ご本人様の「希望」であるかどうかも、もう問題ではなく、医療機関の都合でしかない。 この様な社会にしてしまった一員である事に、私自身が【人間として】どうなのか? 大した人間でも存在でもありませんが、良く考えこれからも疑問を持ったまま業務に勤めます。 ありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

貴重な意見、拝聴させていただきました。 長い文章でしたが、一気に読ませてもらいました。 ワタシの父も、認知症になり、我が子の顔さえ 解らなくなりました。 その時思いましたね。 親父の人生、これで終わったな・・・。 それでも延命治療はお願いしました。 理屈ではありません。 何十年もの親子関係がなせる感情です。 父がベッドに縛り付けられた姿を見るのは 辛かったです。 そんな父にも、看護の方は誠実に対応していました。 頭が下がります。 どんなに誠実に接しても、本人はそれを認識できません。 もう、人間として壊れてしまっています。 だから、介護の人が、そういう父に誠実に接している のは、ワタシ、つまり家族の為なんだな、と 思いました。

gvkv4c4r
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 最後の文章…心に留まりました。 ご家族の心中お察しするに余りません。 確かにご家族を念頭において日々の業務を行っている訳ではありませんが、多くのご家族が私達に「感謝の言葉」をかけて下さる事は確かです。 おそらく私の病棟は特異でどの介護スタッフも直接的なご家族との接触はありませんので、ご家族からの感謝が欲しい…と意識して仕事をしているスタッフは誰もいないと思います。 …と言うか、日々の作業を時間内でこなす…事に必死です。 そんな余裕はありません。 ふと気がつくと、休憩室にジュースの箱やお菓子折りが届いている事があります。 (本来は受け取ってはいけない事になっていますが、何度お断りしても“置いて行く”ご家族がいます。) 御自分の親の最後の姿がどんなものであるか…をしっかりと見つめ認めていらっしゃるご家族は頻繁にお見舞いにも見えますし、私達介護職員(看護師ではなく)に「頭が下がる」と言葉にして下さいます。 …そうですね。 その人の為…ばかりではなく、「ご家族の為」である事…視野になかった考え方です。 しかしながら、酷い状態の(質問内容の様な)患者様のご家族こそ、「お見舞い」等一度も来ません。 (感謝が欲しいから…の意味ではなく) “見はなされた、見限られた”存在なのでしょうね…当たり前だと思います。 もう、親でもなければ家族でもなくなっているあり様です。 このような患者様は稀なケースかもしれません。 56名中たった5名前後の「異常な患者様」を中心に考えてはダメかもしれません。 この質問投稿さえ、「回答出来る=普通(?)以上の方」からの投稿(意見・お考え)ですから…。 患者様ご本人の心中や脳の状態は「わかり様がない」ですものね。 自分がいつかそうなった時…にしか、わからないし、その時にはもうなにもかもわからない状態なのか…。 恐ろしいですね。 人の生きる・人として・人とは…根源的な疑問にこれからも模索しながら頑張ります。 ありがとうございました。

  • mpascal
  • ベストアンサー率21% (1136/5195)
回答No.2
gvkv4c4r
質問者

お礼

ありがとうございました。 ご紹介いただいたサイト、拝見しました。 「尊厳とは」と言う事より、質問内容にある状態の患者様を「はたして人間と言えるのか?」「人間の定義」は何なのか…? と言う、本当に「根源的な疑問」についての回答、私の解決には至りませんでしたが、改めて復習となりました。 ありがとうございます。

  • daion
  • ベストアンサー率10% (47/440)
回答No.1

ながすぎ よめるかいな 30%にまで要約しても伝えられるはず そのときまで GOODBYE 再見

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