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人とのメールについて
僕は友達や女友達とメールをするのですが、基本的にすごくなかはよいのですが相手からメールは来ませんいつも自分からメールを送っています。 直接会うと気にかけてくれるし、メールもちゃんと返してくれますが内心すごく不安になります。 他の人は相手からメールが来てくれますが自分だけ来てくれないと孤独感を感じます。 みんなそれぞれ忙しいと思いますが、皆さんの場合はどうですか? メールがたまに相手から来てくれないと自分がどうでもいいんじゃないかと感じます。
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質問者が選んだベストアンサー
確かにそういう気分になります。 それは錯覚なのですが、それが原因でメンタルを失調(うつ病とか)するケースが 増えており、心療内科などの先生が警告をしています。 つまり錯覚でも落ち込めます。 質問者さんがどうでも良い人間であると言うのは全く関係ありませんが、 メールを続けている場合の副作用として、 「自分にはメールが来ないと感じ、自分がどうでも良い人間に思える」 と言うのが誰にでもあてはまるそうです。 ということは、質問者さんだけではなく、 「他の人はもっと頻繁にメールをやりとりしているに違いない」 と感じている人が多いと言う事ですね。 このため、頻繁にメールをしていないと落ち着かないと言う中毒症状が増えており、 アルコール依存症やギャンブル依存症と同じくらい危険なものと知られています。 他にもFacebook、Twitter、その前はSNSなども同種の症状を引き起こしています。 これらが問題なのは、 「皆は影でこっそりと自分を仲間はずれにして連絡を取っている」 と言う疑心暗鬼が生まれ、 この錯覚に悩んで正気を失うと言う事です。 落ち着いて考えれば、皆がそう思っているわけですから、 実際にそれを実施している首謀者はいません。 そこで、心療内科の先生に指導されるものは、 「実際にあって、相手の話を聞き、相手の雰囲気を感じて落ち着きなさい」 ということです。 大変重要な話でして、これをしているかどうかで、病状の進行が違うとか。 メンタルを失調しますと、他から見ても急速に魅力が減ります。 (面倒な人、わがまま、子供っぽい、嫌な奴などなど) これは本来のその人の性質ではなく、病気から現れる症状ですね。 しかし、現実こうなりますと、他人が自分を避け始めます。 ここまでは気付かないで進行しますから、気がついたときは、 名実共に嫌われ者になっているわけです。 その前に、メールやその他のインターネットコミュニティから離脱し、 ある程度、人に合うなどして心を徐々に健康な状態に戻します。 (Facebook断ちとか、Twitter断ちとかも同様) そこからは依存ではなく、道具としてこれらを使うように心がけるわけですね。 実際に体を動かして人に会うと言うのはとても面倒です。 それでも予定を調整して人と人が会うわけですから、こちらのほうが高級ですよ。 ところが、仲が良い友達はメールをやり取りしていると言う幻想があり、 これを信じてしまえれば、大変危険な状態だと思います。 また、人に誘われないというのは魅力が無いからではありません。 誰もが誘われるのを待っていると、始まりませんよね? そのため、誰が最初に誘うか? という暗黙の了解ができてしまいます。 私もそうですが、短気なほうでして、自分から連絡を入れる役割になっています。 (そういう関係で定着してしまう) 若いうちは不本意でしたが、あるとき、 友人のほうで誘いが来ないので不安になっていた というのがわかり、驚きました。 「そう思うなら、連絡くらいすればいいのに」 とか思いましたが、 意外と一度出来た関係は、変えられないのだなと思ったものです。 世の中には、常に自分から誘う人と、常に人から誘われる人が定められており、 こうした関係で成立しています。 寂しいとか、待っていられないとか、そういう事情でも、自分から連絡を取る という行為を何度かやってしまいますと、 相手は必ず待ちに入り、これを後で変えることは出来ません。 しかし、そういう役割の人がいないと、人の輪は繋がらないんですよ。 そういう立場だと諦めることです。 みんなと違うんじゃないかと感じるのはあっています。 大事にされていないのではなく、役割のほうが皆と違うんですよ。 そこで、今度は逆に割り切って、 「よし、定期的に自分から連絡入れるぞ。 あいつとは時間が空いている。 連絡しなきゃ」 と生き方を変えてみるんですよ。 すると、これまでとは全く違ってすべてが良好に進み、孤独感がきえます。 そこで感じることは、 「忙しい」 という感覚。 自分から連絡をいれる仕事として役割をまわりに決められていたと言う事。 もちろん、連絡する以上は、遊びネタが必要ですよね? これを仕込まないとサービスになりません。 私は割り切ってからは常に、友人ごとに遊びネタを考えねばと忙しいです。 数人に一人はこういう人が必ずいます。 またそういう生き方をすることが、凡庸であると言う壁を越えるヒントです。 選ばれるのではなく、選ぶ側にたつ。 これは、自分から「遊びましょう」と声を掛けるだけで超えられます。 たとえ寂しいと感じても、自分から遊ぼうと声を掛けると決める。 一生そうする。 こう覚悟することです。 人が誰でもできる、凡庸から逸脱できる切り札ですね。 メールはやりすぎないこと。 人に誘われるくらいなら、自分から定期的に誘い、これを一生すると覚悟する。 この二つをアドバイスさせていただきます。 以上、ご参考に成れば。
補足
それじゃあ、嫌われるわけでもないし相手にされてるわけじゃなくて自分の考えすぎ何ですか? それじゃあ暗黙の了解って事ですか? 自分から積極的になったほうが相手も喜ぶし、自分も楽しくていいって事ですね、逆に仲良くてもこっちから常に送ったり連休しないと疎遠になってしまうんじゃないかと不安になりますね 女友達はしつこくないかと心配されました 逆にこっちが悩んでます(笑)