橋本龍太郎内閣の秘書官として有能で官邸の森欄丸と呼ばれていました。橋本が岡山出身であったことから同じ出身の官僚であった江田憲司に白羽の矢が立ったのです。後に自民党で出馬するが落選し、自民党支持者からの受けが良くありません。
彼はお坊ちゃまではなく社会批判的な考えを持っていたことが原因です。内閣府に出されるのは仲間から嫌われているからで官僚批判が強いからです。自民党的でありながら批判的なみんなの党の結成に参加して当選するのです。その後に渡辺党首との確執で幹事長を解任されるのです。悔しそうな顔がテレビに映っていました。一緒に飛び出した者と結いの党を結成して党首になる。石原が維新の党を飛び出し次世代の党を作ると橋下大阪市長との共同代表になる。そして今回、代表になる。
頭が良いためか変わり身が早い。そのときそのときに都合の良い主張をして主義一貫していない。小ずるい感じが拭えません。あの口を歪めて批判する顔は好まれません。人望がないので人の上には立てない人です。