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人間同士の誤解は会話不足から生まれる?
もちろん、価値観が違っていれば会話が成り立ちませんが、一般的な普通の人同士であれば豊かな会話が出来れば誤解が生まれにくい、或いは誤解があってもすぐに解けると思うのですが、皆さんはいかがお感じでしょうか。 つまり、お互い十分なコミュニケーションがとれれば誤解は解けるものだと思うのですが。
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- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
お礼ありがとうございます。 が・・アナタのお礼の内容こそが、コミュニケーションでは誤解は解消しない証明になっていますね。 ご要望に応じ、修飾的な表現はナシで行きましょう。 一般的なコミュニケーションによって意思伝達が行われるのはせいぜい70%程度で、高度な言語能力,言語伝達スキルを駆使しても、80~90%くらいが限界とされています。 残り10%程度は理解し合えない領域で、この領域において誤解,齟齬,対立などが生じます。 言い換えれば、その領域は、いわゆる「個性」などであって、一般論や他人とは相容れない領域であり、かつ誰にも必ず存在する領域です。 誤解の解消などは、いずれか(又は双方)が、対立回避の目的で、この個性領域を無視や黙殺,我慢などを、するかどうか?と言うことです。 簡単な例で言えば、同じ室温でも、「暑い」と感じる人も居れば、「寒い」と感じる人が居て、それが個性です。 主には、この個性領域で、誤解などの意見対立が生じますが、これはコミュニケーションでは解消し得ません。 いずれかが妥協するなどの、対立回避的な思考・言動をするしか無いのです。 その回避の目的が、「人間関係の尊重」など。 従い、尊重すべき人間関係が無き私とアナタの間では、対立回避の必要性が希薄で、相手に理解を示す必要性もありません。 誤解や対立の解消は困難で、アナタのお礼(?)の様な、個性豊かな感情論的反応になるワケです。 自説が否定され、感情的になることは理解はしますが、私の文章や文体への解説や評価は要りませんので、反論するなら、ロジカルな部分でお願いします。 ただ、形容詞や喩え話しなど、いわゆるレトリック(修辞技法)を否定するのも、「豊かな会話で誤解が解消する」とする意見と、完全に矛盾する点は、指摘しておきます。
- mstk2
- ベストアンサー率26% (157/588)
話せばわかると言ったのは犬養毅でした。 でも結局、その提案は受け入れられずに殺されてしまいました。 思うに、「充分な対話を持てば誤解はとける」 という命題は真実です。 ではなぜ誤解は生じるのか。おそらく充分な対話を持つことを、一方あるいは双方が拒否するのでしょう。 いわゆる聞く耳もたないという状況。 これが生じる所に、すべての誤解は起因するように思われます。
お礼
回答ありがとうございます。 まったくその通りですね。 お互いの理解を深めることを拒否すれば、会話もコミュニケーションも成り立ちませんね。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
会話は重要ですが、話し合いがすべてを解決するか、といえば、そんな単純なものではないと思います。 コミュニケーションというのは、言葉を通じてお互いの意思を相手に伝えることですが、それでお互いが理解しあえるかどうかはまた別の問題ですね。貴方の認識は甘いと思います。これはお互いが相手を理解しあうための単なる一段階、手段に過ぎないのです。お互いの理解はそこから始められるということでしょう。 貴方の文章の中で気になった言葉は”価値観が違っていれば会話が成り立ちません”というところです。価値観が同じ人間同士ならコミュニケーションはさほど必要なく理解しあえます。誤解というものは、相手の価値観が理解できない、しないというところから生まれます。他人同士はしばしばこれを解かなければならない必要が生じるので会話が必要になるのです。 私が考える誤解を解くためのキーワードは「理性」、そして「受容」だと思います。お互いに話し合いを尽くして相手の立場を知的な能力で理解し、それと同時に心で相手の立場を認める、そこには理屈だけではなく、心から相手の存在を認めるという謙譲、受容の気分がなければなりません。お互いの動物的感情に関わるここが一番むづかしいところです。
お礼
回答ありがとうございます。 書かれている内容はその通りでしょうね。 ただ、「貴方の認識は甘いと思います」と書かれていますが、質問にあるコミュニケーションの中には、ご回答の最後に書かれていることも包含されると思います。
補足
回答いただいた方々へ 短時間の間に多くの方々から回答をいただき、ありがとうございました。 皆さんの回答を読ませていただきながら、自分の質問内容が不十分だったなと反省しています。 質問内容の不十分さのために、皆さんから様々な疑問を呈されました。 でも、見識ある方々から回答していただいたこと、感謝しております。 また、いろんな質問を投稿してみたいと思います。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
正しそうですが・・正確ではないですね。(正直に言えば、申し訳ないですが、学術的には間違ってます。) そもそも誤解等を解消する術は、コミュニーケンションが有効と言うよりは、コミュニケーション以外に存在しません。 ただ、豊富なコミュニケーションでも解決し得ない問題はゴロゴロしてて、その典型が契約書とか裁判などです。 保険の契約書類などを思い浮かべて戴けばわかり易いですが、豊富な知識を有す専門家が細かい文字でギッシリ書いてますが、それでも契約上のトラブルと言うのは発生します。 さらに典型的なのが裁判で、これも豊富なコミュニケーション能力を有す専門家の弁護士まで立てて、徹底的に話し合うワケですが。 わかり易いところでは、痴漢冤罪事件など、誤解が解けぬまま結審してしまう例も多いですし。 何より民事裁判ってのは、主に家族,親族とか、知人・友人間など、比較的コミュニケーションが豊かな間柄で行われる裁判で。 おまけに判決を得ても、敗訴側は「納得が行かない!」と言うケースが圧倒的です。 すなわち、決定的な誤解,齟齬,対立などは、一般的なコミュニケーションでは解決しない、ごく狭い領域において発生する事態と言うことです。 簡単に言えば、「挨拶しましょう」では、余り誤解もないし対立もしませんが、それを「中国語で挨拶」みたいな話しになると、誤解や対立が生じるワケです。 一方で質問者さんが仰ってる、豊かなコミュニケーション間で、誤解等が生じにくいとか、解決しているのは、誤解や対立などを「回避」しているのです。 これもわかり易く言えば、たとえば社長が「我が社は中国との貿易が多いので、中国語で挨拶しよう!」と言い出せば、相手は社長だし、それなりに合理的な理由もあるので、たとえ中国嫌いな人でも、「異議ありません」となります。 また、倦怠期過ぎだと、「こんな熱い味噌汁が飲めるか!」「嫌なら飲むな!」と、味噌汁一つで対立するのですが、同じ夫婦が新婚の頃は、対立回避で、やけどしそうな味噌汁を「熱くない?」「美味いよ」となります。 家族,恋人,親友などの関係も、その関係性を重視すれば、些細な誤解,齟齬,対立などは、回避したいので、いずれかが自分の意見は主張しないとか、あるいは無意識的な妥協などをして、相手に迎合しているのです。 たとえばこの回答でも、質問者さんは納得出来ないかも知れませんが・・。 これを池上彰氏とか、林修氏あたりがテレビで解説すると、テレビの公共性や彼らを識者と認識しているので、対立的な思考を停止して、すんなり受け入れられたりするかと思います。 誤解などは、全ての関係性において、必ず生じるものですが、コミュニケーション当事者の双方 又は 一方が、回避行動などをするかどうか?で、対立するかどうかも決定されます。 その回避行動を決定付けるものが、普段の関係性などで、良好な間柄では相手を理解しようとしたり、極力は対立は避けると言う構造です。
お礼
回答ありがとうございます。 書かれている様々な事例が何をいいたいのか、最後の締めを読んでもよく分からなかったです。 といいますのは、最初の「正しそうですが・・正確ではないですね」の答えになっていないからです。 それと、気になったのは「学術的には間違ってます」ですが、その後の説明が学術的になっているようには見えないのですね。 加えて「保険の契約書類などを・・・・、豊富な知識を有す専門家」や「豊富なコミュニケーション能力を有す専門家の弁護士」といった修飾表現は必要ないと思いますよ。 契約書や法律問題に関わる人達が専門家であることは確かなのですが、無理な修飾をすると自分の意見に重みを持たせて相手を威圧する目的が露わになってしまいます。 もう少し、素直な表現の方がが相手にスムーズに伝わると思います。
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3623)
コミュニケーションがうまく取れていると感じていても、実は……という場面はかなりあると思います。 いくら会話を重ねても、自分から相手の懐へ一歩踏み込むなり、相手を理解しようと本気で相手の言葉に耳を傾けなければ、決して縮まらないものもあります。 案外、人は「理解している・理解出来ているつもり」でいるものでしょう。 ※型にはめる、レッテルを張る、出会ったころのままで相手が成長するというイメージを抱けないなど。 そこを自覚出来ていないと、延々と溝が埋まることがない関係に陥る可能性はあると思います。 加えて、理解しようとしているつもりで、無意識に相手に自分の価値観を「認めさせよう」としてしまうと、これまた上手くいきません。 お互いのパワーバランスがうまくとれるかどうかも、大切なポイントになるのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 書かれていること、よく分かります。 会話というものは、ただ話せばいいというわけではありませんね。 お互いに相手の考えを理解しようとしない会話はほとんど無意味です。 よく、ディペ-ドに凝る人がいます。 何でもかんでも相手に言い負けないように話す人がいますが、これも無意味ですね。 ディペ-ドは言い勝つためではなく、感情的にならずに論理的に話し合うということですから。 ご指摘の通り、人間同士の会話はお互いに尊重する気持ちがないと時間の無駄ですね。
- tyr134
- ベストアンサー率51% (851/1656)
「文化と文化は衝突する」というのがあります。 例えば、私たちは「犬」と言われればかわいいペットですが、他国では「犬」も立派な食料だったりします。 このとき、私たちは「かわいそう・犬を食べるなんて野蛮」なんて感想を持ちがちですが、その国では当たり前で牛や豚などの家畜肉と変わらないわけです。 そこに「文化と文化の衝突」があります。(これをカルチャー・ショックと言います) もちろん、お互いの違いを認め尊重し合えればいいのですが、「犬を食べるなんて絶対許さない」って人もいるでしょう。 その時にはたして「会話=言語コミュニケーション」だけで足りるのかどうか・・・・。 結局は他者を理解するかどうかは、個々人の姿勢次第なんではと思います。 たとえ自分とは真逆の価値観であっても、相手を尊重する。 そんな心の広さが必要なんだろうと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 おっしゃる通りですね。 犬の話、よくいわれる食料問題ですね。 捕鯨、イルカ漁などを批判する人は概ね都会で文化生活している人です。 幼い頃から、自然から遠く離れ、文化的生活を営んでいると理解力が育たないのでしょう。 回答の最後の内容の通りだと思います。
- SPROCKETER
- ベストアンサー率26% (2125/7985)
人間同士の誤解は、その人がいる社会環境の仮想現実の違いによると考えて良いと思います。 買いたい物が一応は全部買える社会環境にいる人が、ほとんど全てをバーチャルリアリティー(仮想現実)上でしか実現出来ず、現実での実現を諦めなければならない人達を理解するのは難しいでしょう。 仮想現実の頻度が低い人達から見れば、欲しい物は実際に買えば良いわけですし、結婚したければ結婚すれば良く、旅行したければ旅行すれば良いわけです。 ところが、仮想現実の頻度が高い人では、欲しい物は買えず、結婚も出来ず、旅行も出来ずに、それらをアニメDVDやゲームで遊んで我慢するしかなく、我慢する為にお金を払い続けなければならないわけです。 こういう人達が互いに理解出来るはずがなく、欲しい物が買える人達から見れば、買えずに夢を見続けるしかない人達は病人としか思えませんし、夢を見続けるしかない人達から見れば、何でも買える人達はアニメや映画に出て来る夢の世界の住人としか思えません。 革命やファシズムが起こる原因は、夢を見る自由しか与えられない人達に、現実に夢を実現する政策を始める政治家が現れ、夢が実現して行くと、その副作用などは無視されて、誰もが現実に夢の世界を実現出来る社会を作る道に突っ走る結果になるからです。 価値観の違いが克服出来るというのは、おそらく嘘だと思います。価値観の違いが容易に克服出来るのであれば、テレビ番組で情報操作や印象操作をおこなって真実を隠す必要は無いはずです。
お礼
回答ありがとうございます。 書かれている内容、よく分かりますよ。 その通りですね。 それは問題こそ時代と共に変化しますが、階級社会や富める者と富めない者の差は簡単に理解できることではありませんね。 「価値観の違いが克服出来るというのは、おそらく嘘だと思います」 その通りですね。 価値観が違うのに、相手を理解しようとすれば、すでに価値観の違いが崩れてるということでしょう。
- heisenberg
- ベストアンサー率23% (591/2556)
同意です。 誤解していても、コミュニケーションが十分にとれれば、誤解は解ける可能性が大です。 僕は、コミュニケーションを蔑ろにした為、大変な誤解をしました。 今でも、痛恨な思い出です。 「少しでも会話していれば・・・」と思います。
お礼
回答りがとうございます。 他の回答者の方々の政治や国際問題そして生まれながらの環境の違いの諸問題とは別に、heisenbergさんのご経験は痛恨の思い出なのですね。 誰でも長く生きていれば、誤解で生じた痛みがたくさんありますね。
- angkor_h
- ベストアンサー率35% (551/1557)
貴方の言うとおり、会話の成立は価値観の共通化が大事です。 「一般的な普通の人同士」と言うのは価値観を共通にする人達を指しているはずです。 「誤解があっても」とは理解し会える範囲だから「誤解」で済みますが(修復できる)、 価値観が違う人同士の「誤解」とは「違う世界の理解の差」でしかなく、それをお互いに理解できない時の言い訳にしか過ぎません。 「お互い十分なコミュニケーション」は同じ価値観(互いの理解)の元でなければなり得ません。 軍国化を目指す政府(現首相)と戦争(の悲惨さ)を経験した(今は数少ない)方々、原発再稼動を目指す原発むらと福一被害者、奴隷を認めるイスラム国とその他の近代国、一国を支配する首領様とその国民、 これらの間では「お互い十分なコミュニケーション」を期待するのは無理な話しです。 御質問が、地域内の揉め事解決程度ならば、皆さんの「値観感は共通」なので、逆に「お互い十分なコミュニケーション」を取らなければいけないと言えると思いますが、...
お礼
回答ありがとうございます。 ご指摘の軍国化と戦争被害、原発被害者と推進派、イスラム問題などはその通りだと思います。 政治や宗教そして民族問題といった諸問題ではそうですね。 質問で「一般的に普通の」と書いたのはご回答の最後の部分を意味しています。
- バグース(@bagus3)
- ベストアンサー率29% (1973/6719)
自分の思いや考えを相手に伝えるとします。 思いや考えはイメージであり実体はありません。 それを言葉という記号に変換して発します。 相手は、それを聞いたときに脳が作りだしたイメージを 理解しようとします。それは、相手の思いや考えとは 全く違うものです。 この世に理解というものは存在せず、すべては誤解なんです。 たまたま、理解できた理解されたと錯覚できた誤解を理解と 呼んでいるにすぎません。
お礼
回答ありがとうございます。 ご指摘の内容、特に二段目の内容は私も同じ認識です。 相手がAといっても、聞いたほうは自分の経験値の中からAと記憶しているもので認識しますね。 すでに、ここで誤解が生じていますからね。 まあ、最後の「すべては誤解」は云い過ぎとは思いますが、そのくらい相互理解は難しいということでしょうね。
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お礼
再度の回答ありがとうございます。 key00001さん、このご回答はとても分かりやすいです。 中盤までは、まったくその通りだと思います。 しかしながら、後半の部分は残念な内容です。 「尊重すべき人間関係が無き私とアナタの間では、対立回避の必要性が希薄で、相手に理解を示す必要性もありません」と書かれていますが、相手に理解を示す必要がないのであれば、そもそも回答する必要もないのですよ。 「自説が否定され、感情的になることは理解はしますが」とありますが、自説は何も否定されていません。それほど特別な説を書いてはいないからです。 あれだけの簡単な質問文に対して、最初からそんなに強い否定で入る必要もないのですよ。 「反論するなら、ロジカルな部分でお願いします」 →どうもkey00001さんは、学術的とか弁護士、ロジカルといった面に価値観が強いようです。 ご自分の中にだけ収めておく価値観は尊重されるべきですが、他人との質疑において自己の価値観でものを論じると恣意的な意図が見えてしまうのです。