脅迫罪の保護法益は、単なる意思の平穏ではなく
意思の自由です。
この点から畏怖も解釈されます。
社会通念上、一般人なら畏怖するだろうという
のが畏怖です。
被害者が剛胆で全く畏怖しなくても、一般人なら
畏怖するようなことをやれば、やはり畏怖になり
犯罪となります。
逆に、被害者が小心者で、一般人なら畏怖しない
のに畏怖してしまった場合には犯罪になりません。
一般人なら畏怖するかどうかは、四囲の状況から
社会常識的に判断されます。
学説判例で脅迫罪における畏怖行為とされて
いるものは次のようなものです。
吉凶禍福を告げた場合はどうか。
保護法益が意思の平穏だとすれば、脅迫に
なりますが、意思の自由とする現代では
問題があります。
そんなことをしていると、大地震が来るぞ
というのは脅迫にはなりません。
俺に逆らうと、大地震が来るぞ、というのは
脅迫になるとする説とならないという説に
分かれます。
しかし、俺に逆らうと暴力団の○組がくるぞ
というのは、脅迫になります。
微妙ですが、そんなことをしていると
暴力団○組がくるぞ、というのは脅迫に
なりません。
つまり、脅迫者との関連を表示して初めて
脅迫罪になるということです。
火事でも無いのに、対立候補に火事見舞いを出す
のは脅迫になる、というのが判例です。
旧い判例ですが、提訴の意思が無いのに、提訴するぞ
と告げるのは脅迫になるとしたものがあります。
学者の多くは反対です。
村八分は脅迫になります。