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1965年の赤字国債発行
1965年の赤字国債発行 我が国の赤字国債発行の歴史を調べていたら、1965年に単年度ですが、一回赤字国債が発行されています。 オイルショック以降の現在(2014年)に至る、ほぼ「毎年恒例」の「赤字国債発行」はともかく、なぜ「1965年」に「一回(単年度)」発行されたのでしょうか? 一般的には「ポスト・オリンピック不況」が原因と言われます。 しかしこの時期もう一つ大きな財政上の支出原因が発生しております。いわゆる「日韓基本条約(1965年)」です。これも大きな原因かと、推察しました。 質問1 いずれにせよ、なぜ1965年に赤字国債発行は、単年度の発行をされたのでしょうか? 質問2 1965年に赤字国債発行を発行しなければ、現在の日本はどうなっていたと思いますか? 質問3 1965年に赤字国債発行を発行しないで、乗り切る対応策はあったと思いますか? (拙い文章をお許し下さい)
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- titelist1
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私が大学1年のころだったのですが、追加質問は分りません。その時の大統領が現在の大統領の父親です。この大統領は汚職などの疑惑の絶えない大統領でした。一部は政治資金にも回ったかもしれません。
- titelist1
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質問者が指摘しているように日韓条約による浦項総合製鉄所(POSCO)の建設援助費を赤字国債で賄ったのです。これによって韓国経済は経済成長をすることができたのです。戦後の賠償を韓国政府に対して行なうことで、日本政府は民間に対する賠償をしないとの取り決めです。赤字国債を発行したくないので日韓条約を結ばないとの選択はなかったと思います。すでに日本経済は上昇期だったので、その赤字国債が問題になった記憶はありません。佐藤内閣は沖縄返還や非核3原則など良い仕事をした長期政権でした。
お礼
お早く、的確な御解答、ありがとうございます。 日韓基本条約の「賠償(のようなもの)」は、当時の貨幣価値で大変な金額とは存じておりますが、「右肩上がり」時代の日本経済でさえ、大変な負担だったわけですね。 しかし、疑問は残ります。「浦項総合製鉄所(POSCO)の建設援助費」はわずか1年で莫大な大半の必要金額を、相手方に渡した(支払った)ということでしょうか? 建設事業が1年で終わるとは考えにくいのですが、このあたりのtitelist1様の見解伺えればありがたいものです。
お礼
再度の御解答ありがとうございます。私なりに真相を学習するきっかけになりました。ありがとうございます。