• 締切済み

変なところで気を遣ってしまう

長文です。タイトル通りですが、私は変なところに気を遣ってしまう癖(?)があります。 例えば、友達と四人くらいで分け合う式の食事をしたら、これ食べる?と聞かれた時、(たべたいけど、ここで食べたいって言ったら自己中だと思われるかな...私も食べたかったのに、って人がいたら嫌なやつだと思われちゃうな。人数分はあるけど、ここは我慢しとこう。)「いや、いらない~」とか言ったあとに、他の友達が、「え?みんないらないの?じゃあ私三つ目だけど食べちゃうよ」といって食べてしまう、みたいな。。 かといって勿論、そんな事で友達が嫌われる訳もなく誰も嫌な思いをしないのです。 むしろそんなあけっぴろげな態度が愛されているか感じもします。すごく羨ましいです。 他にも、友達の家で飲んだ時、泊まってっていいよーと言ってもらったのに、(帰るのめんどくさいから泊まりたいなぁ、、いや、でもこの子は明日も仕事だし、お風呂とか朝ごはんとか出してもらったらお金もかかるし)「ううん、大丈夫、帰るねー!」と言ったら他の友達は、泊まっていく。。みたいな感じです。 そんな時はいつも、その子達は私よりも近い関係だからそんなにお互い甘えられるんだ、と言い聞かせているのですが、あまりにもそういった事が多すぎるなぁと最近気づきました。 さらに、私の側としてはどちらかというと図々しいタイプ?の友達がそういう態度をとってきても、心を開いてくれてるんだな、とか、この子といると楽でいいなぁなんて思います。 そんなに親しい関係でもない友達が、家に泊まったりしても、楽しいしむしろもてなしたいと思ってそれなりに頑張ります。 図々しい人が嫌いだから、図々しい人になりたくないという事ではなく、図々しい人はどちらかというと好きなのに、自分が図々しくなるのは嫌われそうで怖いからやらない、という感じです。 しかも、こんなに気を遣っても、友達が増えるわけでもありません。 悩みを話したり、話されたりする友人はいません。 もう10年も気を遣い続けているのに、友達ができないんじゃあ、この方法?は間違っているんだな、と思いました。 しかも、気を遣うところがなんだか間違っているような気がします。 彼氏に振られて泣いていたり、試験に失敗して落ち込んだりしている友人への気の遣い方がわかりません。 私は、どのような態度で人と接すればよいのでしょうか? 補足というか、自分の考えとしては、中学生の時にいじめられた時に、本当に自分の性格が悪かったのですが、一気にガラッと変えて人の悪口は言わない、人に気を遣う、というのを心に決めて自分の性格を変えました。 中学の友達とも和解し、高校生からは友達も普通にできて、それなりに楽しく生きてこれたのですが、気を遣うのがつかれる上に特に実になっていない、むしろマイナスなんじゃないかと思うようになりました。 馴れ馴れしい人は、愛される人が多くて羨ましいです。 現在、23歳でそういえばあのイジメからほぼ10年経つのか、と自分でもビックリしています。 ちなみに、家族に対しては全くといっていいほど気を遣いません。ワガママばかりです。 人に気を遣う限度というか、友達が増えたり、安心してもらえたり、かといって気を遣いすぎないようになりたいです。 どんな心がけをしたらいいのでしょうか? 長文失礼致しました。

みんなの回答

  • ZXC46082
  • ベストアンサー率0% (0/7)
回答No.3

人に嫌われたくないと思うのはみんな同じです。考えすぎると疲れ果ててしまいますよ。無理をしないことです。自分がしてほしいように相手にしてあげればよいし、されたくないことは人にもしないことですね。自分は自分でしかありません。生かされてることに感謝して毎日を振り返り淡々と生きていきましょう。

  • merciusako
  • ベストアンサー率37% (909/2438)
回答No.2

いつでも1歩も2歩も引いている人は、慎ましやかな人、控えめな人、出しゃばらない人、と思われます。 一方で、本心が分からない人、自己主張がない人、存在感が薄い人、とも見られます。 人の見方は色々ですから、相手と場所、状況に応じて使い分ける必要が出てきます。 ただ、最初から、自分自身で壁を作ってしまうと、一般的な人付き合いは無難にこなせても、親密な関係を求める友達づきあいや恋人関係では難しくなります。 ある程度自分をさらけ出さないと、人間としての理解が深まりませんから。 相手がよほどあなたに興味を持って色々とアプローチしてこない限り、普段のあなたの言動や行動で、あなたがどういう人なのかを判断してしまいます。 つまり、親密になるには何らかの自己主張が必要ということですね。 まあ、その自己主張がワガママ、独りよがり、世間知らず、と捉えられる場合はありますが。 それでも、自己主張しない限り、相手はあなたの本心が分からないわけですから、良い悪いは別として人間関係としては深まったことになります。 それを相手が受け入れるかどうかの問題です。 友達づきあいで、いつでも引いている自分を演じることがイヤだと思うのであれば、自分の本当の気持ちを見せないとそれ以上の距離は縮まりません。 >自分が図々しくなるのは嫌われそうで怖いからやらない 「図々しい」というのはあなたの見方でしかありません。 あなたの気持ちを正直に表に出した場合、それを相手がどう捉えるかは分からないのです。 それを、最初から「嫌われそう」と自分で判断してしまっては、まったく先へは進めません。 中学時代にイジメにあい、原因を自分に求め、結果として壁を作ってしまったことは理解できますが、その頃のあなたと今のあなたは違います。 これからの人生をどうしたいのかを考えたときに、ほんのちょっと本当の自分を見せることが必要だと思いますよ。 それによって、自分の本当の友達と思える人なのか、そうでないのか、ということも分かりますから。

  • Glory_777
  • ベストアンサー率50% (105/208)
回答No.1

質問の文章読みました。 大変好感が持てる考え方ですし、そのまま続けるのが良いかと思います。 本心を晒して素直に振舞うことがフレンドリーであると誤解している人がいます。 実際はそうではありません。 わたしもですが、子供の頃はわがままに振る舞い、それで失敗をし、 (よくあるはなしでも) 個人としては相当落ち込みました。 そこから徐々に他人に気を使うという習慣が身についていきました。 こうした習慣が身につくと、 そうでない人に対して違和感を感じるようになり、 一緒にいて居心地が悪くなります。 ここで心配になるものですが、 同じ様な経験をして同じような考え方をしている人といずれ出会い、 その人達のグループに自分が受け入れられるようになります。 自分が変わったので、つきあう人が変わるという事です。 互いに気遣いを続けるグループでも、親しくなればフレンドリーになります。 この人達は、最後は互いに迷惑をかけませんので、 変な争いに発展しませんし、本当の意味でリラックスできる集団です。 本心をさらけだすところだけを真似て、擬似親友関係を作る人達もいます。 しかし、この集団では互いに甘えあってイザコザを起こしますし、 擬似友人関係ならではの破綻を導きます。 そんなものに参加しては、悩みが尽きませんよ。 自分を律する人が最初にいて、 この人が(自分の前だけは)本当にリラックスしてくれるから、 嬉しいのじゃないでしょうか? 誰に対しても甘える人が、 自分に対して甘えてきたとして、あんまり価値を感じませんよね。 自分と言う存在は他人に対してはある種の価値なのです。 演出をするのが大事であり、 人に気を使って自分を律する人は、他人からみると高価(高貴)な存在に思えます。 主観では素直になれないと感じても、客観で他人から見ると希少な存在です。 簡単にやめないでくださいね。 勿体無いw。 そこで本題の回答になりますが、 人に気を使うならば、 もっと突き抜けて気を使うべきです。 本当の気遣いと言うのは、 相手の事情をおもんぱかって、相手の思惑通りに行動してあげることです。 誰かにサービスをして、それを感謝されるととても嬉しいですよね? 誰にもそういう習性があるのならば、 サービスを受けて本心から喜んであげると言う、サービスがあります。 これが一番極上の気の使い方です。 誰かの心遣いを受けるべきか、そうでないべきか? 受けたほうがよいときと、そうでないときがあります。 これの選択に失敗すると、直感的にわかり、悩みますよね。 道徳的な規範にのっとった気遣いというのは、 大概の場合は多くの人に好感をもたれますが、 そこから一歩踏み込んで、さらに親しくなるときは、それだけでは足りません。 プラスアルファが必要であり、これの技能は別の習慣から身につきます。 まず第一のマインドとして、 「どんな人も孤独で悩んでおり寂しい」 これを疑わずにいることです。 その上で、甘えさせないようにする。 しかし、甘えではなく、本気で寂しがっているときがあります。 こういうときは、思惑通りに行動してあげる。 さて、甘えではなく本気で助けて欲しいとき、人はどう行動するでしょう? 時間をかけて何かに取り組み、準備をしてから話をします。 例えば質問者さんは長文を書きました。 これを他人が読めば、その時間は短いでしょう。 しかし、自分が書いたと成れば、どのくらいの時間になるでしょう? これは理性で想像して測りきることができます。 このとき初めて、「どれだけ本気で悩んでいるんだ・・・可哀想に」と思います。 その姿が目に浮かべば、 自然に思いやることができますよね。 大事な習慣とは、 自分が消費する時間で価値を測るのではなく、 相手が消費した時間で重さを知ることです。 これにより、真剣に受け止めるべきか、そう取らないべきかを判断するのです。 テーマや内容とか、 本人の口調や勢いで、真剣にすべきかどうかを考えてしまうと、 大きくミスをします。 相手を傷つける場合もありますし、 良からぬ揉め事に巻き込まれる場合もあります。 ミイラ取りがミイラになる。これでは助けになりませんよね。 真剣に悩んでいる人は、 報われないと思っていても、自分の時間を費やして祈ります。 この行為に応えるというのが、本当の気遣いです。 誰かが、 「今日は泊まっていかないか?」 と言ったとします。 思いつきで言ったのか、それに備えて準備をしていたのか? 私はまっさきにこう考えます。 後者であれば、何か特別な思いがあるのでしょう。 さっと見渡して、部屋の手入れみる。新しい日用品を見る。 (明らかに時間をかけて、準備をしている。どんな気持ちだったんだろう?) また、過去を少し思い出して、会話や何かから、 (いつからそういう準備をしていたんだ?) と頭を回転させます。 「あのときからか・・・」 とわかれば、これは重いですよね。無碍にしてはいけません。 相手のかけた時間を知ること。 これが本当に大事です。 道徳的な規範で自分を律することがまず第一にあります。 これにより、人からは高貴に見えます。 そういう方だからこそ、他人は(本当に悩んだとき)祈るような気持ちで、 その人にサービスをしようとして準備をします。 これに応えるということ。 これが要点であり、ここを逸しないようにすれば、 大筋で上手くいくのではないかと思っています。 この流れだけを目で追うようにして、 そこだけを注意して観察すること。これを習慣にすることだと思います。 相手のかけた時間を常に想像する。 その理由を探ろうとする。 これが本当の気遣いでしょう。 サービスを受けると言うのは、とても重要な大きなサービスです。 相手の事情を知らずとも、 相手の方にとっては何かが報われたと感じるはずです。 具体的な相談に乗らなくても、 この「報われたと言う感覚」により、何かしらその人の中で何かが変わり、 自分で解決していくことができます。 報われたと言う気持ちは、相手の方の勝手な満足感ですが、 このとき自分が普段からとる行動や、言動。 その高貴さが、相手にとっては大きなポイントになっています。 そこについて、 「本当の自分はそうじゃない」 とか説明したりするのは余計であり、台無しですから、やらないほうがいい。 人が何かに許されたいと思ったとき、 サービスを受けてあげることで、その人が満たされる。 これは人間の善性が生み出す至上の気遣いです。 私たちが道徳観念に従い、自己を律し、高貴になろうとするのは何故でしょう? 全てはこのためです。 中身を磨いて、他人を圧倒することに意味はありません。 アイドルに握手をされて、本当に元気が出る人がいるんです。 もしアイドルが自己を律していなかったら、こうはなりませんよね。 闇雲に媚を売る必要もありません。 その上で人に気に入られる必要もありません。 素直にならないといけないと悩む必要もありません。 本当に誰かが真剣に悩んで、自分の時間を使って、何かの準備をし、 報われないと思っても、その準備を続けて、 誰かに差し出そうとするときがあります。 このときにだけ、これまでの自分の価値をつかって、相手を救うのです。 相手の差し出したモノを受け取って、喜ぶことで。 わたしはここだけがポイントだと思っています。 それ以外は、自分の満足感に従って、自己を満たすのが大事ですね。 この行為を良く考えれば、自分の時間を使って、 自分を良好な状態に保っているわけです。 いずれ出会うだろう、誰かのために、その人をがっかりさせないように、 自分の人生の時間を使って、自分を高めると言う準備をしています。 誰かが本当に悩んだとき、 「あなたが喜んでいるならば、私にはきっとまだ可能性がある」 そう思ってくれたら、いいですよね? この何時出会うか分からない、そんなシーンに向けて、 「他人から素敵に見えるようにしておこう(中身はそうじゃなくても)」 とするのが、大人のあり方でしょう。 自分のために自分を磨くのには限界がありますよね。 ですから、質問者さんの様な悩みに突入する人が多くいると思います。 その一つの答えとして、 発想の転換として助言をいたしました。 どうせならば突き抜けて、気遣いを進化させてみてはいかがでしょう? 心を通わせて本心を語り合うことも気持ちがいいですけど、 人が求める、「許しを与える人」の役割に進んでも良いのです。 日常では求められませんが、一定の数が社会では必要です。 そういう役回りを損だと思わないでください。 なので、質問者さんには、今のまま進んで欲しいと私は思います。 以上、ご参考に成れば。