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聴こえないのと話せないの、どちらが辛い?
片耳の難聴と、ジストニアによる発話困難。 片耳がほとんど聞こえないのと、話しても発音が不明瞭で他人にほぼ理解してもらえない、笑われる、同情される。 どんなにゆっくり発音しようとしても舌や顎が思い通り動かないのでできません。吃音とは違います。 また無理に話そうとすると涎が出たり舌が前に出たりします。 私自身はいま話せないほうで、知人が難聴です。 仲の良い友人に「片耳聞こえなくても笑ってる人もいるんだから!もっと辛い人いっぱいいるよ」と励まされ、きっとなってみないと、話せない辛さなんてわからないのだなと落胆しました。 親切で言ってくれているのは理解しているのですが。。 日々フラストレーションはたまり、惨めで、人に会うのも怖いです。 将来に希望もなく、死にたいです。 それでも人前では必要以上にへらへらし、あーもうやばい!全然喋れないっ!などと笑っているので、周りにはそんなに絶望しているようには見られていないと思います。
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- mmmg311489
- ベストアンサー率40% (2/5)
私は重度の難聴の者です。普段は補聴器をしているので、健常者と何一つ変わらない生活を送っていますが、夜寝るときなど、補聴器を取っているときに火事とかで警告音が鳴っていたら自分は気づかずに死ぬんだろうなぁ、と思う時があります。今はいろんな人々に思い切って相談して、前ほどは思いつめなくなったけどそれでも、周りの人はみんな普通なのになんで私だけ聞こえないのかなぁ、と深刻に悩み、障害を持っていることがコンプレックスでした。 お互い辛いところがあって、どっちがマシとかそういうことじゃあないと思います。深刻に悩んでいた時、もっとつらい人もいるだろうに、悲劇のヒロインぶっていました。心の中で。自分の中では自分が一番辛いのですから。 そんなに惨めに感じているんなら、人前でへらへらするのもやめましょうよ。誰かにその気持ち打ち明けたほうが、自分の気持ちにも変化が起こると思いますよ。 恥ずかしながら、私は初めて自分のコンプレックスを打ち明けた時は大号泣してしまいましたが、でもどこか気持ちが軽くなりましたよ。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
大変ですねぇ・・・ って、私が同情してみてもどうにもならない話ですが、人生の中でほんの一瞬すれ違った程度の知り合いですが耳が不自由な人がいましたので、まったく状況がわからないわけではありません。 質問者さんの場合、しっかりした文章が書けるようですので、例えば読書するとか、自分が小説を書くとかで人生を楽しまれることを願っております。 さて本題ですが、「どっちが辛いか」と言われれば、感じ方なので本人しかわからないことですが、「どっちが危険か」なら、明らかに「難聴のほうが危険」です。 警告音が聞こえないからです。 本来、健常者の場合ということですが、音は後ろからきたものでも耳に入りますし、寝ていても耳に入ってきています。 線路間際の家に住んでいる人など、列車が通っても眠っていられるのに、窓ガラスが割られる小さな音(泥棒の危険)で目が覚めたりするようにできています。 聞こえる、というのは身を守るということにつながっているのです。 かてて加えて、耳が聞こえないと真似すべき発音がわからないので、上手には話せません。私が知っている方もそうでした。 訓練を受けて全然話せないわけではなかったのですが、相手は聞きづらい。自分が話すと相手が困惑したような表情をするものだから自然に無口になるようです(息子さんの話)。 もっと不幸な人がいるからと言って気休めにはならないのは承知ですが、とりあえずご質問に関して、「聞こえないほうが危険」「最初から聞こえない人は話せない」の2点を指摘して、回答と致します。
- ROKABAURA
- ベストアンサー率35% (513/1452)
「どっちも辛い」だろう。 人は自分が痛かったり苦しかったりしないと辛さや苦しさを本当には理解できない生き物だ。 目が見えない苦しみは目の見えない人にしか 耳の聞こえない苦しみは耳の聞こえない人にしか 鬱の苦しみは鬱の人にしか 年を経て死ぬ苦しみは年を経た者にしか わからない。 だからせめて少しでも経験したものは他の者に優しくしてあげよう。 なぜならその痛みが理解できるのだから。 絶望はまだあなたが進んでいないからそう感じるのだ。 そこにいるより前に進めば道は開ける。 貶しむなかれ悲しむなかれ 所詮この世界は無慈悲で理不尽でまだまだ未完のもの。 歯を食いしばってでも自分と周りを良くしていかないと あっという間にみんな不幸になっちゃう。 まだ手があるならその手を伸ばせ。 それは希望ではなく生命の義務だ。
- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
じじいです。 自分の意思を伝えられないことは、一番辛いはずです。 あなたの場合は、辛うじてでも自分の意思を相手に伝える事が出来る。 それだけでも、母よりもあなたはずーっと幸せです。 私の母は脳卒中で、四脚麻痺と言語を失いました。 つい最近亡くなってしまいましたが、長く辛い闘病生活でした(/_;)
- suienn
- ベストアンサー率32% (131/403)
suiennです。 このサイトを開いたら、この質問が飛び込んできました。 うん、うん。この辛さは、経験してみないとわからないことですよ。 健常者は外観だけを見て判断していると思いますよ。 この私も、周りからいい方なんだよなどと言われて、かえってストレスになることが多いです。 「何だよ。この辛さを理解できないから、そんなことを簡単に言うんだよな。なら自分もなってみろよ。なった人でないとわからないんだよ。この辛さは」と、心の中で憤慨です。親さえも理解しているとは言えないです。 この私も高度難聴です。補聴器をしても一対一でしか会話ができません。声が出る分まだいいですが・・・ あなたの場合は声もうまく出ないと言うことですから、この私の辛さなどと比べれば、もっとつらいかなと察しています。音が入らないとどうしても気持ちもうつうつしてきますよ。 聴力と言っても、千差万別です。みな違います。軽い人から重度の人までいます。 私も声が出ますが、重度難聴ですよ。補聴器を外せば外界の音がほとんど聞こえていません。 あなたの場合はもっと大変でしょうね。ならば、メモ用紙とかを持ち、筆談するのも一つの手です。 私もそれを併用していますよ。 確かにうまくしゃべれないと言うのはつらいものです。自分の言いたいことを十分に伝えられないもどかしさもあると思います。これもストレスの要因となるんですよね。 私も補聴器なしだと、話もしたくないです。大体相手の声が聞こえないですから。 この辛さは、健常者にはわからないでしょう。 健常者が当たり前と思っていることは、我々難聴者にとってはそうではないです。健常者はありがたみがわからないと思います。 健常者だって、今はよくても、いつ何時障害者になる可能性があるのです。その時に気づいてももう遅いと思います。 いかに自分が理解しているようなことを言ったかと、感じること請け合いです。 話せないのも、聞こえないのもどちらも同じようにつらいと思います。どっちがつらいと比べられません。 お互い頑張りましょうね。🐻🐻ちゃんより。 長々と、鬱積していた気持ちを書き綴りました。同じ立場なら分かり合えるかな。それでも完全に理解しているかなとは、私は思いません。人それぞれ考えが異なるからです。 難聴の状態も異なるもん。 感情を害したらごめんなさいね。いたずら🐻🐻