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今まで出来なかった奴が出来るわけがないっていう

風潮ってなんなの? 体育会系的な発想でしょうかね。 上から目線で潰す人多いですが・・・。 はやりいやがらせですかね?

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  • Glory_777
  • ベストアンサー率50% (105/208)
回答No.3

風潮はありますよね。昔からあると思います。 風潮と言うのは社会的な傾向という意味であってます。 風潮のほうは好きじゃないですが、自分が知っている人とか、 知り合いが同じ態度を取ったときは、とても素敵なことがおきます。 子供の頃に体験したので、それが良かったんですけど。 自分を決め付ける相手がいて、非常に悔しかったんですが、 私もひねくれ者でして、 あえてその人の言うとおりに頑張ってみたことがあります。 様は、反発する自分に対して、逆をやってみようと言う捻くれ根性ですね。 非常にマゾイ発想です。 何も期待していなかったんですが、 突然相手が身を乗り出してきて、親身になるので驚きました。 同じ人間とは思えない。 ドラマの様な変化。 私の家は貧乏でして、良く服装などで馬鹿にされていたんですよ。 自分の家に人を招いても、相手に悪いと思って、友人の家に遊びにいってました。 どうも、友人側は嫌がっていて、 「貧乏だから卑しい」 と思っていたのか、自分の大切なものを隠してから、私を招いていたんです。 何となく、そう思われているのは分かっていました。 どうですか? こういう関係と言うのは、あんまり幸せじゃないですよね。 それでも、強がって、気にしていないフリをしておりました。 あるとき、 ブランド物のスニーカーの話になりました。 相手の得意としているところですし、 興味の無いフリをしたいところでしたが、 あえてその話題に乗り、 「全然分からないんだけど教えて欲しい」 とお願いしたんです。 このとき、相手の態度がかわり、 一生懸命教えてくれて、そのあと、 「あるメーカーのある靴は安いので買えると思う。全然恥ずかしくない」 わたしは、このときの友人の変化が大切に思えたので、 無理をして、母に買ってもらいました。 たしかにうちでも買える金額でした。 そのときの友人とのシーンは何十年たっても覚えています。 それからその人は、貧乏とは何かを理解して、 一生懸命私のプライドを傷つけないように、心配してくれました。 どうも、大学進学の費用とかも心配してくれたようです。(それから何年もたっていますが) 貧乏な家の子供は、努力をしても、親が金持ちになるわけではありません。 ですので、「今まで出来なかった奴」、以上に可能性が無い、「出来るわけがない奴」 なんです。 人とはそれでも、現状を踏まえて、「貧しいので卑しい」と決め付けてしまいます。 これ以上に無い不当な扱いではあるのですが、 あえてそれを受け入れて、困っていると伝えただけで、 敵に見えていた人が、ずっと私の味方に変わったんですよ。 本当に素敵な思い出です。 しかし、私も用心深いですから、人が誰でもそうなのか心配になりました。 それでも、その思い出はとても嬉しいものでしたから、 もう一度体験したかったんです。 次は少し大人になって、車の話題です。 友人としてつきあっている何人かのグループがおりました。 彼らは経済的に恵まれているので、年相応に車に興味を持つようになり、 みながそれを話題にします。 突然わたしにはついていけない雲の上の様な話に思えました。 大変な疎外感であり、 車を持ってないのに、グループに参加するのは罪であると言う雰囲気までありました。 「ああ、これは経験があるなあ」 と思い出しまして、 何とか話題についていこうと、色々と聞いたんです。 しかし、靴のときほどうまくいきません。 それで諦めていたら、次が無いように思えたので、一生懸命考えました。 そのときは分からなかったんですけど、一年ほどたって、 免許を(相当無理をして)取りにいったんです。 そのときの友人たちの態度は、興味が無いように見えました。 次に、中古の車を買おうとして、金策を(相当無理をしてw)し、ある程度の 目処を立てたんです。 すると、いきなりみんなの態度がかわり、 グループで手分けして、必死に安いw車を探してくれたんです。 お店に交渉したりと、驚きました。 そのあとも、一生懸命気を使って、初心者向けに(安い方法で)皆が教えてくれます。 やっぱり、あのときと同じだ。と確信しました。 これらが示しているのは、 本気で何とかしたいと思っている証拠を相手が求めていると言うことです。 もし、最初の靴のときに、本当に買わなかったら、彼は友人を辞めていたと思います。 そして、貧乏な人は卑しいと言う哀しい考え方から抜け出せなかったでしょう。 彼は、「貧乏でも頑張っている人がいる」それを知ったことを感謝して、 嫌な人間に成らないで済んだと思い、わたしを大切にしてくれたんです。 車のときの友人のグループも同じです。 どんなに親身になっても、その場で話を合わせているだけで本気じゃない。 これが相手にも伝わるんですよね。 それがために、相手もつきあいたくない。 ところが私の心の中では、 「自分には無理なのに、不当な扱いをしている」 と、哀愁を帯びた”何か”が(音楽つきでw)自分を可哀想として慰めているんですよ。 この思い込みの向こうには、素敵なドラマがあると知っていなければ、 どういう自分になったのか・・・ ですから、疎外感や不当な押し付けと感じたときは、 「本当はそうではない」と、頑なに頭の中で押し付けるようにしています。 この先に素敵な体験が待っていると。 知恵がついたのは、相手が「私が本気である」と言う証拠を待っていることです。 本当は、相手も信じたいんです。 誰もが人間ですから、自分の人生の中に「素敵なこと」があってもいいと思っています。 現実に負けて、消えていく姿と言うのを身近に見たくないです。 だから忘れたいと思って、不幸な人を遠ざけるんです。 ところが、駄目だと思っていた人が、必死に努力をし、 努力だけではなく、知恵まで使い、逞しく前進したとします。 これを身近で見ると言うことは、人生の中でも小さな素敵なことに思えるのでしょう。 それを駄目にしたくないと言う気持ちが相手の中に働きます。 結局夢破れる姿を、こいつの中に見たくない。 誰もがこう感じるんですよ。 「自分が助けてやれる範囲にのぼってきてくれれば・・・」 ほとんどの人がこう考えています。 それを待ちきれないとイライラする。 例え他人であっても、現実に負ける姿を見たくないんです。 このイライラが別の捉え方をされる。 つまりは、疎外感や決め付けです。 主観と客観の違いですね。 友人たちは、実は誰もが心配しており、助言したくてしょうがなかった。 ただお金の話になりますし、本人が何とかしないといけません。 手助けできる範疇じゃなかったんですよ。 なにも出来ないので、彼らはそれに腹を立てており、 そのストレスが嫌だったので、私の顔を見たくなかったと言うわけです。 つまりは負い目ですね。 良心からでた負い目でも、本人にとっては辛いですから、 相手を遠ざけたいと思いますし、そんな心配をさせる相手に腹を立てますし、 それが分かってもらえないと、冷たくなります。 何かについて劣っている人というのは、こうしたものに取り囲まれてしまい、 自分だけが阻害されていると感じるわけです。 努力をしたけど、無駄だったと言う人は、 相手が助けられそうな範囲を測っていないんです。 あそこまで自力で行けば、恐らく態度が変わる。 これを計算できないと、無駄な努力になります。 疎外感のカーテンの先にある、素敵なシーンは、この計算をしないと偶然では得られません。 人によっては助けられる範囲が狭い(その人の限界)ですから、 ここに入るのは大変です。 人によっては助けられる範囲が広い人がいます。 じつはこうした人は、手を広げて待っています。 ところが、助けられたい人は哀しくて泣いておりますし、腹を立てて人を恨んでいます。 手を広げて待っている人は、呆れてしまい、 「そんな調子では、いつまでたっても変わらないぞ。後で困るにきまっている」 「駄目な奴は何をやっても駄目だ」 と言います。 これは待ち疲れているからですよ。 誰もが、自分が助けられる範囲に誰かがきて、 「それだけがあれば、完成します」 と言ってもらうのを夢見ています。 誰もが感謝されて、必要と言われたいのです。 でしたら発想を変えて、 本当に感謝するシーンを自ら困って作り上げて、 人に助けを求めて、本当に助かるように計算するのも一つのサービスですよね。 助けたのに、救われなかったら、相手も傷つきますから、不和の元になります。 必ず、相手が助けられるように計算をして、 本当に困った状態で、助けを求める。 このとき相手が優越感に浸っても、心のそこでは、有り難いと思っています。 つまり喜んでいるんですよ。 こういうサービスをするところまで気がつけば、 疎外感と劣等感の向こうにある、素敵なドラマをいつも感じることが出来ます。 例えば、相手が応えられる質問をしてあげるのもサービスです。 ですが本当に困っていなければ、感謝の気持ちはわきません。 考えようによっては、何かで困ったとき、 その人にサービスできるチャンスになりますね。 助けてもらった後、相手に大切にされることが良くあります。 人とは不思議ですね。 以上、ご参考に成れば。

回答No.2

そうなんですか。 今そんな声が多いんですか。 私の周りはそんなことないんですけどもね。 発言する人の人生経験も大いに関係していると思います。 頑張ってできなかった過去があるんだ、 振り切って前を向いていくことができないくらい辛かったから そんなひねくれた言い方になるんだろうなあって あなたが相手を思いやって聞いてあげてください。

  • kakibesuto
  • ベストアンサー率19% (248/1301)
回答No.1

現実を言っているんです。 個人の能力なのでどんなにどんなに努力しても出来はしない。 例え出来たとしても完璧ではなかったり、一時的なものだったり、それ以上は伸びない。

sousoumoutoku
質問者

お礼

現実ではないでしょう。 どうしてもその時は病気とか色々周りにはみえない形での苦労があります。

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