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障害者のサラブレットに生まれて
現在21になる大学生です。 私の家族は、祖父が解離性障害、父が重度の鬱病、母が統合失調症を患っています。祖母は私が生まれたときから脳梗塞による痴呆状態・半身麻痺で、後に植物状態となりました。 私が生まれてからも家族の病状は悪化の一途を辿り続け、私を除く全員が入退院を繰り返して父も職を失いましたが、この頃の、まだ家族が揃って我が家で暮らすことができていた日々が、私にとって唯一の、そして最も幸福な思い出となっています。 私が幼稚園に通い出してからは楽しく通園していましたが、小学校に上がってから友人の健全な家庭を比べるにつけて我が家の異常性を一層認識するようになり、苦悩も強くなっていった私は、学校へ通うことができなくなりました。 父は早速私を児童専門の精神科に連れて行き、そこの医者と家庭環境のことも含めて相談したようですが、家庭環境のストレスが主要な原因と考えられるため、その場合私の症状の回復は絶望的で、このままだと将来的な社会復帰どころか中学への進学も厳しいと言われたそうです。 診断結果は父と同じ鬱病でした。 この診断以降、本当なら通院を継続しなければならなかったのですが、私を医者に連れて行くべき親の症状が悪化して病院に行けなくなり、結果的に通院はそれきりとなって私の治療は放置されたまま打ち切られました。 今でも覚えていることがあります。精神科の待合室で、一人の女の子が明らかに挙動不審な様子だったのを見て、あの子は頭の病気じゃないかと思ったのですが、その時はっと気がついて、ここに連れてこられたということは、周りからすれば自分も同じように見られているのかと考え内心衝撃を受けました。 もしかしたら自分は生まれたときから欠陥を持っていたのに勝手に正常だと思い込んでいただけかもしれない。 そもそも自分がまともかどうかを、一体どうやって自分が確かめることができるのでしょうか? 狂った人間は自分の狂いを認識できないからこそ狂っているのであれば、まともな人間のまともである根拠は、自分のまともさを認識できないからこそまともであると言えるのでしょうか。 私は自分の精神的な不安定さについて家族の遺伝的傾向がどこまで影響しているのかという問題を考えねばなりません。遺伝の問題にさかのぼればそれはもはや私個人の努力で克服できる問題ではなく、根本的な自己解決は不可能になります。そもそもまともな人間は自分がまともであるかどうかを疑うでしょうか? つまりこの問いの設定自体が私の精神が既にまとものものではないことを示しているのではないかと思えるのです。 私の不登校は中学を卒業するまで続きました。 もしも父親が病気にならず仕事を続けられていたら、祖父や祖母が健康でいられたら、母が健常な精神をもって私に接してくれたのなら、しかし私の力ではどうしようもない問題でした。幼少期における環境が子供の発育に与える影響は大きいとされています。その場合常人の想像を絶する私の環境は私を最悪の人間へと育てることになります。 環境が人間を作るのだとしたら、個人は自分に対してどこまでの責任を負えばいいのか、私は努力によって環境を克服することで、環境因に対する自由意志の優位さを証明できると考えました。そのことが、私の人間性は環境ではなく自分の力で作ることができるという決意へと導いたのです。 中学を卒業して、学力的にそこしか入れるところがなかったのですが、夜間の定時制高校へと進学した私は不登校を脱しました。 高校に進学してからは、祖父が錯乱の果てに死亡し、続いて祖母も他界、積み重なった医療費がまかないきれず生まれ育った家と土地を売却するはめになって追い出され、父親が自殺未遂を犯しました。一家心中も検討され、不幸の末路がどんな結末を描くのかを私は目の当たりにしました。 しかし家の売却金を使えば経済的には大学に行くことが可能となりました。そのため高校を皆勤で卒業した私は大学進学を決意し、一年大手の予備校に通い、首席で卒業して早稲田大学に入学しました。卒業まで継続する返還不要の奨学金も獲得しました。 大学合格によって、環境に対する自由意志の勝利を、つまりは私を支配する運命に対して私という人間が勝利を収めたことを証明したつもりでした。今まで奇異と軽蔑の眼差しを私と家族に向けた人間に、そして自分にも、実は私こそが誰よりもまともな理性と精神を持った人間だと宣言したかったのです。 自由意志によって自分の運命を支配下においた私は、自分の能力が無限の可能性に溢れていることを信じ、それに見合う賞賛を得て人生が祝福されることを期待しました。しかし私の不登校時代から続く自己肯定感の不在は大学入学を果たしても消えることなく、それどころかかつてない力を込めて私に襲いかかってきたのです。 環境の相違というものがこれほどのものだとは、私の想像を超えていました。 大学には私と似た経歴を持つ人間など一人もおらず、ほとんどの人が経済的に安定していて、親の社会的地位も高い場合が多く、少なくとも自分の生活の安定さや社会的立場が(保証などあるわけがないのに)保証されていると信じて疑わず、家族や家がいつ崩れるかもわからない恐怖に怯えている人間など私を除いて一人もいませんでした。ましてや両親が障害者などという人間も。 即座に、環境だけでなく、積み上げてきた人生そのものに対する根本的な劣等を感じました。 友人を作ろうと思っても、彼らは決して私を理解することはできないだろうと、諦めが先走り、結局は自分から周りを遠ざけていったのです。 そのことに対する自己嫌悪、後悔、充実した生活を送り、友人に囲まれた彼らを眺める日々、大学に全てを賭け、進学してその中にいながら手に入れた機会を生かせず無為に月日を過ごした自分への軽蔑、そしてこの状態を作り出したのが紛れもなく私のせいなのだという自己否定の思い。 現在に至るまで不登校は復活せず大学への通学は続けており、毎日一人図書館で本を読み続け、そのどこかに自分が救われるヒントがありはしないかと探し続けて三年が経ちました。そして今の私は自殺願望が限界に来ています。 私は、この精神的な不安定さは環境を原因としているのではなく、もともとの私の遺伝的な問題だったのではないかという疑いを一層深めました。もとから精神に障害を持っていたからこそ、私は常に苦悩し続けているのだという結論は、今まで問い続けてきた自分がまともか障害者かというアイデンティティに関わる問題に決着をつけ、私は最初から障害者だったという回答は、絶望と同時に長い戦いが終わったという安堵を与えたのです。 私はまともでない自分を認めることはできません。障害者である私の人生を肯定することは、私の自由意志による戦いが全て無意味だったという結論を導きます。それは私の人生全てを否定することになります。 私の人生を肯定するためには、障害者である自分を殺さなければならないと思うようになりました。自殺は絶望ではなく論理によって求められるのです。 私は未来を基軸にした幸福な過去を求めています。その理由は、幸福な未来は独立して存在せず、幸福な現在の延長からしか得られません。そして現在もまた過去の延長である以上私の現在は常に不幸であることになります。 私の自己肯定感の不在もこの考え方に由来しているのでしょう。 統合失調症は現在の自己に対して否定的な態度を取ることに特徴があります。現状否定と未来希求への強い傾向は母の遺伝子が無意識にそう働きかけているのでしょうか。 私の思考がいったいどこまで病的なものを離れて私自身のものであるのかが不明です。遺伝的にも病的因子があり、環境的にも最悪な場で育った私は、一体どこに私自身の善良性を求めることができるでしょう。善良性とは環境から与えられるものでしょうか、それとも生得のものでしょうか。自分の心の内の善良生を認識するというのは非常に困難の伴う作業で、そんなものを自覚し認識できる人間が一体この世にいるのか、しかしそれを自覚せずしてなぜ生きていくことが出来るのか私には理解できません。 なぜ皆さんは自分のまともさを信じ生を肯定することができるのですか? 自分がまともでなく善良性も欠いているとなれば、生きることはできないのではないでしょうか? 客観的に見て今の私はまともか、障害者か。 また現在の思考状態に病的傾向は認められるか。 認められるとすればその病名は何か。 これ全て私が障害者であればそれが答えになるのです。複雑な問いに対する最もシンプルな答えです。 皆さんは私をまともだと思われるでしょうか。 もし回答者のなかに医者や心理学者などの専門家がいらっしゃれば、私を分析し、回答を頂ければと思います。 かつて父が自ら生を絶とうとしたとき、私がそれを止めました。しかし今では、そんな父の姿は私の未来を写していたのではないかと思えるのです。私は幼少から父の姿を見て父のようにはなるまいと誓いながら、実は私の人生はそんな父の後を一歩ずつ追っていたに過ぎなかったのではないでしょうか。 自分という人間の可能性をなんの障害も受けることなく全うできれば、私は一体どうなっていたのか。 最後に一つ書かせて頂ければ、私の夢は優しい人間になることでした。他人の幸福を喜び、私が先頭にたって世の中の不幸と戦っていけるような、そんな人間になることが夢でした。そのために努力も重ねたつもりでしたが、もともと私には不可能なことだったのでしょう。 全ての原因は、決して取り戻せない過去を取り戻せると必死になって、新たに未来を作りだそうとしなかった私の無能と愚かさが招いたことです。
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- pg8mw
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あなたの挫折は、あなたの環境因が、その性質を以って、あなた自身を救済したことです。その運命の支配から逃れる努力を尽くし果たした事を自分自身に周囲に、認めさせる筈だったのに、環境因があなたに追いつき、あなたより先に、あなたを救済したことです。あなたはこれを否認しています。これは、前回の回答にも書いてあります。あなたの努力はこれを認めることに、費やして下さい。 あなたは平凡な常人なので、余程障害が恐ろしらしい。それは人類発生以来ある人の姿のひとつに過ぎないのに、あなたはそれを不幸と名付けている。あなたには、障害=不幸という図式があって、今自分が幸福 でないのなら不幸だと、不幸はつまり障害だという短絡さにあるんです。それについては、あなたの年齢に見合いの素直な考え方だと言えますが。ただ短絡的であるものを、こうまで回りくどく丁寧に保護されるとね、容赦無くいきたくなる。あなたの現実否認があなたを停滞させているのです。還流が無ければ腐ります。それは、思考の病なんです。 お大事に。
- pg8mw
- ベストアンサー率23% (55/230)
事実というものは、人を逃がしません。容赦無く鎌を振り下ろしてくるんです。にも関わらず、あなたはまだ逃げれると思っている。あなたは挫折したんですよ。それを認めることを回避しているだけです。 環境因に対する自由意思の優位さ、を証明したいと願立てしたあなたは、その否定したい環境が自由意思を救済したことを知っしまったんですよ。大学に進学すれば、あなたと違う生育歴を持った方々がいて、あなたに劣等感を抱かせたとありますが、これは真意ですかね。あなたはその方々と変わりなく、環境からの後押しを受けてそこにいる身分ではありませんか。あなたの大学進学を可能にさせたのは、あなたが打ち勝ちたかった環境因の徹底した不幸が大きな要素なのでしょう。その環境因がある限界を超えた時、全ての要素があなたを救済する方向に傾いた。あなたはそれを自由意思の勝利と名付けてますが、あなた程賢い方が勘違いなさるはずが無い。だから、これは作為です。あなたはこの事実を敢えて無視している。しかし、敗北感からは逃げれない。それを他者への劣等感として補修しているに過ぎません。 そんな、あなたに障害者であることは、甘く甘美な誘惑であり、救いです。自分を救済したそのものに自身もなりたがっているんです。でも、なれませんね。あなたは否認を続ける人だから。優しい人には、なれますよ。負けた人は、必ず優しい。
- ginga3104
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どう言う事?至って健常者でしょ? 遺伝子や環境で人格が決定されるのなら、この世は金太郎飴のような人で溢れている。 これだけしっかりした文章が書けて、努力も出来て、将来を嘱望されるような大学に行って、何を悩む必要が有るのだろう? あなたは、精神的な疾患を抱えた方々を家族と言う形で見守ってきて、苦しみを間近で感じた筈。そういった方々へのサポートや理解を深める活動をするのが順当だと思う。ただ、普通の暮らしを経験してこられなかった気持ちが強い今は、難しいのもいたしかたない。 せっかく、いろんな事が出来るポジションに居るのだから、アルバイトなどもしながら世の中を見てこられたら良い。出来たら世界も見てこられたら良い。 もう、考えるのはいったんやめて、体を使って世の中に参加しよう! そうした活動を通して、ご自分の居心地の良い場所を作れる力を身につけよう!
お礼
回答ありがとうございます。 >>これだけしっかりした文章が書けて、努力も出来て、将来を嘱望されるような大学に行って、何を悩む必要が有るのだろう? 仰られている通り、客観的に見れば、特に私の親の立場から見れば、今まで不登校だった息子がそれを克服してなおかつ大学にまで合格した。その事実だけでこれ以上望みようがない幸福を私たちは得たことになります。にもかかわらず、その当事者である私は、それだけの努力を重ねて今の地位を得たにもかかわらず、そのことに関して自己肯定感が満たされることも、満足感を得ることも塵一つもありませんでした。 それが一体どうしてなのかというのが私を最も苦しめた悩みなのです。理由が見当たらないんです。本当なら私は今幸福でなければおかしいのです。なのに幸福ではない。努力を怠ったのか?いや、私ほど努力した人間はいない。これ以上の努力など出来るわけがない。ではなぜ幸福ではないのか。 食欲や睡眠欲といった基礎的な欲求が意識せずとも体の内側から沸き起こるように、苦悩が内側から沸き起こってくるのを私は止めたいのです。止めるために必死でその理由を考え続け、いろいろな考察を重ねてきました。その結果得られた結論が、苦悩は環境ではなく私自身に起因するという単純明快な結論なのです。それがつまりは私を障害者と思わせている結論なのです。 なにも好きこのんで自分を障害者などと思いたいわけではありません。ですが健常者なら私はなぜこれほど悩んでいるのでしょうか?私の苦悩の度合いは文章では説明できませんが、継続の度合い、力強さの点で病的なレベルだと思います。それなのに健常者のわけがないという思いがあります。 私が考えることをいったんやめたとしても、後に残るのは苦悩だけなのです。
- heisenberg
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>>◇大学には私と似た経歴を持つ人間など一人もおらず、ほとんどの人が 経済的に安定していて、親の社会的地位も高い場合が多く、少なくとも 自分の生活の安定さや社会的立場が(保証などあるわけがないのに) 保証されていると信じて疑わず、家族や家がいつ崩れるかもわからない 恐怖に怯えている人間など私を除いて一人もいませんでした 明日が保証されている人間なんて、何処にもいませんよ。 そのこと、つまり、保証されていないということを意識していないか、意識しながら、みんな生きているのです。 あなた自身、「保証など、あるわけがない」と書いていますね? それ、正確な認識です。 みんな、人生を、「綱渡り」で生きているのです。 きょうを懸命に生きることです。
- inochi_bf
- ベストアンサー率7% (10/127)
まず「自分」が何者なのかを正しく理解しましょう。 その次のステップとして、何のために生かされ、何をすべきなのかが見えてくるはずです。
なんか・・・考えて考えて考えていたら ふかーーーーいところまで落ちちゃったのかな?? 人と関わらないようにしているからこそ いっぱい考えちゃうのかな?? 私も、あなたと同じくサラブレッドです。 でも、とっても幸せです。 私からふたつだけ、それは違うんじゃないかな?と 思った事を書きますね。 >私は未来を基軸にした幸福な過去を求めています。その理由は、幸福な未来は独立して存在せず、幸福な現在の延長からしか得られません。そして現在もまた過去の延長である以上私の現在は常に不幸であることになります。 これは、間違っていると思います。 私は何度も『死にたい』と思った事があります。 ですが、もしかしたらいつか幸せになれるかも。 いや、あの時死んでいればよかったと思うかも。 なんて、気持ちが揺れながらも生きてきました。 で、今、幸せです。とても。 申し訳ない位??幸せです。 あなたも、いつか生きててよかったーって思うかもしれませんよ? 私の人生で言えば幸福な未来は独立して存在しています。 というよりも、不幸せだった過去すら肯定できる程 この道を歩んで来たからこそ手に入れる事ができた幸せだと思っています。 それからもうひとつ。 周囲のいわゆる『普通の家庭』で育ったひとに劣等感を抱いていますね。 きっと、苦労して生きてきたからこそでもあると思うのですが でも、人の価値ってそんなことで決まるんですか? 劣等感というのは自分自身の中にある差別意識の現れだと思います。 生まれた環境、親、貧富の差、容姿、学歴、人種 いろんな差別があります。でも、そんなことは人の優劣に無関係です。 親が障碍者?遺伝的傾向?だから何? 障碍者だと人より劣っているの?本当に? そこに人の優劣があると思っているのは、あなた自身じゃないでしょうか? だからこそ、いっぱい勉強して優秀な大学に行き 自分こそが優れた人間だと証明したかったのでしょう? あなたは立派な人ですよ。たくさん努力をしたでしょう。 奇異と軽蔑の目にさらされたとありますが その目が正しいのではないですよ。 その目は、その人の愚かさそのものです。 祖母が障碍者でしたが その祖母のもと育った母には劣等感と差別意識が強くありましたね。 最後に、、、 考え過ぎて、頭でっかちになってませんか? 感じる事を忘れてませんか? 私には、あなたのおっしゃっている事は少し難しくて・・・ (でも、だからこそ素晴らしいとも思うんですよ) 生きていくのは、辛い事の方が多いかもしれませんね。 それにね、まともな人ってあんまりいないと思います。 みんなどこかが飛び抜けてたり、欠けてたり・・・ それが、日常生活に支障をきたすようであれば 病気となる訳ですが、世の中『病気』まではギリギリいかない人って たくさんいると思うんですよね。 あなたが、自分は正常なのか??と不安に思う気持ちもわからなくないです。 私自身も、気質を受け継いでいるので『病気』となる傾向はかなり高いと思います。 でも、しょうがなくないですか?? 親に似て背が高いとか、ドジだとか、なんかそういう受け止め方じゃだめなんですか?? あなたのように考えて生きていく事になにかメリットがあるんですか? とにかく、他の方も書いているように 私も、ボランティアサークルに参加するのをお勧めします。 沢山の人と関わってみてください。 人と関わらないと自己受容できないです。 自己肯定する必要はありません。だって、肯定できない部分があるのは当然ですから。 それを肯定しようなんてのが間違い。 あなたは賢いからいろんなことがわかってると思います。 まださ、してないことがいっぱいあるでしょう? そう思いません?死ぬには早くないですか?
お礼
回答ありがとうございます。 私は今抱えている生きづらさを何とか克服できればと思っています。そのために今まで努力も重ねてきました。ですがいくら努力を重ねてもそれはいっこうに改善されず、むしろ強まっている気配すらあります。 >>親に似て背が高いとか、ドジだとか、なんかそういう受け止め方じゃだめなんですか?? 人よりも生きづらさを感じているという時点で、誰に比べてというわけでもなく私は生きていくのに不適合な劣等者なのだと思ってしまいます。受け止め方や心構えで気持ちが楽になるのならいいのですが、現に世の中を生きていくことに対して生きづらさを感じているという現実的な問題が、受け止め方を軽くするという風にはさせてくれません。 私のような考え方にメリットがあるかどうかではなく、好き好んで今の考え方をしているわけではないのです。私でもコントロールできないなにかがこのように考えさせようとしている感覚があります。私はその正体を必死になって掴もうとしているのですが、その部分が実は「遺伝的傾向」というものなのではないかと感じるようになりました。
- shorinji36
- ベストアンサー率17% (406/2382)
次元が違う。哲学とかそういう分野だ。
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
>全ての原因は、決して取り戻せない過去を取り戻せると必死になって、新たに未来を作りだそうとしなかった私の無能と愚かさが招いたことです。 私も自分の境遇に翻弄され自爆した内の一人です。 早くに気付けて良かった。 じゃないと私のように無理をし過ぎて、身体障害者になるところでしたよ。 あなたは賢いのだから精神病理を学んでみましょう。 殆どの精神疾患が脳の機能障害であることが分かります。 脳機能が誤作動を起こしていると考えた場合、どうすれば機能が回復するか。 もしくは遺伝的な要素により元々機能が備わっていなかったと考えた場合、不足を何で補うか。 科学的に考えてみると、今までとは違った景色で世界が見えてくると思いますよ。
- kokonoi
- ベストアンサー率44% (4/9)
旦那か? と、思うぐらい同じような思考回路をした人間がもう1人いた(笑) で、質問者様はもう答えを自ら見出だせてるようですが、自殺願望のせいからか諦めてません? 全ての原因がわかっているのであれば、解決する方法もわかってるのでは? だって質問者様ほど考えられる人間だもの。 過去はどう足掻いたって変えられません。 旦那も必死でしたよ。なーんにも変わりはしませんでしたけどね。 旦那は躁鬱病と診断されていますが、その原因は「過去」です。 いつまでも過去に縛られていて、考え方まで後ろ向きになってました。 今ようやく未来へ進む決心がついた所で、その未来へ進む一歩を踏み出す為に エネルギーをチャージ中(引き込もってゲーム)ですよ(笑) それだけ未来へ進むのって膨大なエネルギーが必要なんだと思います。 私からしたら質問者様は病的なほど頭が回る人。であって、その思考回路を病気だとは思いません。病的なだけで(笑) そんな病的思考回路な旦那が行った、自殺願望を和らげる方法が「未練をつくる」事でした。 そしてその未練が「私」らしいです。 「自分が死んだら○○が~…」と思えるようなものを確保する事で自殺する事を抑えていたようです。 はっきり言って迷惑ですけどね!笑 それでもまあ、私も馬鹿で自分が求められているという幸せと、自分にはない不幸具合に惹かれたんだか巻き込まれたんだかで 荒波ばかりの人生を楽しんでいます(笑) 旦那は私がこんな人生を楽しんでいるかどうかは知りませんけどね~。 それと、躁鬱病の本で遺伝に関する事が書いてあったのですが、ほとんど遺伝はしないそうですよ。 質問者様、もう少し肩の力を抜いて物事を考えられるようになると良いね。 あまり自分を追い詰めないであげてくださいな。
お礼
回答ありがとうございます。 >>それと、躁鬱病の本で遺伝に関する事が書いてあったのですが、ほとんど遺伝はしないそうですよ。 その場合の遺伝というのは、発病する率が100%か0%という具合でしょうか? どこからが精神病で、どこからが健常者かという、精神病と健常者の間に明確なラインはないと思うので、傾向があるかなしか、というような判定方がされるかと思います。その場合、私には苦悩しやすいとか自己肯定感が少ないというような傾向が生まれついてあるのかどうかという問題に答えを出したいと願っています。 私も気楽に人生を過ごせるのならそう過ごしたいものです。ですが、それが努力しても出来ないということ自体が、私の内部に存在する何らかの「傾向」がもたらしている症状なのかどうか、それを知りたいと思っています。
- HIROEVO
- ベストアンサー率50% (142/281)
結局、何が仰りたいのですか・・?。 そんなに、ご自身を「理論武装」の分厚い鎧で固めて。 何か、幸せが有りましたか?。 私には、生まれつきの身体的障害が有ります。 その事が原因で、学校では、殴る蹴るの暴行。 「妖怪」・「化け物」・「火星人」などの、言葉の暴力。 中学卒業までの、様々な暴力行為等で精神のバランスを崩し。 鬱病・PTDD・適応障害・重度の不眠症、摂食障害・社会不安障害を発症しました。 家庭内暴力もしましたし、自殺未遂は数回、リストカットが止められません。 私には、将来の夢が有りましたし、職業が有りました。 でも、生まれつき定められた「宿命」で、沢山の事や夢を諦めてきました。 それが、何か?。 そんな事を言われるなら、健常なその目を、私に下さい。 自殺願望が限界に達しているなら、健常なその身体を、私に下さい。 疾患的・障害的な因子は、確かに遺伝する確率が普通の方より高いです。 けれども、精神的な疾患因子は、気質が遺伝する可能性が有るだけです。 その気質が、環境因子によって発病させてしまうのです。 貴方は、ご自分の事を繰り返し「障害者」と言っていますが・・。 鬱病も統合失調症でも、完治するのは難しいですが・・。 社会環境に、「適合」して行く事は可能です。 ましてや、ご自分の努力の結果によって。 早稲田大学で学んでおられるではないですか?。 鬱病や統合失調症で苦しんでおられる人達には、こんな事は出来ません。 ただ単に、ご自分が「障害者」だと思い込んでいるだけです。 きちんと、専門の認定医師の下で「精神障害者」の認定をされたのですか?。 勝手に、気軽に、自分は「障害者」なんだと言う言葉を口にしないで下さい。 読んでいて、非常に不愉快になりました。ふざけるなと、想いました。 私達、「真の障害者」の事を上から目線で語っているのが許せません。 結局、貴方は、全ての事を「家庭環境」に擦り付けて逃げているだけです。 ご両親が、精神的な疾患をお持ちで有るのは。 環境因子」が、大きく影響しているだけです。 >>祖父が解離性障害、父が重度の鬱病、母が統合失調症を患っています。 祖母は私が生まれたときから脳梗塞による痴呆状態・半身麻痺で、 後に植物状態となりました。 詳しい経緯は、私には解りませんが・・。 ご自分の両親が、こんな精神的・身体的疾患を抱えておられるなら。 貴方のご両親が、精神のバランスを崩されるのも、極、普通に考えられます。 ご両親が、鬱病で統合失調症である事実・・。 何が、悪いのですか?。 人間として産まれて来たならば、誰だって、発病しうる病気では?。 貴方のご家族だけが、特別ではないと想います。 この世に誕生した瞬間に、自分の親に殺されたり捨てられる命も有ります。 「家庭環境」に「被害妄想」を持つのにも、程が有ります。 私は、重複障害者です。出来ない事も、涙を流して諦めた夢も有ります。 でも私は、幼い頃、両親を恨みに恨んで、家庭内暴力を繰り返しはしましたが。 私は、幸せな人間だと想っていますし、自分の今までの人生の道程も。 これから、母親(父は他界)が死んでも、逞しく生きて行く自分への。 一人で生きていく「負の修行」だったと想っていますが。 お父様の様に、弱い人間になりたくない・・。 それでは、ご自分で人生を切り開いていく努力をすれば良いのでは?。 将来、ご結婚された時にこそ、ご自分と同じ苦しみを家族に背負わせない。 その覚悟を胸に、真っ直ぐに歩いて「実績」を積んで行けば良いのでは?。 過去の、「家庭環境」の亡霊に取り憑かれているのもはなはだしいです。 どうして、ご自分で幸せになろうとせず。 いつまで、そうやって生きていくつもりなのでしょう。 全部、ご自分の努力なしで、全ての事を「家庭環境」になすり付けて。 私から言わせて頂くなら、「甘えるのもいい加減にしろ」です。 貴方は、障害者では有りません。 障害者だと思い込み、そう生きて来ただけです。 生まれつき視力の無い方には、「色彩」が解りません。親の顔も見る事が出来ません。 うまれつき聴力が無い方には、「音楽」が解りません。親の声を聞く事が出来ません。 また、私の様に、いくつもの障害を重ね持って産まれて来た者にとって。 自分の夢や将来の希望を、諦めざる負えない辛さが解りますか?。 少なくとも、貴方は、ご自分の努力で夢や希望を叶える力が有ります。 こんな甘えた事を言うのなら、その身体全てを、私に下さい。
お礼
当人がそれで苦しんでいるのに、真の障害者であるかなしかに何の価値があるのですか。 健常者だと思い込むことでそれで幸せになれるのなら私は躊躇せず健常者だと思いましょう。それで私の現状がなにも変わらないと知っているからこそ苦悩しているのです。 私には家系的に精神疾患を多発する血が流れています。私が小学生のときに鬱病を発症したのは100%環境因だけが原因だったと言い切れますか。そこに遺伝因の影響がなかったという保証が欲しいのです。でなければ私には一生に渡ってそれが再発する危険性を孕んでいます。それどころか大学に合格して環境が変わったにもかかわらず私の自己肯定感の不在が継続しかつ威力を増しているのはなぜかと考えた場合、現時点においてその因子がすでに影響を及ぼしていると考えて矛盾があるでしょうか、またそれを否定する根拠があるでしょうか。でなければなぜ私は死ぬほどの努力を続けてもなお幸福や満足感が得られないのでしょうか。 回答者様からは私は甘えた人間にうつるのでしょうか。それは誤解です。私が生まれ育った環境は甘えなどというものが許されるものではありませんでした。常人の想像を絶する環境のなかで生まれ育ち、常人の想像を絶する努力で私は自分を包み込む環境という運命を自らの手で作り替えました。私は環境に負ける自分を許したことは一度もありません。 なお、過去の家庭環境の亡霊と言われますが、「過去」でも「亡霊」でもありません。現在進行形で私を包み込んでいます。むしろ、それを排除することで私が幸福になれるのなら私はそれをどのような手段を使ってでも排除します。 私の苦しみは環境という外部因ではないのです。自分でも説明のつかない、理由もわからない苦しみが、食べるとか睡眠欲とかいう基礎的な生理的欲求として内面からわき出てくるのを止めたいのです。その理由を探ろうとして内面を考察し続けた結果が無意味に終わったとは思いませんが、ここまで考えて結論がでないのは、やはり私自身に問題がある苦しみだと考えざるを得ません。それが現時点における私の結論です。 どうか精神論ではなく、私の苦しみについての考察を仰ってください。それを切に希望します。
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お礼
素晴らしい回答をして頂いたことに心から感謝致します。 その上でなおご指摘をして頂けると助かります。 一体、私はなにに挫折したのでしょうか? そして挫折した理由はなんだとお考えになりますか? 理由に関して言えば、私の努力不足でしょうか。しかし私は最大限の努力をしてきたつもりです。それでもなおこれ以上の努力が必要だったのでしょうか。 また、次の点が一番聞きたいことですが、挫折した私は、この後どうやって生きていけば良いとお考えになりますか? 是非回答をお待ちしております。よろしくお願い致します。