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人が信用できないという人の相談を受けてるのですが
人が信用できないという人の相談を受けてるのですが私もわからないので質問します。性善説で成り立ってるこの日本で人が信用できない、だから確かめたりするとかを考えることは間違いですか?間違いなら素直に人を信用した方がよいでしょうが、仕事にて上司にあたる人について石橋をたたくように質問したりその他、確かめようとしたりしてしまっているとのことです。
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- hue2011
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あなた、56歳になったら、この手の話に説得力のあるお答えができないわけないと思いますけど。 さて、塞翁という有名なおじいさんがいますね。 馬が北方角に逃げていきました。周囲の人は気の毒がった。馬といえばひと財産なので。 じいさんは「これが幸福のもとかもしれないね」 しばらくたったあとで、逃げ出した馬が北方の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。ご近所が、すごい運だ、とさわいだら 「災いのもとかもしれないよ。」 老人の息子がその馬から落ちて骨折してしまいました。びっこをひくようになった。気の毒にと周囲がなぐさめようとしました。 「これは幸福になるかもしれないよ。」 そして、戦争が起こりました。若者はすべて徴兵され戦場に向かい、ほとんど戦死してしまいました。 翁の息子は障害者なので徴兵は受けず、怪我もせずに長生きをいたしました。 これが人生万事塞翁が馬、という話です。ご存じのとおり。 運の話題を言っていると思いますか。信頼の話をしているのです。 10件のお客と会ってきたという営業がいて、調べたら5件にしか行っていなかった。 うそつきじゃないかという陰口に部長はまあ待て、成果次第だと言った。 この男は3件の受注を成立させた。他の営業社員は、絨毯爆撃的営業を30件に対してやって、全部玉砕でゼロだった。 あいつに奨励賞をやろうと言う課長が出たが、まあ待て、売った後も商売だととめた。 1件からクレームが入った。販売した男は慌ててクレームの存在を社に隠そうとしたため客から社長名指しの抗議が出た。 社長は何をしているのだと始末書を要求した。 始末書は部長が書き、それを当の営業担当者に見せた。そして、クレーム対応に別の人間を連れていくと言った。 クレーム対応に別の担当者をつれていった。それはほとんど新人で業務自体なにもわからない。 そもそも営業担当がどのようなトークで説明をしたかもわからない。それをほとんどど素人の新人がヒアリングを繰り返してまとめるように指示した。 その現場には部長が立ち会っていて、お客と感情的な問題をひきおこしたりしないかを見ていた。 新人は聞きながら客を悪者だと思い強い口調になったりしたが、目の前で叱りながら制御した。 まとめたレポートを別の日にお持ちし、会社側からの提案を提示し、納得をいただいた。 新人が、この会社はパワハラだブラックだと言い始めた。教えもしないで客先に連れていき怒鳴られた。 おれの人権はどうなる、と騒いだ。 ・・・ こんな風に会社というのはうごいていませんか。 いまの、営業から始まる動きで、誰が信頼できて誰が信頼できませんか。 そもそも信頼できる人間っているのですか。信頼できない人間もいるのですか。 信頼というのは人間関係上の用語ですから、絶対的存在として「信頼できる人間」なんていないのと違いますか。 その人と自分との関係上発生するのが信頼関係です。 部長と売った営業、 部長と売れなかった営業、 売った営業と売れなかった営業、 部長と課長、 部長と社長、 社長とお客、 部長と新人社員 新人社員とお客 新人社員と社長 いろいろな人間関係の線があります。この中で信頼できるのはだれでしょう、というのが無意味であることがおわかりでしょうか。 それと、すべての立場の人間は役割を演じているのです。 富樫をやる人間が悪者でもなければ、梅王丸をする役者が善人だと言うわけでもなければ、勘平に撃たれる猪の中に入っているものがケダモノというわけでもないでしょう。 話をまた変えます。いよいよ本題です。 私、品質の仕事をしているときに出会う、嫌いな言葉があります。品質報告書を説明するときに 「現場のメンバーは真面目なものばかりであり、当社は性善説に立っていますから彼らを信頼します」 その場でバカか、と怒鳴りたくなる。 品質報告書は品質を観測した上で作成されるべきものです。人物評価書ではありません。 この会社に対し、仕事をお願いしているのであって、品質を確保して納品されればそれでいいのです。 その製品を吉永小百合がつくろうが和田アキ子が作ろうが、菅井きんが作ろうが、前田敦子がつくろうがどうでもいいのです。 どのようにテストが行われ、不具合をどの程度発見し、対処を行い、観測として落ち着いている、という報告以外いらないのです。 大体、不具合報告が極めて少ない場合にこの言い訳がでてきます。 真面目にやったのだから、結局不具合がそんなに出なかった、だからものはいいのだ、と言いたいのでしょう。 そもそも性善説にたって、善人がやっているのだから何もいわないでよ、でしょう。 品質屋から言わせてもらうと、不具合件数が少ないというのは「テストが甘い」以外の何者でもありません。 単純に確率的に、規模から想定される不具合数というものがあります。それが見つけられていないのです。 なぜか、というと、当人たちから報告されないのです。 これは、事故や不具合を報告すると責められるという意識があると人間の気持ちとして隠したくなるからです。 たとえばミスタイプした、みたいな話だと、ケアレスミスだし大した問題ではないから報告しないようにしよう、と考える。 テスト中に事故が発見されても、「こういう事故はめったにおきないと思うから報告から外そう」と考える。 結果、集計した不具合報告が予測と違うアンバランスを引き起こします。 ここで考えていただきたいのは、なぜ彼らは隠そうとするのか、です。 これで評価が低くなる、昇給に影響する、職から外されるのではないか、馬鹿にされるのではないか、でしょう。 これは会社を信頼していないという明白な行動です。 会社側が「性善説」というのは、それを見ないことにするきれいごとの言い訳です。要するに考えることを拒否しているのです。 だから、私は「性善説」などとほざく人間は一切信用しません。性悪説についてももちろんです。 いい会社の場合は、品質活動でこういうことになっているはずです。 作業者自体も、タイプミスなどを報告したら褒めます。よく報告してくれた、と言う形にします。 テストをしているものはできる限り意地悪にテストしようと心がけます。悪役に徹するのです。 その結果報告される不具合の数も褒めます。不具合をよりたくさん見つけてくれる人をたたえるのです。 褒められるんですから、みんな不具合を出そう出そうとします。 テスト自体にもミスがあって、指摘ミスとして保存する報告になります。 もちろん、これだけで品質向上になっていますけど、別のメリットが発生しています。 成果物をお客様のところに持っていたたとき、お客様がやるだろうことをかなりこの作業内で吸収したと思うからです。 完全な万全な存在の人間なんてどこにもいません。ミスが恥になるような言い方をサポートがしたらそこでお客様はむくれます。 誰でもやることだというデータがまとまっていればサポートであっさりとお答えができるでしょう。 ああ、きっちり開発が管理され、顧客サポートもいいね、私はこの会社の製品は信頼する、と思うのです。
- 05051036
- ベストアンサー率22% (114/508)
質問者様の考えはおそらく、察するということが当たり前に出来る人の考えだと思います。 それか、曖昧で周りくどい表現をされた場合の解釈の仕方が、多くの人と同じだからトラブルにならずに済んでいるか。 例えば…。 『あなたの言動や行動などを不快に思ってる』という意思表示を、角が立つからとか何とか言い訳して回りくどい表現にすることが日本では多いと思います。 それで相手に伝わらなかったら自己責任と割り切って諦めるか表現を変えるなどしてくれればいいんですが、伝わらないほうが悪いと逆恨みして責める人がこれまた日本では多いと思います。 そういう手合いによるトラブルを経験すれば、相手の言ってることや態度をそのまま信用できず、真意を確かめずにはいられなくなると思います。
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
支援学校教員です。 少し違う視点から。 「人を信用できない」と言う人は、多くの場合「人から信用されたことがない」と言う思いを持って生きてきています。 つまり「周りは全部、敵」なのです。家族ですら…というか、家族に「自分が信用された」と思えないからなのです。 そこへ「相談してもいいかな?」と思える相手ができた。素晴らしいことです。 「その相手を信用してみてもいいかも…」と思い始めた証拠ですから。 ですので、相手が「あなたを信頼したい」と思っている以上、相手にとって「正しい」と思えるアドバイスをするのは「かなりのリスクがある行為」です。なぜならば、相手は「人を信用できない人」ですから。 少しでも「疑念」が浮かべば、また「心を閉じてしまう」可能性はあります。 今回の質問のように「素直に人を信用した方がよいでしょう」と返しても、相手はそれが「信じきれない」と思うだけでしょう。それでは、アドバイスの意味がありません。 相手にとって、一番いいのは「あなたが信用してあげる」事です。 まぁ、言うは易し、行うは難し、なのですが、相手の言い分を「全て『うん』『はぁ』などの相槌だけを返す」「質問は、相手がたくさん話している間は少しだけ、相手が話さなくなったらたくさんする」「相手の言い分を、もう1度確認するような質問だけをする」で相談に乗ると、相手は「自分から解決策」を探し出します。 そして「ある程度の時間で話を切り上げ、次の相談時間を決める」とされてはいかがでしょう? これはカウンセリングのテクニックなので、1度や2度ではうまくいかないとは思いますが… 人は「全受容」されたと確信できた時、初めて「人を信用する」ことができるようになると思います。 ただし、「全受容」とは「全同意」ではありません。「批判されない」という事です。 もう少し突っ込めば「あなたの気持ちは、わかる」と言ってもらう事です。 ご参考までに。
- ido-kawazu
- ベストアンサー率26% (88/327)
こんにちは。 > 人が信用できないという人の相談を受けてるのですが ↑ 信用しないと「疑われて居る」と相手には分かる。⇒信用 していない相手からも信用されない人間になると考える。 ⇒双方が信用を置けないと思う事になり。 ⇒疑心暗鬼と云う鬼に憑りつかれて、そこで堂々巡りの行動を してしまう事。 ⇒本心に在る、「心配の連鎖」が起きる理由を自己解明する事。 ⇒⇒心配の集合したモノ「不安」の解明と、深層心理の自己防衛 の理解に努める必要があります。 > 性善説で成り立ってるこの日本で人が信用できない、 だから確かめたりするとかを考えることは間違いですか? ↑性善説を説く事は混乱させます。この言葉の裏に >「間違いなら素直に人を信用した方がよいでしょうが」 と云う、受け入れられない人の入口と出口を塞ぎます。 ↑ 「信用できない」と「確かめる」との関連は重要です。 確認は=信用できないから、には成りません。 > 仕事にて上司にあたる人について石橋をたたくように 質問したりその他、確かめようとしたりしてしまっている。 ↑ 理解力に自信が持てない。⇒失敗に対しての恐れ。⇒ メンタルケア―の必要性を感じます。 専門家の力を借り、心の整理をするように提言しましょう。
- don_go
- ベストアンサー率31% (336/1059)
>性善説で成り立ってるこの日本で人が信用 >できない、 「性善説」というのは人の本質は善であるが 放っておくと悪になる事もあるので、教え・ 正し続けていく必要がある。 という事なので、全ての人が善人であるとも 悪人であるとも言っていません。 従って、善人か悪人か、信用できるか否かに 関しては、その都度入手した情報を元に判断 する必要が有ります。 >だから確かめたりするとかを考えることは >間違いですか? 何らかの結論を出すには、いくつもの知識を 連結させてやる必要があり、それをつなげる 役目をするのが情報です。 そして知識がうまく繋がらないようであれば 情報又は知識が正しくないか不足しているか ですから、ちゃんと確認する必要があります。 #既に「性善説」に関する知識に誤解がある #ので、そこから導き出された結論が怪しい #物になっている? >石橋をたたくように質問したり それが過度に行われるのであれば、仕事上に 関する知識・経験又は熟練度が足りない事が 考えられます。 勉強や経験を積んで力量を上げていかなければ いけません。
- k-a-r-a-p-a-n-a
- ベストアンサー率19% (257/1321)
男は とか 女は とか (それはここにはありませんが) 日本人は性善説で成り立っている とか 簡単に考えすぎです それを言うのなら 「信用できない人がいる」 ということだろうと思います 「人が信用できない」では ないですよね それではすべての人が信用できないということに なってしまいます あなたに相談されたように 信用の出来る人もいることは わかっているのだろうと思います 上司はだまそうということではなく 曖昧な発言ゆえに 信用の出来ない人になってしまっているわけですから 確かめることで かえって信頼感が生まれるのではないでしょうか ときどき 自分がわかっているから 相手もわかっているだろうということで 曖昧な発言 連絡 報告をされる方も いらしゃいますからね それとも 意識的に嘘を伝えられて だまされているので 信用ができないということでしょうか なんだか 「人が信用できない」という相談からして 相談をされたその方は 人からの報告等を 曖昧に聞く癖があって 周りの人全員が 信用できないと言われているのでは ないですか
- dondoko4
- ベストアンサー率12% (1161/9671)
信用できない人が何で人の意見を求めるの?矛盾していない?その彼氏に言ってやりなさい。
- parts
- ベストアンサー率62% (6366/10151)
その相談している人が、質問者様に相談した理由は何なのでしょうか? 直接相談を持ちかけてきたなら、質問者様を信頼しての話となりますから、質問者様なりの考え方を答えた方が良いかと思います。むしろ、そこで他人の意見を参考に自分の意見を取り繕うと、相手は質問者様も信用しなくなるかも知れません。 もし、その人にここを紹介されて、ここで本人が質問されるのであれば、もしかすると良い回答があるかもしれません。 私ならどうするかだけでいえば、自分のストレスにならない方法で考え行動すべきと言うでしょう。 もし、全てが不審でしかないなら、その場を離れるか、離れることができないなら、メンタルのクリニックなどに通って、まず自分の心が正常かどうかも見つつ、自分を落ち着かせる必要があります。 人を信用できなくなると、人は社会から孤立したように感じ、人との接触を拒むようになります。拒むと、より周りの人は近づくことがなくなり、最終的に社会そのものが自分を否定しているように感じるのです。 その前に何とかするなら、信用されて質問されている人は、自分の言葉で相手に自分自身の意見はこうだと伝えるのが妥当です。もし、別の人から聞いた情報、あらかじめ多くを取り繕って集めた情報を、提示した場合、その人がそれに気がつくと、もっと籠もってしまう恐れもありますから、慎重に考えなければなりません。 自身で、対応が難しいと考えるなら、この人なら聞いてくれる解決策を提示してくれるかも知れない人、または医療機関などを紹介するのが最も良い手段になるでしょう。
質問者さんも信用してないのでは? 「じゃ私も信用してないんでしょう?」 って言ってその反応を見てからですね。