天理教でのお香典倍返しについて(長文です。すみません)
天理教でのお香典倍返しについて(長文です。すみません)
今年五月に主人を亡くしました。52歳でした。昼ごろ入院し、その日の午後11時には、私の手の届かないところにいってしまいました。突然のことで、死に目にあえたのは、私一人でした。主人も私も主治医の先生ですら、こんなに早くとは・・・と誰も思っていなく、一人息子も就活のための夜行バスの中でした。
なぜこんなに早く逝ってしまったのか、もっと私に出来ることがもっとあったのでは?もっとやさしくす
ればよかった、後を追いたい、でも息子のため死ねない、そんなことばかり考えていた様に思います。
葬儀まで日にちがあり(友引の関係や、導師さまのご都合など)、家で四日添い寝することが出来ました。その間ずっと「悪い冗談はやめて、目を覚まして」「私の悪いところは全部直すから、帰ってきて」
と、眠っているような安らかな顔に向かってずっと語りかけていました。
お通夜の晩は、「明日この人の体が無くなる」と思うと寝られず、棺の小さな窓に手を入れ、
一晩中ずっと顔をなでていました。
お葬式は主人が体調を崩して退職してから一年しか経っていないこともあってか、主人の元職場の方が大勢いらしてくださり、また、友人の方も小学校からの同級生なども来てくださって、改めて主人は
こんなに他人から慕われていたのかを、思い知らされました。
ご会葬いただいた皆様から、本当に暖かいお言葉とお心遣いをたくさん頂戴しました。
家で添い寝している間も、主人の友人の方などたくさんの方が来て下さり、
末後の水を主人の口に入れてくださいました。
主人は熱心な天理教信者でした。(が、家に仏壇があるため、葬儀は仏式で行うことにしました。)
けれど、家から歩いて五分もかからないところに住んでいる布教所の所長も夫人も、家には来て
くれませんでした。天理教の用事には何をおいても駆けつけていた主人の寝顔も一度として見に
来てくれませんでした。お通夜や葬儀には他の天理教信者さんと来てくださっては、いましたが・・・。
今、五ヶ月経って悲しみは葬儀のころより増したような気がします。仕事にも復帰し、
落ち着いて物事を考えられるようになりましたが、今日が何日なのか何曜日かわからないことが
しばしばあります。
そんな中、ふと疑問に思うことが出てきました。
(前置きが長くなってごめんなさい)
その布教所長から頂いたお香典について、同じ天理教信者である義母から「天理教は倍返しだからね、包んで頂いた金額の倍をお供えするように」と言われました。
お葬式の直後は何も考えられず、葬儀の一週間後に、義母の言うとおり倍の金額を包み、別の果物のお供えも買い、布教所に持参致しました。
(そのお供えは布教所長に直接お渡ししました。そのお供えも所長さんは辞退することなく、深々とお辞儀はしてくださいましたが、当然といった感じで受け取られました。)
私としてはそのお供えがどう使われようと良いのですが、他の天理教の方もこんなことがあるのかお聞きしたいのです。「倍返し」が本当なら、後から信者が倍返ししてくるときの負担を考えて、私が所長なら「気持ち」しか包まないのに、頂いた額は、他のどの会葬頂いた方よりも多額でした。
(もちろん通常のお香典返しはお渡ししています。)
そして、ずっと家で主人が眠っているのに、たった歩いて五分のところなのに会いに来てくれなかった事など不信感を持つようになってしまいました。
この「倍返し」は天理教なら全国的に通常のことですか?本部ではこのようなことを指導しているのですか?
主人は熱心な信者であったのに、日ごろから信者は私(布教所長)の子供だと言っていたのに、仏式での葬式では、末期の水さえ無理なのでしょうか?
義母の家に神様を御鎮めさせていただいており、毎月つきなみ祭には足を運んでいますが、もう続ける自信がありません。
天理教そのものを批判しているわけではないのです。天理教の信者の方々がこれをご覧になって
ご気分を害されたら、本当にごめんなさい。
また、毎日本当に辛く、やっと何とか仕事に復帰できたところなので、
中傷等の回答はご遠慮くださいませ。
(カテ違いだったらごめんなさい)